- 締切済み
昭和15年頃の中国の地名
- みんなの回答 (5)
- 専門家の回答
みんなの回答
- bad123des
- ベストアンサー率29% (7/24)
回答No.5
はい、当時の「桂口市」は現在「桂口郷」であり、崇陽県の一部となっています。湖北省(桂口が位置する省)と安徽省(蕪湖が位置する省)は省境を接しており、かつては日本軍が占領していた地域であるため、日本軍の活動範囲となる可能性がありますが、それほど近くはありません。
- bad123des
- ベストアンサー率29% (7/24)
回答No.4
さて、「桂口」は今でも地名ですが、崇陽県の町になっています。 また、実際には、「蕪湖」(省を横断する必要がある)にあまり近くありません。 スクリーンショットのためにスケールを非常に小さく調整したので、写真では近くに見えます。 写真の真ん中にある青い水路に気づきましたか? 実は揚子江ですが、写真ではとても小さく見えます。
- bad123des
- ベストアンサー率29% (7/24)
回答No.3
こんにちは、私は中国人です。 私の知る限り、昔は「桂口市」と呼ばれていたと思われる「桂口」というところがあります。 この場所は、現在の中国湖北省咸寧市崇陽県にありました。 1938年(昭和13年)、ここで戦争が勃発し、日本軍第11師団と国民革命軍第58軍がここで戦った。 もちろん、あなたの祖父はこの戦いに参加していなかったかもしれません。 しかし、彼がこの場所に行ったことがある可能性が非常に高いと思います。この場所は蕪湖からそれほど遠くありません,下の写真を参照してください。
質問者
補足
有力な回答ありがとうございます!今はもう地名としては残っていないのでしょうか?無湖からほど近いようですし,可能性としてはとても高いですね!
- oska2
- ベストアンサー率44% (2301/5116)
回答No.2
- takochann2
- ベストアンサー率36% (2420/6678)
回答No.1
汚れには厚みがありそうですので、叩くなどして厚みの所だけ剥がして光で透かしてみては。あるいは裏から見てインクの染み込みで分かりませんか。
質問者
補足
回答ありがとうございます。一部は爪ではがれたのですが,これ以上は傷みそうだったのでやめました。しかも,アルバムに一部張り付いていて,無理にははがせない状況なのです。
補足
当時は「桂口市」と言っていたのでしょうかね?距離は近く感じましたが,実寸だともっと離れているのですね。距離感がつかめませんでした。