>日本の中世の歴史で山間部の痩せた灌漑の無い土地だと、どうにも粟・稗を植えてる程度の話が多いです。
その通りですね。
黍(キビ)・蕎麦なども、多く栽培していました。
そこで、桃太郎はキビ団子を持って鬼退治に出かけたのです。
キビは、全国各地で栽培可能ですから「桃太郎童話も、全国各地で読まれる」事になった次第。
吉備の国の団子が、キビ団子ではありません。^^;
>いったい日本と中国で何が違ったのでしょうか?
地形的な問題です。
日本は「大河」がありませんよね。
多くの川は、雨が降ると一気に川に流れ込み急流になります。
つまり、山間部でも土地が(最低限の)肥沃にならない。
大地に振った雨だと、山々・里山を豊かにしますがね。
※微生物・動植物の死骸・落ち葉などが発酵して天然肥料になる。
>日本の山では小麦や陸稲は育たなかったのでしょうか?
育たない事は、ありません。
稲作に不向きな土地では、小麦を植えています。
素麺文化は、基本的に稲作が不向きな土地で発達しています。
例えば、「小豆島そうめん」。
奈良の「三輪そうめん」の技法を学んだ島民が、小豆島に伝えました。
つまり、小豆島でも小麦の栽培があったのです。
島原の乱で多くの農民・信者が戦死し、人口が減った時。
幕府は、当時天領だった小豆島島民に島原への移住を命令。
移住した島民は、先ず麦の栽培を始めています。
そして、小豆島時代に習った素麺作りに勤しんだのです。
これが、「島原そうめん」です。
同様に、阿波の農民が「痩せた土地でも麦が育つ」事から小豆島で素麺作りを学びました。
これが、「半田そうめん」です。
三輪そうめんは、約1200年前から作られて大神神社に奉納しています。
この事から、中世でも小麦栽培は行われていたのでしようね。
まぁ、どこまでが「山間部」かという大前提が・・・。
お礼
ご回答ありがとうございました。
補足
ご回答ありがとうございます。 島原、小豆島の麦は時代的に二毛作の結果ではと思いますが、三輪そうめんは調べてみると歴史が深いみたいですね。 麦は収穫量も多くうまいだろうになぜ日本は粟稗キビなんだろう・・・ 大河ですか??? 大河の水が引ける場所なら水田を作るでしょうし、そんなものが届かない丘の上まで華北の中原は麦畑だらけです。