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人生全体を見た時の本当の幸せとは?
- 人生全体を見た時の本当の幸せとは何でしょうか?自分にとっての幸せがわからなくなり、前向きな気持ちが起きません。幸せは人によって違うと思いますが、仕事や家族、お金や名声など自分が幸せを感じられる絶対的な価値観があれば良いと思います。
- 職場での搾取や努力の報われなさにやるせなさを感じることがあります。社会を支える公務員としての職責を貫きたいと思い、環境改善に努めていますが、異動で全てが白紙になったり、新しい環境で同じことが繰り返されたりしています。
- 家族が健康で仲良く円満なことだけでも幸せなのか、自分の絶対的な幸せは何なのかわかりません。安泰で平穏な人生を送ることが最大の幸福なのか、それとも卑怯な人や自己中な人も幸せな人生を送るのか疑問に思います。人生全体を見た時の幸せや生き方について、どのような考えをお持ちですか?
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質問者が選んだベストアンサー
人間、できることはできるし、できないものはできません。 今の質問者さんは、できないことをなんとかしようとして苦しんでいるように見えました。 なので、ここを線引きできるようになるしかないかなと思います。 質問者さんがどんなにがんばっても、質問者さん自身が救える方は少ないです。 また。夢を砕くようで申し訳ないですが、たとえ質問者さんが心血を注いでも、福祉に関心のある同僚がたとえ携わっても、福祉に関心の薄い同僚が関わっても、だれにも改善できない状況もあります。(心療内科など別の専門家の力が必要な場合など) ということを踏まえて。 社会支援や福祉に関心のない同僚が、出世しないほうがいいと思いまか。 したほうがいいと思いますか。 現場にいる人間は、福祉に関心がある人の方がいいとわたしは思います。この点で、関心のない人間が出世して現場から消えてくれることも、ある意味では支援を受ける者にとっては幸せな結果になります。 (支援を受ける人間に、直接害が及ばなくなるという点で) たとえ出世した同僚が足を引っ張るとしても、質問者さんは「状況を改善するために動ける方」なのでしょう? その努力が、質問者さんの異動でゼロになるかどうかは、残された人間次第のはず。(質問者さんは一からやり直しになりますが) それとね。 >努力している人が正当に評価されるわけでもないことに、妙な失望を覚えます。 今だけを見ていたら、確かに状況は厳しいように思うかもしれません。 ですが、質問者さんが関わらなくなった後にも、出会った方の人生は続きます。 たとえ接点がなくなった後でも、その方が幸せになれるように考え行動することも、支援ですよね。 なら、今だけを見て失望せず、未来を信じてあげてはいかがですか。 その信じる気持ちが相手に伝わり、活力を生むこともあるとわたしは思います。 社会支援や児童福祉は、ある種やりがい搾取の職場なのだと思いますから、質問者さんが心をすり減らしてしまい、前向きな気持ちになれなくなっている部分も大きいと思います。 ですが、本当に長く携わっていきたいのであれば、肩入れしすぎないことも大切になります。 そこで最初に戻りますが。 人間、できることはできますが、どんなにあがいでもできないことはできません。 ここをしっかりと踏まえて、自分が改善できることに集中し、力を注ぐこと。 これしかないと思いますよ。 人生全体を見た時の幸せなんて、わたしはないと思います。 幸せなんて流動的で、留めておけないものだと思いますから。 これがしあわせの形だと、形を決めればいずれどこかでゆがみが生じます。 ※どこかが欠けたら幸せじゃなくなりますか?(ならないというのなら、元から形など必要ないんです) 水のように、空気のように、都度形を変えながら寄り添うもの。 それが幸せじゃないでしょうか。 形がないから、見えないから、当たり前にあるから、ついついないがしろにしてしまうものでもあると思いますよ。 幸せという形にこだわらず、今の自分の「幸せだと思う気持ち」を大事にすること。 その積み重ねが、人生を振り返った時に「幸せだ・幸せだったのだ」と言わせるのだと思いますよ。
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- nagaineko
