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1980年頃の体育会系気質について
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昔の根性論ですね。 昔は、スポ根ドラマが多く、同じように厳しさを乗り越えて強くなることが美徳とされてましたね。 私も50代前半ですが、学生の頃はそういう思い出がたくさんあります。 ある意味では良かったと思いますよ。 暴力とかを肯定するわけではありませんが、今の先生たちは親や教育委員会を恐れて厳しさが少ないと思います。 私の子ども達も含めてですが、それが勉強にも出ています。 何としてでも解こうとせず、「分からない」とすぐに諦めてしまう。 厳しさが足りないな~と思う瞬間です。
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- Granpa1969
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体罰が良いとは決して思いません。 優しい言葉だけで何とかなるのなら、それが一番楽でいい(笑) ただ、それだけで何とかなるのでしょうか? 今の風潮がエスカレートしたら・・・ 既に、明らかに指導する側が病む人続出していますよ。 なので、無意味な力の誇示は排除した方がいいとは思います。 が、指導を受ける側で「挑発的」な人にも、圧力が掛かるような何かが必要です。
お礼
ご回答有難うございました 体罰が良いとは決して思いません。 優しい言葉だけで何とかなるのなら、それが一番楽でいい(笑) ただ、それだけで何とかなるのでしょうか? 今の風潮がエスカレートしたら・・・ 既に、明らかに指導する側が病む人続出していますよ。 一番良いのは、未成年子どももある程度大人扱いにして 法的罰則を設ければ良いという事だと思います。 なので、無意味な力の誇示は排除した方がいいとは思います。 が、指導を受ける側で「挑発的」な人にも、圧力が掛かるような何かが必要です。 が、その様な感覚でしかやっていけない、又それで感情がコントロールされる人も居るので難しい処かと思います。
- eroero4649
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あの頃を今の価値観で判断してもしょうがないですよ。あの時代に生きてたならご存知でしょうが、そもそも生徒数が圧倒的に違います。2018年の15~19歳の人口は590万人ですが、1985年は898万人です。1.5倍もいたんだもの。いちいち一人一人なんて見てる余裕はありませんでした。当時は「おちこぼれは勝手におちこぼれていろ」でしたし、それを批判もできません。一生懸命なやつだって十分すぎるほどいたのです。 おまけにあの頃は、生徒側だって暴力的でした。「夜の校舎窓ガラス壊して回った」時代ですよ。ドラマ「スクールウォーズ」ではデフォルメされてましたけど、似たような雰囲気の「不良の巣窟」みたいな高校ってありましたよね。あのドラマが流行ったせいで、ウチの中学でも不良の先輩がバイクは持ってないので、自転車で廊下を走り回っていました・笑。今考えると可愛いけど、先生たちも必死ですよ。見逃すわけにもいかないですしね。 それこそ生徒から蛇蝎のごとく嫌われている体育教師なら、「お礼参り」で逆に生徒にボコボコにされることもあったわけですから、今の子には想像もできない「世紀末」でしょうね・笑。 「今日から俺は!」ってドラマがリバイバルで人気になりましたね。あれに出てきた不良少年役の子たち、当時を知る世代からすると「可愛い」ですよね。垢抜けています。いかにも「役者さんが不良の格好をした」という感じです。 それに比べると、「ビーバップハイスクール」の当時の写真の迫力といったら。あれもみんな役者さんのはずですが、ガチの人が何人か混じってますよね・笑。 最後の「戦った時代」じゃないですかね。80年代後半になるとバブルでみんな浮かれるようになって、戦うのがダサくなりましたよね。
お礼
