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北面服部越中守某の地位や身分は?
- 北面服部越中守某の地位や身分について詳しく説明された資料が存在します。
- 資料の一部には、禁裏の北面服部越中守某についての情報が記載されています。
- 北面服部越中守某の身分や地位に関する詳細は、調査される必要があります。
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aqedfrさん、こんばんは。 おそらく、北面の武士ということですからちゃんと朝廷に仕える武士なのでしょう。位階は五位位なのではと思います。詳細は下記のURLを参照ください。 北面の武士 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E9%9D%A2%E6%AD%A6%E5%A3%AB 三上景文 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E4%B8%8A%E6%99%AF%E6%96%87
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- fujic-1990
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不勉強でもうしわけないですが、「寛政重脩諸家譜」の「寛政」って人の姓でしょうか、元号でしょうか? 元号だとして考えますと、江戸時代後半ですよね。そのころ、諸藩も朝廷も財収不足できゅきゅうとしていると思います。 朝廷には幕府から「禁裏附」という役人が2人派遣されていて、彼らには与力10人、同心50人が付いていました。仕事は、朝廷・貴族の監視ですが、主筋を監視すると公言するわけにいかないので、禁裏守護、朝廷の財務を司るということになっていたようです。 カネも仕事もない、幕府から無駄遣いを監視されている、そんな朝廷に「北面の武士」がいるのでしょうか? 調べて見たのですが、いるともいないとも確信できませんでしたので想像になりますが、禁裏附は5・6年ごとに異動したようですが、与力同心は京都専従。商人が少なく余録も少ない彼ら京都組が、「北面の武士」をきどって自己満足にひたっていたのではないかと思うに到りました。 が、それでは回答になりませんので「本当に北面の武士がいた」と仮定して説明しますと、大変です。 天皇と会話できる人は五位以上でなければなりませんので、天皇の命令を聞くためには会話できないと話にならないので、最低でも従五位でなければならない、ということになります。 老中クラスになると従四位クラスです。水戸の極官が従三位中納言。尾張、紀伊で極官が従二位だったかな。大納言まで成れました。 五位鷺という鷺がいますが、あれも醍醐天皇に「また来い」と言われた無名の鷺が「無位無冠だから来ても陛下には会えない」と言ったので、会えるように醍醐天皇が五位の位をくれたというのが名前の由来です。 今でも、勲章をもらうほど社会に貢献した人は、死後(死亡届けの日付で)位階がもらえます (^_^;; 。市会議員を30年くらい務めると、従五位がもらえます。 ちなみに、ほとんどの5~10万石譜代大名が「従五位下」の位階でしたので、天皇と会話できたはずの問題の人は少なくても「大名並」ということができます。 また「守」名乗り「○○の守」をしています。あれも大名や高級旗本(大岡越前守など)などでないと、名乗れません。なのに、名乗っています。 武士の「○○の守」は複数いたのですが、幕府が有資格者の希望を聞いて、一括して朝廷に申請する。すると、「武士の名乗りは律令の外だからどうでもいい」として、よほどのことがないかぎり朝廷から希望通り許可が出る仕組みでした。 しかし、浪人同様に幕府と関係ナイ北面の武士の官位を、幕府が申請してやるとは思えないので、なんでしたっけ忘れましたが、その人の「○○の守」は朝廷から直接もらった正式なものだ、ということになると思います。 正式なものだとしたら、実権はないわけですが、形式上正式ですから、武家の○○の守を押しのけて政治を行うことができるわけです。 とすると、その人は「従四位くらい、老中クラスの立場にいた人」と見るべきなのではないか、ということになります。 少なくても「一般譜代大名クラス」ではあった、といわざるをえません。 …回答時、質問文を見ることができなくされたのはツライですね。名前の失念や勘違い、誤字脱字の切は、ご容赦ください。苦情はOKウェブシステム設計者へ御願いします。
お礼
ありがとうございました。
お礼
御回答ありがとうございました。 とても良くわかりました。 ありがとうございました。