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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:暴力が抑えられない人への対応)

暴力が抑えられない人への対応

このQ&Aのポイント
  • 暴力が抑えられない人への対応について考えてみました。体罰はいけないことだと思いますが、最終手段として必要な場合もあるのでしょうか?
  • 暴力が抑えられない人への対応について、暴力団や大学の上下関係を例に考えました。彼らは暴力によって服従させられ、組織内で活躍することができるのでしょうか?
  • 暴力が抑えられない人への対応について考えてみました。彼らを活かす道として、暴力に頼る方法や鍛錬などが考えられるのでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

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  • KGS
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回答No.4

NO.2です。 丁寧な補足を有難うございます。 確かに相手に恐怖を与えることによって主導権を得るという、江戸時代のようなマウンティングがあったのも事実です。 言うことを聞かないと、暴力をふるわれるから言うことを聞く。 痛い想いをするから、一番簡単な服従という道を選ぶ。 確かに教育で体罰という名で暴力を正当化した過去は確かにあったでしょう。 暴力で下級生を支配した人もいるでしょう。 暴力で支配された人が10年、20年、30年経過して「あのときの暴力は正解だった」と思うでしょうか。 暴力は、した方は覚えていなくても「された方」は一生覚えています。 将来的に立場が変わったり、加害者の子供が被害者の生徒になるケースもよくあります。 恩を受けたら恩を返されるし、暴力を受けた経験がある人が権力を持ったらという想像力も、長い人生には必要かと思います。

noname#250543
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 暴力で支配された人が10年、20年、30年経過して「あのときの暴力は正解だった」と思うでしょうか。 暴力は、した方は覚えていなくても「された方」は一生覚えています。 幼少時にこの様な感覚とは違う処があれば、「暴力による服従」を絶対とは思わないが、同級生の彼も家庭内が 「父親の暴力による支配」が全てだったのです。 が、少数派ですが、この様な感覚の者おり、それが次世代への順送りになっているかと思います。 将来的に立場が変わったり、加害者の子供が被害者の生徒になるケースもよくあります。 更に強い者によって被害者に成るというケースもありますし、又暴力的な人はその隙を見せると攻撃されるという事も考えられるので、余計に強固にしているのかとも思えるのです。 恩を受けたら恩を返されるし、暴力を受けた経験がある人が権力を持ったらという想像力も、長い人生には必要かと思います。 やはり、躾や罰則でない、理不尽な暴力やそれによって従わせるやり方には法律等で対応していく事かと思います。

その他の回答 (5)

  • pipipi911
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回答No.6

合気道の「不世出の達人」と云われている 塩田剛三さんは、究極の技は、 自分を殺しに来た相手と友達になることだ といった主旨のことを言ってたんですけど、 この考え方を応用・援用してみれば、その種の人への 対応方法が自ずと判るってくるのではないでしょうか。 因みに彼の身長は、154cmでした。 肩が触れたことから刃傷沙汰になったりする 事案が時折あったりしますが……繁華街等を歩く際には、 人を見極める目を研いてあれば、そのようなことにならない 歩き方が可能ですし、廊下等での適切な身の処し方も 可能になります。 詩人の田村隆一さんの『インド酔夢行』には、 喧噪のインドの某都市での人々の身の処し方の描写が ありますので、読んでみませんか。 「犯罪白書」には、犯罪を犯す人が 分類されていますので、こちらも一読をお勧めします。 或ることに気づける筈です。 暮らしの中での暴力被害に遭遇したら、警察署に 被害を伝えて処理を願うのが賢明な スタンスの1つになります。 塩田剛三さんのような心技体の水準に 達していない場合の暴力被害の懸念払拭には、 大声で助けを呼ぶか、30メートルをダッシュして その場を離れるトレーニングを積んでおくように しませんか。 「通報の義務」がありますので、とにかく、 警察に通報することを第一に、 暮らしてくださいませな。 廊下で肩が触れた男性なども警察に通報するのが 正解でした。いまは、スマホで容易に 110番通報が可能です。 [彼の人間性を変えてあげたいのであれば、すべては、 《敵を知り、己を知れば百戦危からず。(孫子の兵法)》 で、対応できます。彼を知る然るべきアプローチを積み重ねて 進めてみてくだしませな。 〈ホスティリティや怒りの感情を蔵した生き方ならば、 その根本原因を見つけ出すことが出来れば、意外と 早期に救ってあげることが可能だと思われます〉] 所謂「生兵法」にならないように、 進めてみてくださいませな!! Good Luck. Adieu.