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>自分が幸せを感じられる絶対的な価値観があればよいとは思いますが、 その通りだと思います。絶対的な価値観で生きている人は強いです。 そこに向かって一心不乱に行きますからね。 ある意味、楽ですよね。いろんなこと考えなくていいですから。 でも、そういう人は少数派であって、ほとんどの人は相対的な 価値観で生きているんだろうと思います。要は、周りとの比較の 中で幸せを感じるタイプであるということです。 あなたも典型的なこちらのタイプですね。 他の人のことがすごく気になるんだなと思いました。 でもね、人のことを気にしたところで、いいことなんてほとんど ないんですよ。 人は自分の思い通りにはなりませんからね。 >仕事の場で正当に評価されなくたって、プライベートが幸せなら、それでいいです。 最終的にはこの境地に至ることができれば、少しは気持ちが楽に なるんでしょうけど、今のあなたは、そうじゃありませんよね。 ですから、ここで不平不満を書いているわけで。 あなたの言ってることは十分わかります。 子供のころから教え込まれてきた理想と、今社会に出て自分が 直面している現実とのはざまで、葛藤しているんだろうと思います。 私もそういう時期がありました。 自分は人のためを思って、正しいと思うことをやっているのに、 ずるがしこい奴の方が評価を受ける・・・。はっきり言って、 面白くなかったですね。でも、それが現実なんですよね、良いか悪いかは置いといて。 しかし、雇われるということ、組織で働くということ、は、 雇い主の意に添うように働かなければ、評価は受けないだろうし、 それでいて、搾取もされる、ということなんだろうと思います。 いくら正論をぶち上げたところで、これだけは、どうにもなりません。それが嫌なら、独立して、自分がトップに立つしかありません。 >何のために頑張ってるのか、わからなくなります。 頑張れば、評価されると思っていたのに、現実はそうじゃありませんからね。なので、ここからが、正念場なわけです。 じゃあ、この先、自分はどうやっていくのか?ってことを 真剣に考えなければいけないわけです。 落としどころはいろいろあります。評価を受けるために、自分が正しくないと思っていることをやるのか、評価はされなくても、自分を 貫くのか、はたまた独立を目指すのか、などなど。それは人それぞれ でしょう。 >自分のしていることは間違っていないし、正しいです。(公務員としての職責のことです。)なので、変えるつもりも、変わるつもりもありません。 あなたがそう思っているように、他の人だって、自分は正しいって 思っているのもなんですよ。あなたにとっては意外に思うことかも しれませんが、案外そういうものなんです。ですから、人と関わっていくっていうのは本当に難しいんです。 >家族がみんな健康、無事で、仲良く円満。 それだけでも充分幸せですか?それって、なかなか得られないものですか? 当たり前の人にとっては当たり前のことですが、これって、 意外と難しいことなんだろうと思いますね。 まあ、これだけで、十分幸せかどうかは人によるでしょうから、 それはなんとも言えませんが。 >他の人の家族関係なんてわからないから、 「あぁ、私は家族が円満なだけでもこんなに幸せなんだ」と実感することもいまいちできません。 相対的な価値観で生きていると、そうなりますよね。 絶対的な価値観で生きている人なら、他人の家族関係とか 関係ないですから、この時点で幸せを感じるんでしょうけどね。 >・仕事が生き甲斐で、仕事一筋だったから、昇進もできたし、名声も得られたが、家庭が疎かになり、親子関係が破綻。 ・自分が楽することしか考えず、面倒なことから逃げていたから、老後、孤独を味わう。 などのことはよく目にしますが、本当ですか? もちろん、みんながみんなそうとは限らないでしょうけど、 そういうパターンは結構あるんじゃないですかね。 >家庭も、仕事も、友人も、仕事で関わっている人も、全てのことを自分のできる限り大事にして、金銭的にも堅実に、真面目に生きていれば、安泰で平穏で、幸せな人生になるでしょうか? そんな単純なわけないでしょう。 先にも言ったように、人は自分の思い通りにはなりません。 いくら自分が頑張ったところで、人が自分の期待に応えてくれる 補償は全くありません。その部分を自分の中で、どう消化していくのか、それができないと、イライラして、喧嘩して、終わりです。 >安泰で平穏であることは、なかなか得られない最大の幸福だと思いますか? 最大の幸福かどうかはわかりませんが、社会で生きていくということは、他人と関わりながら生きていくということです。