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司馬遼太郎「最後の将軍」
司馬遼太郎「最後の将軍」についてです。 初めて、歴史小説的なものを読んだのですが、この作品はどこが史実でどこがフィクションなのでしょうか。 何は史実として信じていいのかわかりません。 具体的に、ここはフィクションだというところなどがあれば教えていただきたいです。
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客観的事実の部分は事実として読み、心情などの部分は小説だと思って読むのがいいのではないかなと思います。 例えば慶喜が将軍になったとか大政奉還したとか、大阪城を抜け出て江戸城に帰還したとかは客観的事実ですからそこにウソはありません。 ただ、他の回答者さんが書いたように「謀られた」と本当に思ったかどうかは分かりません。そこは心情の部分であり、当事者以外は分からないからです。そこは小説家の創作力が存分に発揮できる部分ではないかなと思います。 では小説家はどこからその着想を得ているかというと、様々な資料を読み込んで自分の中でイメージを膨らませているのです。 司馬先生は「司馬史観」と呼ばれる独自の歴史観を持っていて自分の作品にそれを取り入れています。何より小説家としての腕が優れていたのであれだけ売れっ子になりましたし、今でも人気なのだと思います。 しかしそうであるがゆえに事実関係をかなり変えてしまった部分も否めないとは思います。一番被害を受けたのが乃木将軍で、一番持ち上げられたのが坂本龍馬だったと思います。 司馬先生は戦争中は戦車隊に所属していて、帝国陸軍の理不尽な扱いも散々経験して終戦を迎えたので、日本をボロボロにした大日本帝国とその軍隊には青春時代を滅茶苦茶にされたという大変な怨みがありました。自身の軍隊経験についても「ペラペラの装甲のブリキの戦車に入れられて使い捨てにされるところだった」と恨みつらみを隠しもしませんでした。 だからその帝国陸軍で軍神とされていた乃木将軍は貶めないと気が済まなかったのでしょう。旅順要塞攻略ではとんでもない損害を出しましたから、それと悲惨な結果になった自身の戦争体験を重ね合わせたのだと思います。だから代表作の一つ「坂の上の雲」では、乃木将軍は無能扱いされています。 しかし日露戦争で相対していたロシア軍のクロパトキン将軍は、旅順要塞の防御力に絶対の自信を持っていたので、その難攻不落の要塞を攻め落とした第三軍を「最強の軍団」と非常に怖れていました。旅順要塞攻略後は第三軍がどこにいるのかを常に気にかけていて、奉天会戦では第三軍を気にしすぎて敗北したくらいでした。クロパトキン将軍は「第三軍がいるところが日本軍が最も重視する場所に違いない」と信じて疑わなかったのです。 また近年は日露戦争を「第0次世界大戦」と呼ぶ人も出てくるくらい、第一次世界大戦を示唆する戦争でもありました。第一次世界大戦では十分に準備された要塞を攻略することはほとんど不可能でしたから、その点でも第三軍は「奇跡を成し遂げた」といえるのかもしれません。 また坂本龍馬は名プロデューサー司馬遼太郎の最高傑作といっていい存在でしょう。一躍知らない人がいないほどの大有名人で高知県が生んだスーパーヒーローになり、幕末を扱った映画や舞台、ドラマやマンガでは出てこない作品はないといっていいくらいの必須な人になりましたが、歴史上の評価は特に近年はどんどん下がる一方です。 私も司馬先生の作品はいくつも読んでいますが、非常に読みやすいのでやはり小説家としての手腕は並大抵ではない(他の歴史小説は正直司馬作品ほど面白くないのが普通です)と思いますし、作品を書くにあたっては膨大な資料を読み込んでいたことで有名な方でしたからそこは尊重するべきだと思いますが、しかして「司馬先生は自分が作品で書いているキャラクターと実在の人物は違うことを承知の上で書いていたのではないか」と思うようにはなってきましたね。そこはなんというか「売れる」を考えたんじゃないかなと思うのです。 だから司馬作品で「ここが違うよ司馬先生」の域に達するには、結構その作品の知識が豊富にならないと難しいですし、そこも本当に正しかったかどうかも(真実を知る機会はないから)分からないところですね。 私も乃木将軍について考え直すためには、何冊もの日露戦争に関する本を読みましたからね。
