「使い捨て社会」をのぞむ現代の日本人?
日本社会の将来とは,現代を活きる日本人によって形成されるものです。そして,現代日本社会においては,「人材の使い捨て」が,ひとつの社会問題として挙げられるようになりました。
いわゆる「使い捨て社会」とは,日本社会に,どのような「メリット」をもたらすのでしょうか?
参考までに:
ある有名な漫画雑誌に連載されている作品のエピソードに,このようなものがあります:
ある男性が,さまざまな「使い捨て商品」を開発したところ,いくつかの商品がヒットしました。これらの商品のなかには,「使い捨ての自転車」など,商品化という点においては,面白いアイデアのふくまれるものであったと,わたしはおもいます。
ところが,この男性は,まもなく,「使い捨て」事業に失敗してしまい,家族との縁が切られてしまいました。
「使い捨て」の夫,「使い捨て」の家族の一員
皮肉にも,このエピソードでは,「使い捨て商品」の開発に熱心になったことが「アダ」となり,この男性は,みずからを「使い捨て」にしてしまいました。ある種の「社会事情にたいする皮肉」ともとれる,とても面白いエピソードでした。(ちなみに,この作者と同期の漫画家は,ギャグ漫画で一世を風靡したのち,社会派ネタでも大きく注目されました。)
高度経済成長の時代以降,日本社会には,さまざまな「使い捨て商品」があらわれました。「便利さ」の象徴的な存在であった一方,環境保護という点においては,さまざまな「課題」を残したことは,多くの人々にとっては,記憶に新しいことでしょう。そのような「社会的批判」の影響もあり,現代日本社会においては,「モノ」という面においては,リサイクル社会,循環型社会への「道」がひらけてきたと,わたしはおもいます。
しかしながら,「人材」という点においては,「使い捨て」の傾向が強くなりました。いわゆる,非正規雇用の問題が,その根幹にあります。さらには,芸能界においても,いわゆる一発屋的なアイドルの育成,一発屋的な芸人の活躍など,「普遍的な」という点において,活躍のできる人材がほとんどいなくなったことが,現代の芸能界の特徴といえるでしょう。当事者の能力や,才能の問題はありますが,コスト的なことばかりが気になってしまうのでしょう,「使い捨て」的な思想に走ってしまう傾向は,否定できません。このことは,一般の労働市場においても,同じことです。
「使い捨て社会」によって,日本社会のなかで,誰が「メリット」を享受するのでしょうか? 仮にでも,それを享受できる人間がいたとしても,それは,一時的なものなのかもしれません。日本人の多くが,「対極的に物事を考える」と口では言いながらも,その行動,言動,やっていることについては,一時的な利益を追ってしまうという,「悪態」をついているのが現状です。
「わかっちゃいるけど,やめられない」というギャグがありながらも,「いつやるの? 今でしょ!」という流行語が存在する。こういった,「ジレンマ的なメンタリティ」を,日本人はかかえていることを,どれだけの日本人が気がついているのでしょうか?
日本人は,もしかしたら,「ココロのガン」におかされているのかもしれません。