※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:道徳は建前で 暴力性が本音を教える教育?)
道徳教育とは?暴力性が本音を教える教育のあり方について
このQ&Aのポイント
道徳教育において、建前と本音のギャップが問題視されています。
暴力性を通じて本音を教える教育は効果的なのか、議論が分かれています。
怖い存在や体罰を通じて鍛えられる強い精神や能力には意味があるのか疑問が投げかけられています。
私は、怠惰だった事もありますし、出来ていない事も多くありました。
だから、躾けられるべき存在であったと思います。
基本的な事は守り、非行や校則違反は行いませんでしたが、
怖い教師や先輩の居る 暴力三昧の組織等は入りませんでした。
だから、超えられない軟弱者なんですね?
私の同級生に普通の教師や同級生が夏休みの宿題を出せとか、立ち歩いて座れとか、
と云う事に反抗し、怖い教師の力で始めて枠組みに入り、怖い教師が気合を入れるとか
と云う体罰や白でも黒と云えと云うと従い、弱い者苛めをするが、怖い存在があるので
大荒れに成らず纏まると云う事でした。
怖い教師からすれば、彼の様な生徒は、気合を入れると殴っても受け容れ、
「超えられる強い精神を養う事が出来る」と云う事で目指す処には叶っている生徒になり、
私の様なタイプは「超えられない軟弱者」に成るのでしょうか?
例えば私と彼を比較してみると
授業中の私語を普通の教師が注意する
私 悪いと思って黙る
彼 反抗する
掃除をさぼった事で指導
私 当たり前の事と思い受け容れる
彼 気に入らないと暴れる
怖い教師に「最近たるんどるぞ」と体罰
私 不可解な事と思い受け容れられない
彼 有り難い 強いから受け容れ従う
とこの様な形でした。
社会では彼の様なタイプの方が鍛えがいがあるし、使えるのですね?
唯暴走してもらっては困るので、怖い存在を置き、怖い存在の理不尽さ(私は理不尽と思うが、彼は思わない)も受け容れ、弱い者苛めなどをするが、怖い存在があるので表向きは纏まり、鍛えられ強く成ると云う事なんですね?
私は、他で失礼な事をしてまで特定に人間に絶対服従できませんでした
唯これだと強く成れない鍛えられないと云う事なんですね?
体罰の問題、桜の宮高校等の問題私は遺憾と思いますが、
上述の彼の様なタイプは正しくないが案外この様な体制を受け容れ、そのはけ口を弱い処にぶつけ上手く(彼らの論理だけで)行っているようです。
企業等もこの手の感覚で渡っていくものが上手くいっている二でしょうか?(正しいとは思えません)
だから、社会の本音を教えるのが彼が所属した部活動や彼の様な精神で、
私は超えられない軟弱者なんですね?
ご回答宜しくお願い致します。