自分の思い通りにはならない他人とのかかわりの中で、安泰と平穏を感じながら 生きていくというのは、はっきり言って簡単なことでは ありません。そういう意味では、貴重なことだとは思います。 >それとも、やはり、卑怯な人も、自己中な人も、結局最後まで、それなりに幸せな人生になってしまうのでしょうか。 そういうパターンも多々あるでしょうね。 極端な言い方をすれば、人間なんて、みんなエゴの塊なんですよ。 自己中なんです。 自分のためにならないことなんて、やらないんです。 ボランティアの人だって、それをすることで、自分の気持ちが 満たされるからやってるわけで。嫌々我慢してやってるわけじゃない。それはあなただって同じじゃないですか?自分が頑張ることで 助かる人がいる。そこに喜びを感じれるからやれるんでしょう? 自分は自己中じゃないが、他人は自己中だ、みたいな考えは 改めたほうがいいと思いますね。 >自分のしていることは間違っていないし、正しいです。(公務員としての職責のことです。)なので、変えるつもりも、変わるつもりもありません。 これは、あなたの立場から見れば正論ですが、 ちょっと見方を変えれば、自己中以外の何物でもありません。 私は、別にそれを非難しているわけではありません。 それでいいとおもいます。ただ、自分も自己中なんだという 認識は持っておいた方がいいと思いますね。 >人生全体を見た時の幸せとは、また、そこに結びつく行いや生き方とは、何だと思いますか? 結局、他人と比べてるうちは、しんどいでしょうね。 相対的な価値観から絶対的な自分オリジナルの価値観への 移行が一つのポイントのように思います。 まあ、あとは、理想と現実とのギャップに、どうやって、 自分なりに折り合いをつけていけるか、でしょうね。 文句を言いたいことって、いくらでもあるんですよ。 でもね、文句を言ったところで残念ながら何も変わらないんですよ。 現実は受け入れるしかないんです。 そこを自分の中で、うまく消化できるっていうのは、大切な 要素なんじゃないかと思いますね。
お礼
理想と現実とのギャップに折り合いをつけて、相対的な価値観から絶対的な自分オリジナルの価値観へ移行する。 これは、思考法を変えるってことですね。 折り合いをつけながら、やるべきことも変えず、自分自身は幸福度が高まるような思考法をする。 なるほど、何だか意味はなくだたポジティブになれる気がします。 同じように苦しいことに遭った時にも、「やれやれ何だか妙な試練が与えられてるな〜」くらいの気持ちでやり過ごせるかもしれません。 自分のしていることを無条件にもっと肯定していけばよいのかもしれませんね。 ありがとうございます。
補足
人がみな自分の考えの中で生きているから、言ってみればみんな自己中だということはもちろんわかっていますよ。 自分と違う考えで生きているひとを尊重しなければならないことも、当然わかっています。 問題は、人は自分と違うのに、相手を圧力や言葉の暴力で変えていこうとする人たちから、自分の心を守り、 幸福度を下げないでいられるメンタルは何をもって維持できるか、 自分の中の絶対的な価値が見つけられないことです。
- zabusakura
- ベストアンサー率14% (2381/15944)
そういった支援をする場所にありながら、不平や不満ばかりを並べて、挙げ句その職務を蔑ろにする周囲に失望して、やり甲斐や幸福を感じられなくなっても仕方なくはないですか? そういう職場であっても、あなたと同じ気持ちで仕事をしている人ばかりじゃないというのは理解されてますか?能力も、あなたと同じでは無いと思います。 公務員だから安泰とか、別に自分が希望したわけじゃないし、そもそも人の為なんて考えて無いしという人も居て当然なんだから、あなたと同じを求められても・・・という感じでは? そこに遣り甲斐を求めるんなら、そういう人達の認識、考え方を変えるということをしなければ、嘆くだけでは、幸せには近づかないと思います。 私も実際、そういう経験をしてるので。当時、私が一番、下っ端でした。(まだ学生だったのでアルバイト)登校拒否とか長期入院や、繰り返し入院してくる子達の学習支援をしたいと一人で始めました。(そういう子達の不安の解消がしたいと)最初は誰も協力者は居ません。徐々に自分が結果を残すことで最終的に全てのスタッフの協力とサポート、学校との連携でシステムも出来上がり私が担当した子は学校に行けるようになり、それからは登校拒否になることも無く通えました。他の子達も不安のある子達は、声を出してくれて体調が落ち着いてる子は実習生が勉強を見たり学校から学習支援してもらえるようになりました。 