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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:1980年頃の国士舘や日体大の気質について)
1980年頃の国士舘や日体大の気質と体罰の問題
このQ&Aのポイント
- 1980年頃の国士舘大学や日本体育大学の卒業生の手記からは、殴り合いや暴力による序列形成の様子が伺える。
- 一部の教員や部活動では、暴力的な感覚に馴染めない生徒を嫌う風潮がある。
- 体罰の問題に関しては、一部には常識とは異なる考え方や治外法権的な状況が存在し、感情のコントロールに繋がることもある。
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私はあなたと同世代でしょう。 私が中学生の頃、国士館出身の角刈り・サングラス・ちょび髭の先生がいました。 あの頃は校内暴力などもあり、ある程度力で抑え込むことも必要だったのでしょうね。 ただ、その先生は女子バスケの顧問で女子バスケの子が練習前に頬を揉んでいた…何やってるの?と聞くと、部活ではたかれるからだと(笑) その先生は、試合中も平気でパイプ椅子をコート内に投げたりもしていたそうです。 それでも女子バスケは、県内でも指折りの強豪チームではありましたね。 (その先生、別な学校に転任したら、その学校の保護者から教育委員会にクレームが入り、大人しくなったと風のうわさで聞きました。) 確かに暴力的なのかもしれませんが、あの当時は力でバラバラの子達を纏めると言うのもありだったのかもしれませんね。 (女子バスケの子達も文句言わずバスケに打ち込んでましたから)
お礼
御回答有難うございました。 暴力的な人への対応から必要悪的なものがあったと思います。 唯特に暴力的でない人へもこのやり方を適応されると精神的に可笑しく成ったり、自殺と云う悲劇を生むこれが批判された原因かと思います。
補足
御回答有難うございました。 >あの頃は校内暴力などもあり、ある程度力で抑え込むことも必要だったのでしょうね。 ただ、その先生は女子バスケの顧問で女子バスケの子が練習前に頬を揉んでいた…何やってるの?と聞くと、部活ではたかれるからだと(笑) その先生は、試合中も平気でパイプ椅子をコート内に投げたりもしていたそうです。 それでも女子バスケは、県内でも指折りの強豪チームではありましたね。 (その先生、別な学校に転任したら、その学校の保護者から教育委員会にクレームが入り、大人しくなったと風のうわさで聞きました。) 当時「暴れる生徒」がおり、家庭の躾も大事だが、 その様な家庭の子は「決まりを守る」「思いやり」より 「負けるないわして来い」と云う親がおり、ここであげられた教師と似た様なタイプが多かったのです。 彼らはこの様な教師は「叱ってくれる有り難い人(例えば気合いを入れる、挨拶代わりの体罰)」と云い、 それを弱い処にぶつけるが、怖い教師が居るので表面上は纏まるとこの様な図式でした。 この様な感覚で纏まり、喧嘩するエネルギーなどを部活動に向けるこの様な事も伺えますが、私は「他で失礼な事をしてまで特定の者に服従出来ない」と思いましたが、彼等の事を考えるとこのやり方が最適なのでしょうか?