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- 5555www
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歴史小説における「史実」と「フィクション」の境は明瞭でないと思います。もちろん、歴史年表にも載っているような事件など、明らかに「史実」と理解してもよい記述もあるし、本書にも記述されている登場人物の「発言だとか会話」として描かれている部分は、古文書に残っているものもあるかも知れませんが、小説の主旨をわかりやすく強調するために、多分に作者の創造も含まれていると思います。また、どちらとも「判断のつかない記述」もあると思います。 また、小説の最終盤に、慶喜が鳥羽伏見の戦いの最中に、大阪城から、ひそかに逃げ出すところがあります。小説では、 慶喜は、艦が紀淡海峡を南下しはじめたとき、もはや大丈夫とおもったのであろう、板倉らを船室によび、はじめて自分の心境と今後の方針をあきらかにした。江戸に帰ったあとは抗戦などせぬ、ひたすらに恭順する、その一事をつらぬく、といったのである。 (謀られた) と、かれらはおもった。容保、定敬にしてもまわりは海であり、手もとに自分の家来は一兵もおらず、慶喜に圧力をくわえる手段はなにもなかった。 「肥後守殿、おわかりくだされたな」と、慶喜は念をおした。 とありますが、本当に「(謀られた)とおもった」かどうかは分かりません。しかし、作者のこの小説にかける思いからすればこの表現が良かったのだと思います。 佐賀の鍋島藩の藩士だったと思いますが、山本常朝という人が、武士道というか武士の心得を説いた「葉隠」を著しています。その中に、「武士道といふは、死ぬことと見つけたり」というのがあります。 司馬遼太郎は、「最後の将軍」の中で、「慶喜には、武士の棟梁(将軍)としてのこの死ぬという覚悟が足らなかった。」と言いたかったのではないか、と私は解釈しています。私も同感です。しかし、史実は本当にそうなのか???という疑問はあります。もし慶喜が戦っていたら、その後の日本はどうなっていたでしょうか???おそらく、今日の日本はもっと違った姿になっていたと思います。欧米の植民地として歩かなければならなかったかも???そのように考えると、小説の中身の史実、フィクションよりももっと興味深く読むことができるような気がします。 司馬遼太郎の作品は人気がありますし、私も好きでしたが、いわゆる「司馬史観」というのも、いろいろ見直されていると聞いたことがあります。 磯田道史という歴史学者が、『「司馬遼太郎」で学ぶ日本史』という本を著しています。その本の「はじめに」で 大学生は面白いことに、大学教授の本よりも司馬遼太郎さんの本を多く読んでいます。 しかし、大学の歴史講義では「あれは文学」とされて、教授と学生が司馬文学について語り合うことは、まずありません。 その意味で本書は、歴史学者が「司馬遼太郎」をあえて正面から取り上げ、司馬作品から入って、体系的に戦国時代から昭和までの日本史を学ぶ珍しい本です。 と記しています。面白い本です。無理にとは言いませんが。 「歴史小説」というのは、楽しんで読めばよいと、私は思います。本当の歴史を知りたいのであれば、私のような素人には無理だし、その気もありませんが、やはり「古文書」をしっかりと読みこなすということが第一段階になるのではないかと想像します。
お礼
ありがとうございました。
- oska2
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>この作品はどこが史実でどこがフィクションなのでしょうか。 渋沢栄一著書の「徳川慶喜公伝」を読めば、分かります。 このHP上で回答するには、文字数の関係で困難。 慶喜は、大政奉還以降について何も話す事無く崩御しています。 唯一の公的・私的な関係者であった渋沢栄一のみが、詳細を知っています。 2017年、慶喜家4代目義朝さん(広告代理店・カメラマン)死去により慶喜直系子孫は断絶しました。
お礼
ありがとうございました。
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