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湿田の稲作

岡山城の番組を見てふと疑問に思ったのですが、江戸時代はよく遊水地遊水路が作られ稲が植えられています。ときには湿田を作るために河川改修まで行われています。 こういった湿田の場合、水を抜くことは不可能でしょうし洪水になれば全滅覚悟ということになると思われますが、稲作といっても種をばらまくだけなのでしょうか? 何か色々世話することがあるのでしょうか?

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  • fujic-1990
  • ベストアンサー率55% (4505/8062)
回答No.5

 新潟は「潟」というくらいなので、湿田が多かったようでした。  少なくても湿田を作るために河川改修などはせず自然のままで、昭和の前半くらいまで、田に舟を浮かべて稲刈りをしていた所があったくらいです(亀田郷土地改良区 作:記録映画「水との闘い」…だったと思う)。  それでも、干害時に備えて、全滅覚悟(通常はほぼ全滅)で本物の「池」の浅い所や湿地(田植え時季にはそこから田に水をとるので池の水量は減った)にもこっそり苗を植えていたようで、新発田藩などでは知っていてもお目こぼししていたらしいです。  たしか、幕府内で大名3家に領地を交換させる話が出た時、新発田の殿様が余所へ行くのに住民が反対したんだったと記憶しています。結果、新発田の溝口公は、秀吉の命で新発田に来た秀吉恩顧の外様のくせに、一度も移封・減封されずに幕末を迎えています。幕府としてもインネンをつける点がなかったんですね。  ところが、薩長が政権を取るや、「稲を植えていたのだからそこは田である」「いまさら止めたってダメだ」といって池や湿地に地租を課したのだそうです。  で、地租が払えない人々は金持ちに泣きついてその湿地や池を二束三文で買い取ってもらった…ところ数十年後に乾田化されてそれが立派な農地や宅地に変わり、巡り廻って後の田中角栄の金脈事件につながったようです。少なくても、私はそう聞いています。  「情けは人のためならず」を地でいったような「人助け」美談なのですが、事情を知らない革新系の人には角栄さんが財産を盗んだインサイダーに見えたようです。  話がよそに流れましたが、日本全国そうだとは言いませんが、新潟ではちゃんと苗を植えていました。水の中なので、除草などの手間暇はあまりかけられなかったのではないでしょうか。もちろん実体験はありませんけど。

jkpawapuro
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >全滅覚悟(通常はほぼ全滅)で本物の「池」の浅い所や湿地(田植え時季にはそこから田に水をとるので池の水量は減った)にもこっそり苗を植えていた 多分これが想像に近いというか本質に近いのではと思います。 水害対策も干害対策も難しいし世話もあまりできないので、とにかく様々な推進に稲を植えまくって保険を掛ける、それが湿田での稲作なのかなと思いました。

その他の回答 (4)

noname#247529
noname#247529
回答No.4

No.2の回答者です。 すみません。湿田というものについて無知でした。失礼いたしました。 ただ、わたしは庭木とかの面倒を見ているだけですが、湿田と言えども、雑草取りや、虫や病気への対処(ダメになったものを取り除いたり)、収穫後にできる範囲で整地したり、やることはいろいろありそうに思いますよ。自然のままって、不都合なので。

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.3

1。こういった湿田の場合、水を抜くことは不可能でしょうし洪水になれば全滅覚悟ということになると思われますが、稲作といっても種をばらまくだけなのでしょうか?  稲は、もともと東南アジア、揚子江の南側(「南船北馬」と交通手段の違いでもおわかるように)高温多湿の場所で野生として育ったものですから、湿田が故郷です。  元は、野生で、一年に実り次第収穫していたのが、収量が大名の格付のようになると稲以外の裏作が必要となり、新開地も段々畑、というように高さの異なる田が重なって冬に水を落とすようになります。 2。何か色々世話することがあるのでしょうか?  はい、コメ以外で税を払う時代には、金になるものを植える必要ができて来、岡山では水を落とさず畳の備後表の原料の藺(い)草、水を落として、野菜、果物、花、などを植えることになります。

jkpawapuro
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。

noname#247529
noname#247529
回答No.2

田んぼでは、冬は、水を入れず、流れ出るままにするみたいで、普通に乾いていますよ。 水位の調整は時代ごとに違いはあれど、水門や人力の水車が活躍していたでしょう。 時代考証をちゃんと行っているテレビ番組の時代劇でも江戸時代くらいには田植えのシーンがあると思います。それはつまり、田んぼに直接の種まきはせず、他で育てた苗を一つ一つ田んぼに植えているということです。

jkpawapuro
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます、ただそれは一般的な田んぼ、乾田の話ですね(´・ω・`)

  • hahaha8635
  • ベストアンサー率22% (800/3610)
回答No.1

江戸時代にはもう苗床があったようなので 田んぼに直接種まきしなかったようです むろん情報伝達は今のように早くはないので 直接 田に種をまく地方もあるかもしれません また家康が灌漑に熱心であったため 世界中から見ても 江戸の治水は進んでいたはずです https://president.jp/articles/-/30381?page=2 江戸ではないですが 江戸時代に木曽三川の治水工事をした 薩摩藩士の漫画もあります https://www.mangaz.com/book/detail/43421 実話です https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9D%E6%9A%A6%E6%B2%BB%E6%B0%B4%E4%BA%8B%E4%BB%B6

jkpawapuro
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。

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