noname#250543
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 合気道の「不世出の達人」と云われている 塩田剛三さんは、究極の技は、 自分を殺しに来た相手と友達になることだ といった主旨のことを言ってたんですけど、 この考え方を応用・援用してみれば、その種の人への 対応方法が自ずと判るってくるのではないでしょうか。 どう対抗していくかが大切だという事を云われているのでしょうか? 良い言葉です。 肩が触れたことから刃傷沙汰になったりする 事案が時折あったりしますが……繁華街等を歩く際には、 人を見極める目を研いてあれば、そのようなことにならない 歩き方が可能ですし、廊下等での適切な身の処し方も 可能になります。 詩人の田村隆一さんの『インド酔夢行』には、 喧噪のインドの某都市での人々の身の処し方の描写が ありますので、読んでみませんか。 私の親戚に中国に留学した折に、日本は未だ安全だったので歩き方で中国人に日本人だと見破られる、 故に歩き方(ややこしい場所には行かない、相手に触れない様に気を付ける方法)や貴重品の持ち方(すられない方法等)を学んだと云われました。 「犯罪白書」には、犯罪を犯す人が 分類されていますので、こちらも一読をお勧めします。 或ることに気づける筈です。 暮らしの中での暴力被害に遭遇したら、警察署に 被害を伝えて処理を願うのが賢明な スタンスの1つになります。 大声で助けを呼ぶか、30メートルをダッシュして その場を離れるトレーニングを積んでおくように しませんか。 学生時代も相手が恫喝や暴力で来るので、黙っておこうと思いましたが、大声を出す、通報するのも有りだったと思いました。 「通報の義務」がありますので、とにかく、 警察に通報することを第一に、 暮らしてくださいませな。 廊下で肩が触れた男性なども警察に通報するのが 正解でした。いまは、スマホで容易に 110番通報が可能です。 [彼の人間性を変えてあげたいのであれば、すべては、 《敵を知り、己を知れば百戦危からず。(孫子の兵法)》 で、対応できます。彼を知る然るべきアプローチを積み重ねて 進めてみてくだしませな。 恐怖で応じられたので、従った方がと云うのが彼らの思う壺で、それではいけないという事を知らしめるべく対応するのが良いという事だと思います。

  • gomapapy
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回答No.5

力をより強い力で支配しても、さらに強い力で支配されるわけですが、それで信頼関係を築くのは不可能です。 信頼関係があって初めて建設的な付き合いが始まるので、支配と服従ではチンパンジーの下剋上の世界と大差ないでしょう。 人間とチンパンジーの違いは高度な知能と、それによる複雑なコミュニケーションです。これで人間は他の動物を圧倒して、自然界の頂点に立てたわけです。 複雑なコミュニケーションがもたらしたものは、強固な信頼関係です。これを土台に文明を築いてきたと言って過言にはなりません。 なるほど力の論理には説得力もあり、実際未だに能力主義などに名前を変えて現代でも人間社会に組み込まれています。これは抜き難い本能的で原始的な一つの基準です。 ですから、能力主義を振り回して傍若無人に振る舞い、パワハラ、モラハラ、セクハラなど人権侵害はこれからもなくならないでしょう。 しかし、これでは信頼関係は築けませんので、控えるのがまともな人間のとるべき態度です。 そうでなければ、周囲がそれを許したとしても、その人は孤立を深めるだけの話です。まともな人がチンパンジーと真面目なお付き合いなどしないものです。

noname#250543
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 力をより強い力で支配しても、さらに強い力で支配されるわけですが、それで信頼関係を築くのは不可能です。 信頼関係があって初めて建設的な付き合いが始まるので、支配と服従ではチンパンジーの下剋上の世界と大差ないでしょう。 が、たまに(未だ子どもの時ですが)野生的な動物の 論理でしか判断できない者も居たのです。 人間とチンパンジーの違いは高度な知能と、それによる複雑なコミュニケーションです。これで人間は他の動物を圧倒して、自然界の頂点に立てたわけです。 複雑なコミュニケーションがもたらしたものは、強固な信頼関係です。これを土台に文明を築いてきたと言って過言にはなりません。 確かに、これは頷ける話です。 同級生の彼が信頼されていたかというとそうではありませんでしたが、暴力やしつこい恫喝や監視で取り合えず表面上は黙らせる事はして居たのです。 なるほど力の論理には説得力もあり、実際未だに能力主義などに名前を変えて現代でも人間社会に組み込まれています。これは抜き難い本能的で原始的な一つの基準です。 ですから、能力主義を振り回して傍若無人に振る舞い、パワハラ、モラハラ、セクハラなど人権侵害はこれからもなくならないでしょう。 しかし、これでは信頼関係は築けませんので、控えるのがまともな人間のとるべき態度です。 そうでなければ、周囲がそれを許したとしても、その人は孤立を深めるだけの話です。 ブラック企業や独裁的に振舞う人や戦時中の日本や中国旧ソ連 北朝鮮等の共産主義の国家等は それが、崩壊する事を恐れているので、余計に強固にしている様な処もあるのかとも思えます。