「困っている人が支援を得られる社会をつくる、そういう社会に近づける働きをすること」が幸せと思い、幸せでいたいなら、自分一人でなんとかなることでは、無いから周りの人の意識改革をすることが、それに 近づくことじゃないんですか?何で、それをしないんでしょうか? あなたの幸せの為に、周りの人に変われって言ってるみたいに感じます。 最初は一人で始めたことが、病棟、保護者、看護学校、学校、登校拒否をしてた子のクラスメート皆、協力してくれましたし、そのシステムは 私が始めてから15年以上、経って偶然、話の流れで娘の通ってた学校の養護教員との話で出て「先生、それ私が学生の頃、始めたことです。」と。発展、継続して残っていたことに驚きと感動が有りました。 それで助かる子が増えてるといいなぁと。 仕事の、やりがいは自分で見つけて具体的に計画して行動して得られるものじゃないですか? 私は自分が関わることで、何か私と出会って良かったなと思ってくれる人が居ればいいなぐらいの気持ちですが、書いたことは一例ですが、 そんな感じで、やってると感動や感謝をいただくことが多いです。 自分の幸せの為にやってる訳では無く、結果として幸せな気持ちにして貰ってます。ありがたいと思います。
お礼
申し訳ないのてすが、それは回答者様の環境がまだ恵まれていたからだと私は思います。 働きかけ、行動しようとしても、その途中で邪魔をしてきたり(他の人と話し合いをしているところに割って入ってきて、相手を連れて行く)、結果を残しても、他の人の手柄にすり替えられたりしました。 自分の労力が全て搾取されてきました。 自分のしたことは、それをした当事者の方のためなので、決して無駄ではないと思いますが、 私のしたことがノウハウや方法として引き継がれたり踏襲されてなんかいないし、 一時的に利己的な人たちに使い果たされて終わりです。 今いる場所は前場とは違い、新しいことを進めようとすれば協力的に進んでいく雰囲気のある場所です。 だから私も、ここではやれるだけのことをやっていこうと思っています。 けれど、傷は残りますよ。同調圧力や邪魔が未だに怖いです。 よいことをよいと認めることができず、結果だけを求めて、人の功績を奪ったり潰したりする人間もいます。 働きかければみんなが協力してくれるというのは、その環境に恵まれた人の言葉です。 私の求めているのは、そういった環境に恵まれなくても、たとえ理不尽な目にあっても、 それでも自分が幸せだと自分で感じていられる境地に、 どのようにしたら立てるか、という質問なんです。 ただ、ご回答者様のお働きは素晴らしいと思いましたし、また、そういったことに協力的に動いてくださる方々が、それを引き継がれていくノウハウにまで変えられて、継続されていることも、素晴らしいと思いました。 そのような方たちに頑張っていただけることで、着実に変わっていきますね。 希望を持てる環境で頑張っている方たちもいることを知ることができてよかったです。 ありがとうございました。
- pipipi911
- ベストアンサー率22% (1029/4602)
[《人よりも裕福になりたい》 《人よりも美しくなりたい》 《人よりも健康になりたい》 そんな「人より優れたい」という心が この世界の不幸の原因なのです。 (David Dellinger)] ということで、この逆の人生哲学なりが 「幸福への道」なのかも しれませんな。 ふろく: 「幸福」とは: 《人に愛されること》 《人に褒められること》 《人の役に立つこと》 《人から必要とされること》 (「幸福の4要素」) [人生とは、素晴らしいことと、煩いことのアマルガムだ! (Martin du Gard『チボー家の人々』)] 「大切なことは、何をしたかではなく、何の為にしたか」 これが、幸福になれるヒントだそうです。 4つの幸せホルモン: 愛情と思い遣りの「オキシトシン」 安心とリラックスの「セロトニン」 やる気の「ドーパミン」 気分高揚の「エンドルフィン」 をお味方にするのを忘れませんように。 [先ずは、アナタ様にとって、不幸な状況・感覚は どうようなことなのか、それを列挙してみては 如何でしょうか。で、その逆のステージや 果実とは、無縁なところで、暮らしませんか] 私は、或る時、 アフリカ系アメリカ人の若い男性から 悲しみをもシェアすることを教えられたのですが、 いまはそれを含めて、 有るが侭を、有るが侭に、 のスタンスで生きております。 ふろく: 『死ぬときに後悔すること25』 (大〇秀一 著) を読んで、みませんか。 参考になる筈です。 Good Luck. Ciao.
