※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:暴力団的な感覚が必要悪的な人も居る?)
暴力団的な感覚が必要悪的な人も居る?
このQ&Aのポイント
暴力団的な感覚を持つ人々の存在について考えます。暴力団的な行動や組織に身を置くことで感情がコントロールされる一方で、そのような気質を持つ人々が反社会的な行動を他の組織に持ち込むこともあるのでしょうか?
1980年頃の国士舘や日体大といった学校の特異な気質に触れながら、当時の人々がどのように暴力的な行動に対応していたのかを考えます。根性論や体罰が一部で行われていた時代において、人々はどのような考え方を持っていたのでしょうか?
暴力的な行動を行う人々に対して、その行動の理解を求めることは適切でしょうか?暴力的な行動に対しては罰則が設けられていますが、一部ではその行動が支持されることもあります。このような状況下で、暴力団的な感覚を持つ人々が他の組織に持ち込むことの是非について考えます。
1980年頃の国士舘や日体大の気質についてhttps://okwave.jp/qa/q10017889.html
と云う処で質問をさせて戴きました。
罰則ややむ得ない体罰やある程度の根性論を差し引いても、
当時この世界しか知らない人は私が
「貴方が強い事は認める、しかし強ければ何をしても良いのではない」「負けても、何をされても良いのではない」と云うような発言が理解できず、更に従わせようと暴力的な事を行っておりました。
この様な行動を理解して欲しいのが(そこにはそこの愛情もあり、
それで感情がコントロールされているのもあると思いますが)
上述の組織なのでしょうか?
言うなれば暴力団は反社会的組織です。が暴力団的な処に身を置く事で感情がコントロールされていく人も居ります、故に反社会的でない組織(学校等)にもこの様な気質を持ち込む事が必要悪的なものとなるのでしょうか?
(小中学時代私は特に暴れる事も無く、基本的な事は聞いておりました。(罰則の体罰も受け入れておりましたが、それは別として)
この人には叶わないと思うと云う事を聞き、そうでないと暴れる、
その様な同級生には必要悪故、我慢すべきだったのでしょうか?
彼は叶わない先輩や教師により枠組みに入り、弱い者苛めを行うが、
怖い存在があるので大荒れにはならず纏まると云う事だった感じですが、彼等の感情はあれでコントロールされている様です。)
お礼
ご回答ありがとうございました。 >時代も変わり、今は「ウザい」「メンドクサ」と感じて、従っていたほうが楽・・・と、なっています 昔、静岡県の三ヶ日青年の家という青少年の合宿施設で、十数人で手漕ぎ船を、厳しい指導のもと、漕がす研修がありました 向かい風がすごい中、なにもしない施設員が偉そうに、笛を吹いて厳しい指導をしていました 少し笑顔でいようものなら、時間を延長してでも漕がし続ける状況(罰則・体罰)でしたから、私たちも「めんどくさ」「うざ」と感じ、マジメなふりをしてやり過ごしました 確かにその様な事は私もあると思います。 研修等はこの手法で行っていた処も多くあったと思います。 とりあえず纏めると云う事でその様な手法もあったのだと思います。 >その後、その同じ指導・研修で、中学1年生の団体が、転覆事故を起こし、多くの犠牲者を出し、女子生徒が1名死亡したたニュースが、全国に響き渡りました 子どもたちは、私たち青年よりも、マジメだったのでしょう 結果、人が死ぬんですよね・・・なので、必要悪ではなく、悪はだめでしょうね 指導者の裁量が問われますが、余りに理不尽だとこの様な事も起こるのだと思いますが、指導者のこの様なタイプの人は「人が死ぬくらいで問題にするな、それは弱いから」と云う事で、それ以上に纏めると云う事でこの手法を用いているのだと思います(悲しい事ですし、許されないがその様な感覚な人が居るので無くならないのだと思います)