- ベストアンサー
日本の生産性はなぜ落ちたのか
簡単に言えば日本人は働かなくなったという事なんだと思います なんで働かなくなったかと言う事ですが、 ・価値観の変化や多様性 ・働くことが尊敬されなくなった ・汗水垂らしての労働蔑視 とか思うのですが。 昔は働いているお父さん偉いんだぞエッヘンで良かったわけですが、今はそうではないです ご意見お待ちしております。
- みんなの回答 (13)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
そうではなくて、もともと生産性が上がるような国では無かったが正解です。 生産性が上がると、余った時間を別の仕事に振り向けるので、仕事が増えるだけで楽にならず、労賃も上がらず、経済成長も止まり、苦労してアイディアを出しても特許料すら貰えず、努力しても報われない社会になったので、生産性を上げるだけ無駄だと気がついた人が多くなっただけです。 高度経済成長時代は珍しくなかった成功企業がほとんど無くなり、夢が無い社会になったのが大きいでしょうね。昔は能力さえあれば、平社員から社長に抜擢される人も珍しくなかった時代もありましたが、今は天下りばかり多くて、社長になるチャンスも無くなりましたよね。日本は高度経済成長期の夢をみんな潰して国が行き詰ったのです。
その他の回答 (12)
- tetsumyi
- ベストアンサー率25% (1946/7535)
日本の工場が海外に移転したからです。 バブル期には日本は工場がいっぱいあって生産的な仕事だった訳ですが、現在私の住んでいる地域でも工場はあまり見かけなくなりました。 と言うことは生産工場では原価に対して売り上げは10倍にもなるのですが、現在多くの人が働くサービス業では売り上げの半分以下しか労働者には還元されません。 それで一人当たりの見掛けの生産性は落ち込むことになります。 さらに悪いことに働かない資本家が利益の相当の部分を奪い取るのです。 すべては経営者、政府の方針が結果的に国内の生産性を減衰させることになったのです。 過去のように生産工場主体の国家であればコロナ危機の影響も大きくなかったでしょうが、観光業、サービス業、大型店と言った多くの客を集めて儲けようとするやり方がとんでもないダメージの元になってしまったようです。 勤勉に働くブルーカラーや農業漁業は決して仕事がなくならない。
お礼
生産の現場が海外に移ったとしても、日本に住んでいる人間の数は変わらないのだから、工場がなくなった代わりに他の仕事(サービス業とか)が必要に。 一方で、汗水、体を使うような仕事は避けられ、みんな利益の低いサービス業を志向した結果の生産性の低下でしょうか。 たしかに好き好んでやる人は少ないと思いますが、ブルーカラー業務はなくならないでしょうね ありがとうございました
- tzd78886
- ベストアンサー率15% (2590/17104)
働かなくなったわけではないのです。日本人の仕事は直接業務に関係の無いことがやたら多く、そのために効率が悪すぎるのです。 縦割り行政とよく言いますよね。ルールを重んじるばかりに一つ一つ確実にこなさなければ先に進むことができず、別な部署と連携を取ろうとすればこれを往復させなければなりません。時間がかかるのは当然で、無駄も多くなります。それを容認してきたのが日本の仕事なのです。 こういうことが許されてきたのは、江戸時代に250年以上も本質的に変化の無い政治が続いたためだということは間違いないでしょう。素早く行動しなくてもそれで問題は起きなかったからです。むしろ本来の仕事が無くなった武士たちに形だけの仕事を与えるために好都合ですらあったのです。 スポーツでも日本発祥の競技はやたら儀礼を重んじます。どんな手段を使おうが勝てばいいという考えは批判を浴びます。朝青龍などはその典型ですね。武士のセオリーを無視して奇襲戦法を多用した源義経は関東武士団の反発を食らって悲惨な最期を遂げています。 朝礼、終礼、意味の無い会議、終業後のお付き合い、書類の捺印、形だけでもやらずにはいられないのが日本人です。学校を教育を受けるところと割り切って考えれば入学式も始業式も終業式も必要ありません。卒業式は世界中の学校に存在しますが、それ以外は無いところが大半です。
お礼
色々と割り切れる部分があるというのは同感です ありがとうございました
- 1
- 2
お礼
>努力しても報われない社会になったので、生産性を上げるだけ無駄だと気がついた人が多くなっただけです。 説得力あります、ありがとうございました