※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:正しくは無いが権威主義は纏まる?)
権威主義とは?権威主義とは現代社会においてどのような影響を及ぼすのか
このQ&Aのポイント
権威主義とは、国民の民度が低く唯一の指導者や強い統治を求める傾向を指す概念です。
中学時代に経験した教師の例を通じて、権威主義とは周囲の人々をまとめる一方で、異なる意見や個性を抑圧する可能性があることを示しました。
権威主義的な体制においては、強さや服従が重視され、自己表現や異議申し立てが困難になることがあります。
現代社会 それも先進国等では技術や経済 政治が等複雑に入り、
単純なものではありませんが、国民の民度が低く(悪い意味ではありません)唯纏まっていく、「強さ」を求めると云うのは権威主義と云う事に成るのでしょうか?
中学時代の話ですが、
A先生 学生時代に競技で活躍し、その指導力には一定の評価はあり
それは認めましたが、
大学の寮(1年奴隷 4年神様という人間関係や
大学で学生同士が喧嘩し、自分は番長に成ったという事)の
人間関係を全生徒に押し付けたり、
「超えられる強い精神」を創る事を第一に置いており、
その為には体罰も厭わないという考えでした。
「超えられる強い精神」を創る事も時には大事ですが、
この先生はこれが出来ると、他に歪みがあっても良く、
特に非道していなくても、これが出来ない
(ついていけない)生徒を嫌うという感じでした。
B先生 平凡な教師、当時でも私から見れば普通に授業を行い、
クラブの顧問もされるという感じで、
叱る時は叱り、そんなに非道はしておりませんでした。
が、A先生にはまっていた生徒は、B先生に「意味の無い反抗」
をしておりました。
B先生が「宿題の催促」をした事や「私語の注意」に反抗する。
が、やり過ぎるとA先生に止められると、大荒れに成らずに
纏まっていくという縮図でした。
私は当時からA先生もB先生も基本的な事は聞いておりました。
が同級生でA先生が「気合いを入れる」「最近たるんどる」と
殴られる事も「有難い」と受け容れ、B先生が「私語を注意した」
「宿題の提出を催促した」と云って反抗するという生徒も居ります。
正しくはないが、この様な人種の者も居るのでしょうか?
公立の学校に行くと色々な人が居ります、同級生の彼は
強い人の云う事は聞き、弱い(と自分が判断した人)と思うと、
当たり前の事も反抗し暴れるという感覚でした。
私もA先生の(技術の指導や体罰という名の中に愛情)は伺う事は
あったのかとも思えるのですが、体罰が今ほど問題に成らなかった
1980年頃でも、私はA先生でもB先生でも基本的な事は聞く、
がA先生の事も100%は受け容れられないという感じでした。
唯この様な生徒をA先生は「超えられない軟弱者」と見ておりました。
だから、B先生に反抗していた同級生はA先生に「殴られ」
「叶わない」と枠組に入り、暴れるがA先生という存在があるので
大荒れに成れず纏まっていくと云う感覚でした。
当時から私はその様な体制はあわないと思い、距離を置いておりましたが、「暴れる」人は思想云々よりも「強さ」を信奉し、
そこに身を置く事で感情がコントロールされていくという人種の者もおり、その役割を果たしてくれるのが、A先生が居た大学の寮や
A先生が顧問を勤めた部活動で、私の様なタイプが入ると目障りと
云う事に成るのでしょうか?
(老害 脳筋と云われたが島根の開星高校の監督野々村直通氏や
大阪桜宮高校の小村氏 等はその様な事を言いたかったのかとも
思います)
お礼
ご回答有難うございました。 やはり、独裁的な強さ(これが社会や経済政治で必ずしもトップには立っていないが?)を求む人が居るのは否めないのかと思います。
補足
橋下徹氏が小学校時代 荒れた小学校へ転校し、 いじめを受けたが、そのグループに付くと、校内や他校の 生徒から守られているというメリットがあったと云われてます。 その様な事がこの教師や部活動にもあったのかもしれません。