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「自分教」覚った人は強いのか?
- 「自分教」とは、自分の思いが絶対という考えを持つ人々のことです。
- 彼らは自分が正しいと信じ、相手を認めず攻撃する傾向があります。
- この考え方は強さを持つ一方で、周りの人との関係や幸福を犠牲にすることもあります。
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質問者が選んだベストアンサー
織田信長に関してかなり誤解というか曲解されてらっしゃいますが、彼は質問者さんのイメージとは違って、我が道だけを進んでいたわけではないんですよ。 まず彼が京都に入ったときは、足利義昭を奉じています。あくまで信長は「義明の家臣」という体になっており、信長も表舞台では義昭に頭を下げています。純粋な戦国大名としての実力は自分より格下の浅井長政に対しては美人で有名な妹を嫁がせてご機嫌を伺っています。 比叡山を焼き討ちにしましたが、当時比叡山は手広く金貸しをやっていて、その金利は年利にして48~72%にもなるというエグい高金利でした。返せないとコワモテの僧兵がやってくるんだから、闇金ヒエイザンくんですよ。比叡山が焼き討ちされて借金の証文が焼失して、助かった人たちが大勢いたのではないでしょうかね。 晩年、彼は長年の重臣を30年前の遺恨などをネチネチと責め立てて追放していますが、逆にいうと30年も我慢していたのです。 信長は超理系の理論家ですよ。ポルトガル人から地球儀を見せられて「地球は丸い」という説明を受けたときの信長の感想が「なるほど。理にかなっている」だったんですよ。「理にかなっている」ってのがポイントでね。論理的に考えたってことなんです。 質問者さんは信長を「我が野望のためなら誰かれ構わず我が道を邁進する。邪魔者は容赦なく潰す」という人間だと思っておられるようですが、実際の信長は「あらゆる手段の中から最も合理的で現実的で最短のルートを考える」という戦略家だったのです。ただ、その最も合理的なルートが時に合理的過ぎて世間が追いつけなかったのです。 本能寺の変の直前、信長は突然官位を返上してしまいます。慌てた朝廷は「関白、太政大臣、征夷大将軍の中から好きなものを選んでくれ」といいましたが信長の返答は「要らん」でした。私が知る限り、関白と太政大臣と征夷大将軍の好きなものをもってけといわれた人は日本史上で信長だけだと思います。信長が官位を返上した理由はシンプルかつ合理的で「今の自分にはもう朝廷の権威は必要ないから」でした。 ワンマンタイプには欠点はもちろんあります。ただ日本型の集団合議制は「意思決定が死ぬほど遅く、小田原評定になることしばしば」でもあります。今の日本企業がだいたいダメなのも、意思決定が死ぬほど遅いからです。 我が道をいくっていうのも、エネルギーが必要ですよ。質問者さんみたいにとかく批判する人が必ず出てきますからね。だからこそ「強さ」は必要なのです。
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- 36028393
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このような方々をよく見て下さい 宗教に対しては 宗教のイロハも分からない 無知無学無能な方々です 権力財力自力を頼み、我見偏見邪見妄想を 描いているにすぎません 彼らには論理的な根拠も希薄で協議もなく 道理や妥当性をも無視して、 宗教と言えるものではありません ただの自分の好きな考え方、生き方なのです 自分教」などと言えるような、しろものではありません 宗教家に失礼です 強いか弱いか、悩みが無いか 心の中をのぞくことはできません 人一倍恐怖を感じ、苦悩に満ちた一生だったかもしれません 本当に強い人とは 深い哲学に生きる人です
お礼
ご回答有難うございました。 このような方々をよく見て下さい 宗教に対しては 宗教のイロハも分からない 無知無学無能な方々です 権力財力自力を頼み、我見偏見邪見妄想を 描いているにすぎません 彼らには論理的な根拠も希薄で協議もなく 道理や妥当性をも無視して、 宗教と言えるものではありません ただの自分の好きな考え方、生き方なのです 自分教」などと言えるような、しろものではありません 宗教家に失礼です これで、「正しい 覚った」と思っている人は結構居りますb。 強いか弱いか、悩みが無いか 心の中をのぞくことはできません 人一倍恐怖を感じ、苦悩に満ちた一生だったかもしれません 本当に強い人とは 深い哲学に生きる人です 自己を問う事が本当の宗教ではないかと思います。 が、この人達は「強いから正しい 相手が悪い」という様な処があると思います。