お礼
《人に愛されること》 《人に褒められること》 《人の役に立つこと》 《人から必要とされること》 これが幸福の条件ならば、私は幸福だと思います。 仕事で人事的な評価はなくても、この条件なら満たしています。 日々、誰かに声をかけ、かけてももらえ、褒めたり褒められたりする人もいる。 評価はされなくても、役に立つことはできているし、私が必要な場面もある。必要とされることもある。 私は、幸せなのでしょうか。 でも、 今の私には、セロトニンもオキシトシンも、ドーパミンもエンドルフィンも、確かに不足しています・・・。 自分でわかるんです。 私が不幸を感じる感覚は、その「人よりも優れたい」という人たちが自己顕示欲のために周りを蹴落としたり、貪ったり、既に評価されている人に群がり迎合するだけで主体性がなく、力あるものにだけ諂う人間に溢れた、混沌とした環境に自分が置かれている時の、憤りです。全てが惨めになるんです。 しばらく、プライベートの時間を使って、 自分が会いたい人とだけ会って、自分が楽しいと思うことだけをして、 少し、他者への不信感を払拭する必要があるのかもしれません・・・。 みんながみんな、自なりの目標、自分なりの幸福の中に生き、他者を貶めず、お互いを温かく尊重できる場所があるなら、 そこに行きたいです。 ありがとうございます。
- zabusakura
- ベストアンサー率14% (2381/15944)
・仕事が生き甲斐で、仕事一筋だったから、昇進もできたし、名声も得られたが、家庭が疎かになり、親子関係が破綻。 ・自分が楽することしか考えず、面倒なことから逃げていたから、老後、孤独を味わう。 そんなことも有り得るでしょう。 家庭も、仕事も、友人も、仕事で関わっている人も、全てのことを自分のできる限り大事にして、金銭的にも堅実に、真面目に生きていれば、 安泰で平穏で、幸せな人生になるでしょうか? 人が絡めば、色々な人が居るし、時には予測も出来ないことも起きたりしますから(天災、事故、病気、夫の浮気など)真面目に生きてても必ず安泰、平穏とは行かないと思います。 卑怯な人も、自己中な人も、結局最後まで、それなりに幸せな人生になってしまうのでしょうか。 幸せの認識は人それぞれ違いますから、平穏な生活なんて退屈。刺激が無いとって思ってる人もいるでしょうし、人を陥れるのが何より楽しいと思ってる人も居ますから。 仕事で必ず全員が正当に評価されるなんて有り得ません。皆、同じ考え方じゃないですから。 狡かったり自己中のくせに仕事で評価されて、プライベートも幸せだなんてことがあったら、 何だか、自分のやってきたこと、やってることって何なんだろうって思ってしまいますよね・・・? おっしゃってることは判りますが、自分が絶対、正しいと思ってることも見方を変えたら間違ってるとか、足りない部分があったりも充分、有り得ますから。基本的に、他人と比べて、どうとかという考え方はしないので、人が狡くて自己中でプライベートでも幸せでも、自分に害が無ければ何とも思いません。 人生全体を見た時の幸せとは、また、そこに結びつく行いや生き方とは、何だと思いますか? 自分だけの基準だから、人と比べたり、自分の幸せを考える時に人が、どうとかという考えを入れると、それは幸せを考えると、純粋な幸せには辿り着かないというか、ぶれる気がします。
お礼
でも、その自分の幸せの基準が、「困っている人が支援を得られる社会をつくる、そういう社会に近づける働きをすること」だとしたら、 社会的なことに一喜一憂してもおかしくはないとは思いませんか? そういった支援をする場所にありながら、不平や不満ばかりを並べて、挙げ句その職務を蔑ろにする周囲に失望して、やり甲斐や幸福を感じられなくなっても仕方なくはないですか? 実際、周りがどうあれ、私自身は変わるつもりもないですし、変わらなくてよいと思っています。 それでも、私一人が何かをしたところで、それが何になるのだろうと考えて、 本当にそんな生活をしていくことは自分の幸福になるのだろうかと考えてしまいます。 単純に利益や利潤を追求するだけの仕事とは違いますし、自分の中の絶対的な価値だけでは考えられません。 それでも、時々、新しい制度や、より多様な価値観の人が生きていきやすい仕組みが導入されたことを知ったりすれば、一時の安堵を覚えたりもします。
- Granpa1969
- ベストアンサー率22% (619/2744)
