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暴力的な人間の方が単純で使える?
- 教師が暴力を使う指導にならざる得ない理由として、暴れる生徒が暴力で育ってきたため、その強さに従う傾向があることが挙げられる。
- "暴力や恫喝で相手を諦めさせる"タイプの親が多かったため、子供たちも同様の態度を取ることが多かった。
- 運動部で体罰が問題になっているが、運動部に所属している彼は体罰を受け入れており、部活動の枠組みに救われていると考えられる。
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何度も繰り返し質問していますが、納得のいく回答が得られないのでしょうか? 私の周りには暴力的な人は殆どいませんし、暴力的な人に基準を合わせる事もありません。 大人になっても暴力的な人は、そういう人達で集まってますので、近づかなければ良いだけです。 教師は仕事なので避けて通れないから暴力的な人と関わらざるを得ないだけです。
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- tzd78886
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そういう人にとって目障りなのは確かでしょうね。「暴力肯定」みたいな考えが昔から主流だったのは、日本の体育教育が軍事教練の一環として進められてきたのと無関係ではないでしょう。軍隊では上の言うことは絶対で、従わせるためには暴力も辞さないのが当然とされてきましたから。そういう教育を受けてきた人たちが復員して学校などで指導者になり、その教育を受けて正しいと信じ込んできた人たちが指導者になるという連鎖を繰り返してきたのですから、それを断ち切るような人は嫌がられて当然です。
お礼
ご回答有難うございました。 そういう人にとって目障りなのは確かでしょうね。「暴力肯定」みたいな考えが昔から主流だったのは、日本の体育教育が軍事教練の一環として進められてきたのと無関係ではないでしょう。軍隊では上の言うことは絶対で、従わせるためには暴力も辞さないのが当然とされてきましたから。そういう教育を受けてきた人たちが復員して学校などで指導者になり、その教育を受けて正しいと信じ込んできた人たちが指導者になるという連鎖を繰り返してきたのですから、それを断ち切るような人は嫌がられて当然です。 多分、そのやり方しか知らないというので それを非難する事は自分の全てを否定されると思っているのだったと思います。 ある程度の実績や暴力で従う人には良かったのかもしれませんが、柔軟性が無く一辺倒なタイプだったと思います。 罰則としての体罰を超えて、体罰が問題に成ったのはこの様な指導者が居たからだと思います。
お礼
ご回答有難うございました。 何度も繰り返し質問していますが、納得のいく回答が得られないのでしょうか? 申し訳ありません、唯この様な体制にはまっている人も いたので「必要悪かな?」「批判した私がいけなかったのかな?」とも思ったのです。」 私の周りには暴力的な人は殆どいませんし、暴力的な人に基準を合わせる事もありません。 大人になっても暴力的な人は、そういう人達で集まってますので、近づかなければ良いだけです。 確かに、大人になれば「避けて通る」事や 「近づかない」選択もあります。 小中時代も「あそこはあそこ 私は合わない」という風に すると良かったと思います。 教師は仕事なので避けて通れないから暴力的な人と関わらざるを得ないだけです。 やりたくないが関わらざる得ない事もあると思うが、 極稀に暴力好きな教師がおり、この教師こそが暴力的な生徒と通ずるものがあるのでしょうか?