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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:吉田松陰:吾等功業にたらずして忠義に余りあり。)
吉田松陰の言葉:功業と忠義の違いについて
このQ&Aのポイント
- 吉田松陰の言葉によれば、吾等は功業にたらずして忠義に余りがあると述べています。
- 江戸にいる諸友の久坂や中谷、高杉などは、吉田松陰とは見解が異なります。
- 吉田松陰は忠義をするつもりであり、諸友は功業をなすつもりですが、その違いを分かつことができます。
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吾等功業にたらずして忠義に余りあり: 松陰のいう「忠義」は藩主・天皇に対する忠誠というだけの意味ではなく、正義・大義に対する忠、あるいは倒幕革命の志に対する忠という意味を持っています。それに対して「功業」というのは時勢を観望して自己の利得を十分図ったうえで政治的成果を追求しようとする狭い意味しか持たないと言えます。その意味で久坂や高杉らですらも松陰の真意を受け止めて立つ盟友とは見なされなかったのです。 あまりある=どんなに…してもまだ十分でない 足らず=その数値に満たないほどに小さい
お礼
ご回答ありがとうございます。 なるほど、「あまりある」と「足らず」を辞書で引けば良かったのですね。分からない表現に遭遇しますと、何が何だか分からない状態になってしまっていました。 また、「忠義」と、「功業」の解説ありがとうございます。勉強になりました。