敗戦前から公務をこなしていましたよ。大正天皇がちょっと知能に問題があった人なので、若いうちから代わりに公務をこなしていました。
とはいえ、昭和天皇の本質は「学者」で、皇帝はお望みの仕事ではありませんでした。
例えば二二六事件が起きたときは、青年将校らが政治家を暗殺もしたので、その報を聞いて激怒し「朕みずから一軍を率いて逆賊を討たん」とおっしゃったと記録に残っています。
また、敗戦の決断は結局のところは昭和天皇による決断です。元々昭和天皇は自分が留学していたイギリスと戦争するのは反対だったのです。ここらへんは長くなるので割愛。
江戸時代の天皇は「いるだけ」の存在でした。立場としては将軍は天皇の部下になるのですが、実際の権力は将軍(征夷大将軍)が持っていました。
歴史的には天皇に実権があったことはほとんどありません。平安時代は誰を天皇にするのかは藤原氏などが決めていました。平安末期にそれは平氏の天下となり、源平合戦で源氏の世の中になると征夷大将軍が権力を握り、それから江戸時代が終わるまで武士の時代となります。
後鳥羽上皇とか後醍醐天皇など、たまーに「俺が天皇なんだから、俺が一番権力を持ってないとおかしいやろ」と思って権力を取り戻そうとする天皇が出てきますが、だいたい戦乱を巻き起こして失敗してどこかに流されるのがお約束です。
「天皇は実権を持つことより、実力を持つ者にお墨付きを与える権力公認機関として存在することにより、逆に命脈を保った」と唱える人がおり、これを天皇機関説といいます。
お礼
ありがとうございます 徳川の頃は実権はなくても、お飾りとしての仕事はあったのですね。