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貧困は結果であり、不平等は経過であると言った。

貧困は結果であり、不平等は経過であると言った。 だから貧困と不平等は別問題であると。 でも、不平等という経過を経て結果として貧困になった。という筋はあり得るのでは? 不平等は結果であり、貧困は過程なので因果関係はない。 という逆説にして見る。 貧困という過程を得て結果的に不平等である。 不平等という結果は貧困という過程から生まれた。 これはおかしくないのでは? ということは、貧困と不平等は因果関係があり、繋がった社会問題だと思うのですがどうでしょうか? なぜ繋がり、因果関係がないと言えるのですか?

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noname#252888
noname#252888
回答No.2

因果関係は有るでしょう。 でも不平等だけが貧困を決める全てではない。 ごく一部という事です。 それに「全く無い」場合もある。 例えば、 五体満足で顔も似た双子の兄弟が居て両親は同じように愛情を注いだ。 同じ習い事をさせ、同じ塾に通わせた。 大学まで同じ学校に行き、卒業後は家を出た。 社会に出た時点で二人の条件は限りなく「平等」。 では、30歳になった時に「兄が裕福」だったら「弟も裕福」と断言できるのでしょうか。 それは出来ませんよね。 「弟は貧困」だったとしてもそれは結果です。平等/不平等の問題では無いです。 もちろん平等/不平等が影響する場合もあります。 親に虐待され食事もまともに与えられず、8歳で施設に入る。 高校卒業で施設を出され、奨学金とバイトで大学に行く。 生活のためのバイトばかりで遊びどころか学校もままならない。 そういう生き方をしてきた人と、幼少期から英才教育を受けてきた人では 裕福になる確率は後者の方が高い。 これは平等/不平等と貧困の間の因果関係ともいえる。 逆に前者の苦労人も裕福になったとしたら平等/不平等と貧困の間は因果関係は無かったと言える。 結局、因果関係が有るか無いかも結果次第なんですよ。

asuszenphonemax
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  • g27anato
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回答No.1

…鶏が先か卵が先か? 双方を同時に捉えようとすれば、 堂々巡りに陥る恐れがあり、 問題の本質、或いは論点にさえ辿り着けない可能性が高くなる。 …となれば、問題を別々に捉えながら議論を進めるなら、何処かに交点を見つけることはできないか? 或いは、並行して進めることで同じ結論に辿り着ける可能性も有るのではないか? 確かに、物事は原因が有って経過を辿り結果に至ります。 しかしながら現実は、そこで終了するのは稀であり、 大抵の物事は辿り着いた結果から新たな原因が生まれて、新たに次の経過を進むことになります。 つまり、物事は循環するのだと。 …そう考えることはできませんか? 別問題というのは、 問題の「原因」「経過」「結果」という時点を別々に捉えなければ、それぞれに介在する別個の問題を見落とす、或いは無視することにもなる。 だからといって、問題の根本的な本質まで別という事ではありません。 混沌を避ける意味で個々の問題を密に把握することが、最終的な問題本質との関連付けに重要な課題となります。 …質問に提起された疑問自体には、誤りは無いだろうと思います。

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