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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:電信の中継方法)

明治初期の岩倉使節団の通信方法とは?

このQ&Aのポイント
  • 明治初期の岩倉使節団が通信に利用した方法とは?
  • 岩倉使節団が通信のために使用した中継方法とは?
  • 電信の中継方法が岩倉使節団の通信に影響を与えていた

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • slpanda
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回答No.1

岩倉施設団がサンフランシスコに無事到着した旨を日本に打電したのは1872年の1月16日でした。当時は、海外の回線を利用したので、英文の電信だったそうです。 「国際通信史でみる明治日本(大野哲弥 著、成文社)」という本によると、1866年に大西洋ケーブルが開通したので、アメリカから大西洋を横断しイギリスにいきます。それから、ポルトガル、スエズ、インド、シンガポール、上海等を経由して日本の長崎にきてました。太平用を横断する海底ケーブルは、更に35年後に開通したので、当時は使えませんでした。 現在のように回線と回線の間を機械で自動的につないでいたのではなく、回線の中継地点では、一回人が受信して文章に起こしてからもう一回次に送信するという手順でした。イギリスからインドでも6本の回線を経由する必要がありましたから、最低5回は次の回線へ中継する作業を手でやっていたことになります。このときすべての回線を貸し切りにして、回線の具合がよく、熟練したオペレータがつなぐとイギリスからインド間は5分弱でメッセージを往復できたそうです。しかし、実際は、回線は独占ではなく、もちろん複数のメッセージを同時に通信することができないので、1通ごとに中継ごとに順番待ちがあり、天候がわるくなると通信状態もわるくなったりするなど、いろいろ障害がありました。欧州長崎間で、一日半から二日程度の所用時間が必要だったそうで、通信料の高さもあり、実際に通信された電信数はそんなに多くなかったそうです。 海底ケーブルの開通まで何度も失敗したことや、通信速度が遅かったなど、技術的に苦心した歴史の説明に関しては、ウィキペディアの大西洋横断電信ケーブルの項に説明があるので、参考にして下さい。

参考URL:
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I024149698-00
noname#249103
質問者

お礼

回答ありがとうございます 大体想像していた通りだったようですね 紹介していただいた 「国際通信史でみる明治日本(大野哲弥 著、成文社)」 は私の読んでいる本と同じ著者の本ですね こちらもいつか読んでみたいと思います 質問後に読み進めると、無線と有線のシェアについて書かれていました 有線による通信は当初優勢だったようですが、 短波による通信所が多く開設され、1941年時点では日米間の通信のうち、9割が無線だったと書かれています ということは太平洋戦争の開戦時に頻繁に取り交わされた電文は無線でやり取りされていたのかもしれません すると、第三者が傍受するのは容易だったはずで、解読さえできれば機密扱いの電文は筒抜けだったことになります。 その後有線による通信が飛躍的に伸びるのですが、これは新しいテクノロジーの出現によるものです。 このころになってもまだ人的な通信を行っていたのか? 少なくとも中継所では紙テープのような”記憶装置”が使われていなかったのか と思いました そこらへんも調べてみたいと思っています

その他の回答 (1)

  • slpanda
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回答No.2

No1です。 ご存じかもしれませんが、太平洋戦争の頃の通信に興味がおありでしたら、アメリカ軍のコードトーカーに関して調べてみることをお知らせします。 敵の日本軍に無線を傍受されてしまうため、アメリカ軍は先住民のナバホ族を通信士としました。ナバホ族の言語は簡単な絵文字の他は文字がなく、また文法も発音も複雑で録音したとしても単語と単語の切れ目すらわからず書き取りはほぼ不可能に近く、ナバホ族以外で言語がわかるのはアメリカ人の限られた学者以外いなかったため、暗号通信としてつかわれました。ドイツ軍がエニグマを開発して機械的に暗号を使ったのとは対照的です。結局、エニグマはチューリングに解かれてしまいましたし。ただ、ドイツは第一次世界大戦の時に、アメリカの先住民の言語をアメリカが暗号として使ってやられていて気が付いていたので、研究はしていたそうで、それで太平洋戦争のときは、ナバホ族の暗号はアジアでのみ使われ欧州では使用されなかったそうです。

noname#249103
質問者

お礼

その話題は知っています 映画になったことがあり、それを見ました 題名は忘れましたが、暗号の一形態なのでしょう。 ただし乱数表のようなものも、暗号キーもなく、これでは解読不可能だったと思います 解読不可能と言われた最新鋭のドイツのエニグマは解読されてしまいましたが、皮肉なものですね 今読んでいる本の中にも当時の外務大臣であるあの松岡さんが大使館あてに暗号キーなどの扱いを厳重にするようにとの電文が残っているそうです なぜなら、外務省とアメリカ大使館の間でやり取りしている電文が漏れているようだと感じたらしいのです 暗号キーを扱えるのを大使館の参事官として働いていた水口貞夫さんのみにするよう要請したというのです。 それがために、暗号の複合が遅れ開戦の電文が遅れてハルさんに届く羽目になってしまった という考察が書かれています ところが、実際にはアメリカでは日本の暗号はすべて解読されており、大使館での管理を厳重にしても無駄だったことが後でわかります 松岡さん目の付け所が大きく間違っていたのですよね ただ、暗号が勝敗を決定したのか?というと、そうとは言えないとも思いました 日本は初めから譲歩する気など全くなかったように感じるのです これではいくら交渉しても無駄というものです

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