そうですねぇ・・・ 一点だけ、質問者さまに言いたい事。 >家族がみんな健康、無事で、仲良く円満。 >それだけでも充分幸せですか? >それって、なかなか得られないものですか? 失ってみれば実感できますよ。 取り戻そうと思っても、一度失ったら元には戻せませんので。
お礼
家族がみんな無事に、健康で生きてるだけでも幸せ。 そう思って、今の幸せを実感して生きます。 ありがとうございます。
- kaitara1
- ベストアンサー率12% (1154/9141)
幸せとはつかの間の無事としか思えません。儚いものだからこそ貴重なのでは。何もしないで得られるものでもありませんが、何かをやったからといって得られるものでもないと思います。山のあなたに・・・という有名な洋詩がありますね。
お礼
幸せとはつかの間の無事。 だとすれば、平穏な今をただ大切に感謝すること。 明日も無事ならまた感謝する。 そうして毎日、何事もなかったことを感謝し続けることが、幸せだということですね。 そうかもしれません。それでいいのかもしれません。 しばらくその生活を続けていく中で、自分の中でその考えが習慣化していった時に、幸福度が増しているかどうか。 やる気が湧いてくるかどうか。 幸せだと思えるようになっているかどうか。 参考にして、試してみたいと思います。 ありがとうございます。
- ao5k080126
- ベストアンサー率13% (28/205)
自身が一生懸命であったとしても、評価するのは他人です。認めてもらうことが幸せならば、愚痴ってないで認められるように努力工夫です。
お礼
それがわからないのですよね。 自分は、何をどう評価されることが幸せなのか。 評価といっても、色んな評価がありますので・・・。 言ってみれば、自分が評価されたい視点で評価する人が周りにいないことへの不満なのかもしれませんが。 評価されたくないことのために頑張ることは無意味です。 評価よりも、幸せかどうかが、今の私にとっては大事なことですが、 その幸せも、社会と連動しているものだから、幸せのあり方がわからないのです。 ご回答ありがとうございました。
補足
すみません、それは、仕事での評価を諦めて、家族が幸せになれるように、家族からの評価を高めて、幸せを高めればよいということでしょうか? それならできる気がします!
- sutorama
- ベストアンサー率35% (1689/4748)
私は、とにかく爪を隠して生きています もちろん頼まれれば出しますし、自分の心根に従うときも出しますが、それ以外のときはあえて出すことはしません また、だいぶ前に自己評価は捨てています なげやりな感覚ではなく、この社会は所詮、人からの評価が全てです しかし、高評価を受けようとすれば、疲れるだけですし、人にいいように思われたい・・どのような方法をとったとしても・・となれば、書かれているような人たちと同じになります 正しく生きる・・・で、良いと思います それに加え、自己評価は捨てる決意でしょう 謙虚・謙遜・・・で、ときどき、そんなことができてしまうんですね・・と言われるほどの爪はしっかりと研いでおく、で良いかと思います 出した爪が誰でもできるようなことなら、爪と言いません 能ある鷹とまでは自己評価しませんが、誰かの助けになれば御の字の人生で良いと思います あいさつする・人を気遣う・声をかける・・・こんな当たり前のことさえできない人とは自分はちがう所で思考している・・・ぐらいで良いですよ あとは書かれているように家族の幸せ・・将来のこと、そこに邁進されて十分だと思います 見つけたら道のゴミを拾う・・・誰も見ていませんから評価もされませんが、自分が正しいことをしていることは真実です そのような人たちがいるから、当たり前に毎日歩いている道もきれいなんだと将来、お子さんに言えるような人生を考えてみてください
お礼
見つけたら道のゴミを拾う・・・そのような人たちがいるから、当たり前に毎日歩いている道もきれいなんだ そうなんですよね・・・。 困っている人を助ける。自分の力で頑張っていきたいと思う人を後押しする。 見えないところでの正しい、美しい行いってたくさんあるのに、 評価されるのは、ごま摺りと迎合の得意な人ばかり。 毎日ただただ、正しいことをやっているだけなのに、 ズルして得してる人間で固まって、弱い者いじめばかり、その真面目な仕事まで邪魔してきて。 そういう人たちがいる一方で、私みたいな人間もいないと、救われない。 そう思ってるから、ただただ自分の職務に専念しているのですが。 自己評価を諦める、ですか。 自己評価は諦めるけれど、正しいと思うことは淡々と行う。 邪魔してくるものも気にせず、淡々と。 確かに、その心持ちを手に入れられたら、楽になれる気がします。 そうしているうちに、何かが着いてくれば恩の字、いいですね。 参考にします。 ありがとうございます。
