※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:体育会系教員にとって1980年頃は良かった?)
体育会系教員にとって1980年頃は良かった?
このQ&Aのポイント
1980年頃の小中の校内暴力は「暴れてみたいから暴れてみる」という感覚だったのか?
国士館や日体大等の大学の付属高校などで暴力沙汰が起きる理由は何か?
オリンピックや高校野球の選手が練習で興奮状態になり、暴力沙汰になるケースもあるのか?
批判非難するつもりはありません。
50手前の男性です。
丁度校内暴力が盛んな頃に小中学時代を送りました。
私より10才以上上の世代は高校や大学でも学園紛争というものがあったそうですが、
1 学園紛争(これも手放しで認められるものではなく、関係の無い人に危害を加える等許されるものではありませんが)が学校での生徒の自治などそれなりの要求があるのに対し、1980年頃の小中の校内暴力等は「暴れてみたいから暴れてみる」という感覚だったのでしょうか?
2 偏見で申し訳ないのですが、高校や大学でも進学校の運動部等は
暴力の問題等置きませんが、国士館や日体大等の大学 その付属高校等は何故暴力沙汰が起きるのでしょうか?「暴れてみたいから暴れてみる」という延長線上でいる生徒が入ってくるのでしょうか?
(警察や自衛隊での訓練とは別に寮内での暴力事件なども、この様な人種の人が居るからなんでしょうか?)
3 オリンピックで日本人に限らず外国人選手も記録を出すために
練習を重ね、精神を極限にまで追い込むと、興奮状態になり、そのフラストレーションが爆発して、表沙汰に成っていないが、暴力沙汰になるケースもあります。(高校野球の強豪校の選手がクラスなどで
部外者を苛めると云う様な事もあるそうです)
その記録を取れれば、苛めも暴力も大目に見てくれるという事なのでしょうか?
4 現在に成って見直されましたが、この時代の体育会系の教員は
その様な環境しか知らず、その方法でしか指導できなかったのでしょうか?私は完全な体罰否定派ではなく時には根性論なども必要かとも思えましたが、同級生に親や周りの大人が暴力的で「暴力で制する事が全て」という躾で育った子が居りましたが、この様な子が順応できる組織としてこの様な教員や部活動があったのでしょうか?
5 当時(1980年頃)罰則の体罰等は受け容れておりましたが、
私は「無意味な暴力」は嫌いでした。
同級生の彼は運動神経は優れ、野球のセンスは1番でした。
故に彼等がレギュラーと成って行くと、「暴力的な組織」に成ります。苛めや暴力はいけませんが、その様な気質の者を中心に置くとどうしても暴力的に成ってしまいます。(比較的環境の良い小中学生が集まる地域は昔からその様な事が少なかったと思います)
彼等を活かす道として「暴力的な組織」があったのでしょうか?
この辺りの事をご回答戴けたらと思います。
お礼
ご回答有難うございました。
補足
ご回答有難う御座いました。 > 学生運動(紛争)があったのは、私達よりもう少し上の人達の頃ですね。 今の60後半ぐらいの人が大学生だった頃ですね。 共産的な考えが強く、それを強行しようと学生運動が盛んになったのでしょう。 学生ではありませんが、あさま山荘事件、よど号ハイジャック等も同様の主張から来るものだったのでしょうね。 (なので、今も大企業内では共〇主義者は陰でマークされていますよね) 共産主義も「理想の社会」と云いながら旧ソビエト 北朝鮮 中国と独裁的に成っており、目的の為には殺人行為を行う過激派は結局帝国的な処と変わらないのだと思います。 >学校については、私達の世代はビーバップ時代。 世間的には竹の子族や暴走族が全盛の時代でしたね。 それを抑え付けるために、各学校には国〇館等の大学を出たいかつい先生が配置されていたと思います。 (数年前、私の子どもが中学時代ですが・・・うちの中学は2つの小学校からの入学でもう片方の小学校で学級崩壊が起きていた、また子どもの一つ上の学年で他の中学が手に負えない子を二人受け入れた、その時は国〇館出身のいかつい先生が配置されましたよ。うちの子達のの卒業と一緒に異また動になりました。) (もう40年程前ですが)暴れていた同級生を学校という枠組みに入れる為にはああするしかないのでしょうか? 幼稚園や小学校低学年の時から「怖くて叶わない者」の云う事は何でも聞いて、そうでない人の云う事は基本的な事も聞かないという感じでした。彼は父親が喧嘩で負けると殴り、兄弟で喧嘩をさせ、勝てば食事を与え、負ければ食べさせないと云う様な躾を行ったそうです。 家庭の躾は大事だと思います。 私も時には体罰も必要と思う時もありましたが、 彼の様なタイプが居ると、殴って「この人には叶わない」と思わせないという事を聞かないという感じ なので、彼等の基準に併せるとそうなるのでしょうか? >運動部も根性論が多く(私もサッカー部でした)、いかに練習中に水分を補給するか、悪知恵を働かせてました(笑) 先生たちも愛のムチじゃないですけど、結構暴力的な先生もいましたね。 また、運動部もそうですが、不良グループも上下関係が厳しかったですよね。 部活は学内だけでしたが、不良グループは結構上の方まで(暴力団等)までつながっているのも多く、裾野を広げようと周りの子達を仲間に引きずり込もうとしてましたよね。 そういった子が、部活等で主力選手になると、暴力的になったり、後輩をいじめに走ったりとなってた気がします。 私は当時(小中学時代)から一応の上下関係や教師と生徒との関係も弁えておりましたが、「自分の領分が守れたら支配したいとも思わないし、自分よりここが優れていてもその人も絶対でないし、自分よりここが劣っていてもその人が駄目だと思わない」という感じでした。 が、同級生で自分が周りに喧嘩を売り、それで勝つ、 そこで「支配している」と云う様な感覚の人が居りました。 又、上述された国〇館大学の話がありましたが、1980年代に在籍していた方の話では、寮内や部活やクラスでも誰が強いかという事を決める為に喧嘩し、そこで序列が生まれていくと云う様な事を聞いた事があります。 現在に成って大分見直されてきましたが、 根性論的指導や罰則としての体罰と云う事より、私の様な感覚をこの様な環境に身を置く人が「扱い様がない」と云っていた事があります。 「特に私は相手が何もしなければ、相手を弾く必要も無いし、相手に干渉するつもりは無い」 「クラス(40人)で以上でも以下でも無い感覚でいい」 (成績の順位やマラソンの順位をやめる事とは別として) という感覚が彼等には「認め無くないし」「癪に障る」そうです。 つまり、彼としては喧嘩で勝って自分は学校を支配した。野球も勝ち、強くなった。そこで勝ち取ったのが、 自分の今の立場である、だから悔しかったら自分の様に振舞えという事なのだと思います。 が、この様な気質の者に順応できる組織として国〇館大学等が在るのでしょうか?