- aokii
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「私が正しい 相手が悪い」と思うとある意味強く、悩む事もなく生きて行けるという考え方もありますが、逆に全て「私が正しい 相手が悪い」と思うと大きな失敗をする可能性もあります。戸塚宏は過去にも将来にも大きな失敗をする人の一人でしょう。
お礼
ご回答有難うございました。 「私が正しい 相手が悪い」と思うとある意味強く、悩む事もなく生きて行けるという考え方もありますが、逆に全て「私が正しい 相手が悪い」と思うと大きな失敗をする可能性もあります。戸塚宏は過去にも将来にも大きな失敗をする人の一人でしょう。 未だ織田信長等は国家の統一を考えあらゆる視点から論理的に見ていたが、秀吉 家康との比較で後世に暴君と云われたのではないかと思います。 戸塚氏は「成功すれば自分の手腕、失敗すると相手が悪い」で通しております。やはり、度量が狭く一つの方法しか知らない典型かと思います。
お礼
ご回答有難うございました。 織田信長に関してかなり誤解というか曲解されてらっしゃいますが、彼は質問者さんのイメージとは違って、我が道だけを進んでいたわけではないんですよ。 「泣かぬなら殺してしまえほととぎす」のイメージが強く、信長の側近におり基盤を引き継いだ形で、 神輿型の秀吉や 大阪の陣の後、合議的な形で頂点に立った家康に比べ ワンマンで暴君というイメージがありましたが、実際はかなり理論派で改革を勧められた事も伺われました。 まず彼が京都に入ったときは、足利義昭を奉じています。あくまで信長は「義明の家臣」という体になっており、信長も表舞台では義昭に頭を下げています。純粋な戦国大名としての実力は自分より格下の浅井長政に対しては美人で有名な妹を嫁がせてご機嫌を伺っています。 時の権力者にも従う体制は取られている事は伺われます。 比叡山を焼き討ちにしましたが、当時比叡山は手広く金貸しをやっていて、その金利は年利にして48~72%にもなるというエグい高金利でした。返せないとコワモテの僧兵がやってくるんだから、闇金ヒエイザンくんですよ。比叡山が焼き討ちされて借金の証文が焼失して、助かった人たちが大勢いたのではないでしょうかね。 成程、比叡山も非道ことをしていたという事があった 事が伺われました。 信長は超理系の理論家ですよ。ポルトガル人から地球儀を見せられて「地球は丸い」という説明を受けたときの信長の感想が「なるほど。理にかなっている」だったんですよ。「理にかなっている」ってのがポイントでね。論理的に考えたってことなんです。 質問者さんは信長を「我が野望のためなら誰かれ構わず我が道を邁進する。邪魔者は容赦なく潰す」という人間だと思っておられるようですが、実際の信長は「あらゆる手段の中から最も合理的で現実的で最短のルートを考える」という戦略家だったのです。ただ、その最も合理的なルートが時に合理的過ぎて世間が追いつけなかったのです。 科学的にも当時として斬新な手法を取られた事が伺われました。 本能寺の変の直前、信長は突然官位を返上してしまいます。慌てた朝廷は「関白、太政大臣、征夷大将軍の中から好きなものを選んでくれ」といいましたが信長の返答は「要らん」でした。私が知る限り、関白と太政大臣と征夷大将軍の好きなものをもってけといわれた人は日本史上で信長だけだと思います。信長が官位を返上した理由はシンプルかつ合理的で「今の自分にはもう朝廷の権威は必要ないから」でした。 唯、その後本能寺の変が無かったらどうなっていたのでしょうか? 朝廷が自らも脅かす存在になっており、その為に本能寺の変の手を引いたという説もありますが、 早くから海外に進出し、近代化は早かったと思いますが? ワンマンタイプには欠点はもちろんあります。ただ日本型の集団合議制は「意思決定が死ぬほど遅く、小田原評定になることしばしば」でもあります。今の日本企業がだいたいダメなのも、意思決定が死ぬほど遅いからです。 これもよく解ります、決断力が必要とされることもあり、 気を使う人は「良い人」であるばあいがあるが、急を要するときには「優柔不断」と云われる事があり、これが日本型の弱点かとも思えます。 徳川家の幕藩体制で長く続いたのは「鎖国」というものを していたからで、開国していると、あの体制は持たなかったという説もあります。 我が道をいくっていうのも、エネルギーが必要ですよ。質問者さんみたいにとかく批判する人が必ず出てきますからね。だからこそ「強さ」は必要なのです。 ご回答有難うございました。