- sp550uz
- ベストアンサー率49% (543/1090)
『戦争が無い国』ってだけで、十分、幸せですよ。50代ですけどチョー田舎でド貧乏を経験してる自分にとっては、「今日のご飯が食べられる」ってだけでも、十分、幸せです。 今日は、発達障害児の次女の誕生日。高校2年生です。将来的に悲観する要素は多々ありますが、なにより『今』が大事です。児童福祉系の職員の皆様には、大変お世話になっております。心より感謝申し上げます。おかげさまで、定時制高校の2年生。支援級や支援施設、不登校児の支援等々、本当にお世話になっております。 個人的にですが、私は『正しさや信念(モットー)』は持っていません。ソレを貫いたところで、何になりましょうか。ソレこそが、己を苦しめているのではありませんか? 学校で行われる『命の授業』。大事な事です。児童は「命って大切だね」「親に感謝しなくちゃ」というのが、理想の回答です。一方で、自傷行為や希死・自殺念慮が有る児童は「そう思えない自分」に、更に嫌悪感を感じるのです。『命を大事にして欲しい』という授業が、かえって、『生きる希望を奪う』という皮肉。 その子らの言い分は「人間以外の命は大切じゃ無いの?」「牛や豚やニワトリは食べるのに」「人間に害がある虫は殺すのに」と。発達障害と言われますが、実に繊細で、観察力に長けているのです。 地位や富や名声を得た方々でも、幸せの基準が分からなくなるのでしょう。いや、「だからこそ」ですかね。得れば、いつか、失います。「愚行には、いつか罰が当たる」とは、日本古来の教えです。 『他人と比べないこと』。次女と接していると「フツーってなんだ?」って、考えさせられますよ。発達障害児を育ててみて、初めて気付くことが沢山有ります。真面目すぎるのも、キツいです。もし私が真面目くんだったら、子どもにとっても妻にとっても、最悪の家庭だったでしょうね。フツーに出来ない事を、甘えやサボりと罵ったことでしょう。 相談する側としては、たまに「他人だから(理想論で)言えるんだよ」って事を言われてヘコむ事もあります。待望の子どもが発達障害って診断されたら、どうする? 冷静で居られる? そんなはずは無い。コレは『幸せなことじゃない』って思わない? って。 『人間万事、塞翁が馬』ですよ。その時々の不安や不満はあるモノです。私は今が幸せです。知らない世界を教えてくれた次女に、心から感謝しています。そして、何事にも懸命な貴殿に、心から「ありがとう」と申し上げたい。 「感謝の言葉は麻薬です」って、NHK連ドラ『おかえりモネ』の一場面。ドラマやアニメから学べることも多いですよ。あまり根を詰めないで。「成功は上司の益。失敗は部下の責任。」ってのは、定石です。逆が理想ですが、現実は厳しいモノです。 イヤな雰囲気を醸し出してる人も、今までで生きてきた中の裏には色々あるもんですよ。『健康で文化的な最低限度の生活』という漫画も、なかなか読み応えがあります。『努力してる人が正当に評価される世の中』じゃないことは、当然と言えば、当然な事。 ボクシングマンガ『はじめの一歩』では、「努力した者が皆成功するとは限らん。でも、成功した者は、すべからく皆、努力しておる」と。オリンピックの金メダルなんて、皆、人並み以上の努力してるんですよ。でも、金と銀の差は、あまりにも大きすぎます。 長文・駄文・誤字陳謝。失望しないで下さい。『社会支援、児童福祉』に関わる公務員さんが失望していたら、私ども平民は、何を頼りにすれば良いのでしょうか。
お礼
ありがとうございます。 確かに、視点を変えれば、違うものも見えてきますね。 現場に求められている人間だから、そこにいる価値もありますね。 関わった人たちの未来を信じてあげる。 そのために、今の自分は、自分の範囲でできること、他の施設等と繋げる支援をすること、協力体制を作っていくこと、自分にできることをすること、ですね。 目の前のことに邁進するより、過去を生きてしまっている自分がいました・・・。それも、自分が不幸だと感じていた時の過去に。 そうですね、これからまた、自分が「幸せだ」と思う時間を重ねていって、振り返った時に幸せだったと思える自分の人生を作っていくしかない。 自分のしてきたことを、もっと肯定して、「これでよかったんだ。だから今の自分がいるんだ。これでいいんだ!」と何かを掴んで、実感していけるところまで、 またとことん邁進してみようと思います! ありがとうございます。