ご回答有難うございました。 あの頃を今の価値観で判断してもしょうがないですよ。あの時代に生きてたならご存知でしょうが、そもそも生徒数が圧倒的に違います。2018年の15~19歳の人口は590万人ですが、1985年は898万人です。1.5倍もいたんだもの。いちいち一人一人なんて見てる余裕はありませんでした。当時は「おちこぼれは勝手におちこぼれていろ」でしたし、それを批判もできません。一生懸命なやつだって十分すぎるほどいたのです。 確かに、勉強もスポーツも出来る奴だけを間引きして、 それで成り立っていたと思います。 おまけにあの頃は、生徒側だって暴力的でした。「夜の校舎窓ガラス壊して回った」時代ですよ。ドラマ「スクールウォーズ」ではデフォルメされてましたけど、似たような雰囲気の「不良の巣窟」みたいな高校ってありましたよね。あのドラマが流行ったせいで、ウチの中学でも不良の先輩がバイクは持ってないので、自転車で廊下を走り回っていました・笑。今考えると可愛いけど、先生たちも必死ですよ。見逃すわけにもいかないですしね。 それこそ生徒から蛇蝎のごとく嫌われている体育教師なら、「お礼参り」で逆に生徒にボコボコにされることもあったわけですから、今の子には想像もできない「世紀末」でしょうね・笑。 多分、そこから管理教育が強化され、体罰も問題に成ったと思いますが、それで上手く行く生徒 逆効果になる生徒も居たのでそこが難しい処かと思います。 最後の「戦った時代」じゃないですかね。80年代後半になるとバブルでみんな浮かれるようになって、戦うのがダサくなりましたよね 今の若者(40-50才位の中年層も含めて)社会に対する 諦めがあると思います、 唯当時の校内暴力の時代が良かったとは思いませんが、 矛盾等の思いを持つ事は大事かと思います。
お礼
ご回答有難うございました。 私の子ども達も含めてですが、それが勉強にも出ています。 何としてでも解こうとせず、「分からない」とすぐに諦めてしまう。 厳しさが足りないな~と思う瞬間です。 これは私自身にも云え、頷ける話です。 唯、当時(1980年頃)にこの教師は 「挨拶代わりに殴る事に耐えられる奴しか認めない」処に 私は矛盾を感じ「鍛えられ強くするかもしれないが、 他で失礼な事をしてまで、それが出来てもそれが良いのか」と思いました。 唯人種的に「この人には叶わないと思うと聞く」 こうするしかないという人も居ります、やはり「必要悪」的な者があるのでしょうか?
補足
ご回答有難うございました。 昔の根性論ですね。 昔は、スポ根ドラマが多く、同じように厳しさを乗り越えて強くなることが美徳とされてましたね。 私も50代前半ですが、学生の頃はそういう思い出がたくさんあります。 ある意味では良かったと思いますよ。 スポ根的なものだけではなく、 昔は文化部等でも(例藤子不二雄氏の自伝的漫画 『まんが道』等にも)その様な事は伺われると思いますし ある程度の強制によって培われていく事はあったと思います。 暴力とかを肯定するわけではありませんが、今の先生たちは親や教育委員会を恐れて厳しさが少ないと思います。 これは、私の様なタイプが居たからいけなかったのでしょうか? 私が矛盾に思ったのは、同級生で家でも暴力三昧なので 暴力への耐性は身に付けている、スポーツの勝負(勿論 ルールは守らないといけないが)に諦めず取り組む、 顧問や怖い先輩の云う事は聞く、苛めは正しくないが、 弱い者苛めを行うが、部活動に打ち込む事で大荒れには成らずに済むとこの様な感じでしたが、 私は当時でも「他で失礼な事をしてまで絶対服従出来ない」と云うのが矛盾に思った理由でした。 (私は運動神経が無く、頑張っても劣るという事もあったのが理由でしたが) が、超えられる強い精神をつくれば、大荒れに成らなければ、いじめも容認されていくというのが私は矛盾に思いましたが、彼等の様なタイプも居るので彼にはあっていたのかもしれません。 唯その顧問はそのやり方についてこれない、100%受け入れられない生徒は「一切認めない」という態度を取ったのです。 私の子ども達も含めてですが、それが勉強にも出ています。 何としてでも解こうとせず、「分からない」とすぐに諦めてしまう。 厳しさが足りないな~と思う瞬間です。 確かに諦めずにやらせる事は難しいと思います、それを根性論ではなくどの様に対応していくかが今後の課題ではないかと思います。