noname#248402
noname#248402
回答No.3

暴力はいけませんが、なぜ暴力団がなくならないのでしょうね.それが答えですよ。暴力にはさらに強い暴力で対抗。言葉の暴力。ルール法律という暴力もですかね。良心でコントロール出来ない力が暴力だと私は思います。

noname#250543
質問者

お礼

ご回答有難うございました 暴力はいけませんが、なぜ暴力団がなくならないのでしょうね.それが答えですよ。 やはり、反社会的な行為は何時の時代でも無く成らないと思いますが、良心(これもそればかりで行っているのではないが)に於いて、反社会的な行為をするものは制裁を加えるというのが一番理想かとも思えるのですが、 もしかして暴力団と同じで、法律による規制がない未成年者の為に、暴力的な組織は必要悪的なものとしてあったのかもしれません。

  • KGS
  • ベストアンサー率24% (1324/5321)
回答No.2

自分より力の弱い相手に暴力をふるうのは、人として最も下等な人種です。 体罰という言葉に置き換えて弱い立場の生徒に暴力をふるうような教師がいるとすれば、再教育か法律での処罰が必要になります。 暴言や無視といったいじめ行為も暴力です。 肉体的に被害を受けるか、精神的に被害を受けるかの違いです。 暴力は犯罪であり反社会的行動であって、独自の理論でこれを正当化するような人物がいるとすれば、合法的な方法で処分する必要があるでしょう。

noname#250543
質問者

補足

ご回答有難うございました。 自分より力の弱い相手に暴力をふるうのは、人として最も下等な人種です。 体罰という言葉に置き換えて弱い立場の生徒に暴力をふるうような教師がいるとすれば、再教育か法律での処罰が必要になります。 暴言や無視といったいじめ行為も暴力です。 肉体的に被害を受けるか、精神的に被害を受けるかの違いです。 これは、その通りだと思いますが、人種的に暴れてみたいという人間が居り彼らは暴力により従い、序列を作る生き方を好むというかそこでしか自分を示せない様な感じでした。 スポーツのメンタル(これも大分変わってきているが)を 鍛える事や罰則を超えて、彼らは無意味(と言っても私が思っているだけですが)な暴力で「俺は強い」という感覚 で、それを通してくれるのが(本来は正しくは無いのだが)部活動での同級生や後輩に対する暴力だったのです。 暴力は犯罪であり反社会的行動であって、独自の理論でこれを正当化するような人物がいるとすれば、合法的な方法で処分する必要があるでしょう。 これも、その通りです、当時でも正当化は許されないし、私は遺憾と思いました、唯私は特に暴れたり、理由のない反抗などはせず、学校の基本的な処は受け容れておりましたが、 彼らは暴力により、自分をアピールし、それで序列を創る、そしてその精神を部活動などで暴力的に振舞う事で、表沙汰にはならず、発揮できていた様でした。

  • habataki6
  • ベストアンサー率12% (1182/9783)
回答No.1

暴力というのは現在では犯罪になります、なぜなら民主 主義の世の中では、気に入らない人は力で対応というの は、独裁主義的な思想で、誰かに歯向かえば制裁を与えられるとすれば、自由な言論や思想はできなくなってし まいます、言論の自由や表現の自由は憲法に明記されており、暴力する人いるとすれば、警察の出番となりま す。

noname#250543
質問者

お礼

ご回答有難うございました。 暴力というのは現在では犯罪になります、なぜなら民主 主義の世の中では、気に入らない人は力で対応というの は、独裁主義的な思想 確かに、上記の暴れる人間を暴れさせないためにはあの方法でしかないのかなとも思ったのですが、結局彼も独裁的な思想から抜ける事はないと思います。 暴力する人いるとすれば、警察の出番となりま す。 だから野放しにするのではなく、この様なタイプには罰則を以って(未成年でも)対応できるようにする事が望ましいと思います。

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