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不自由展の従軍慰安婦を象徴する平和の少女

不自由展の従軍慰安婦を象徴する平和の少女、観た人に質問。 (1)やっぱり表現は自由であるべきと思いましたか? (2)この少女の歳と名は? (3)爺は写真でしか観ておりませんが、おなかの周りが異様に太いのは妊娠? どれか一つでも結構ですからお答え下さい。 思想や歴史、民俗など高尚な背景はありません。 興味深いだけの青空爺地蔵です。 リンクお断りはいつもの通りです。

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回答No.1

私は航空運賃はらって本場もん見てきました。 工事をやめてる日本大使館の前のものです 表現の自由はしかあるべきと思います。 美少女とは思えなかったしドーデモと思います。 少女のモデルは駐留米軍の車両にひかれてなくなった 中学生で慰安婦云々には無関係のようです。 ただ、現在は神格化されて「冒すべからず」の偶像に なってます。 後ろの壁(ホテルの塀?)に黄色い蝶とコメントの 書かれてる(だろうけど、ハングル読めません)のメモみたいのが 貼ってあります 日本人(私)の存在など空気のようにむしされて 黙々と何かをやってました。 聖母マリアにかしずく尼さんを連想しました おなかの太さは仰られるまで気にしてませんでした。 名古屋の件は騒ぎが起きて(両者とも)gooと思ってるのでは?

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  • koncha108
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回答No.3

表現の自由は大事なのですが、その大事な表現の自由とは何かを追求し続ける事がもっと大事だと思います。愛知トリエンナーレの議論は、そこを踏み違えていると思います。 日本は法律で言論の自由、表現の自由は広くみとめられています。じゃあ社会で表現の自由が認められて、自分と違う意見や考えの表現を一方的に否定しないで容認する慣用性や多様性への理解があるかというと、無いと言わざるを得ない。少なくとも先進国の中では遅れている。展示しただけで脅迫電話をかけたり、よってたかって電凸したりする人が出てくるのは異常だと思います。恐らく匿名性を良いことにばれないと思ってやっているところもあるのでしょうが、本来であれば自分と違う考えや意見に対しては真っ向から反論する自由も与えられているのに、見えない圧力となって、自由な表現を養護する人たちの生活を妨害したり恐怖感を与えようとする人たちがいる社会はゆがんでいて不自由だと感じます。 一方でテレビ報道で、少女像やいわく付きの展示作品を芸術のように言う評論家もいて、そう思うのは自由だけど客観的な評論としては余計なお世話だと思いました。少女像の作者がどういう思いを込めて、どういう手法で芸術作品にしようとしたのかわかりませんが、見る人にとって、世界中で物議をかもした歴史、政治的背景を全部取っ払って鑑賞というのは無理がある。見てどう感じるかもそれぞれの自由だろうと思います。そもそもトリエンナーレのタイトルは「表現の不自由展」であって美術展じゃない。ある基準でNGとされた作品が本当にNGなのか、どこがNGなのかを鑑賞者がそれぞれ考えるための展示会。当然、「この作品はさすがにダメだろう」と言う意見はあってしかるべき。なのに中止を強要する脅迫電話とは、個人個人が判断する権利まで奪おうとしているかのようで、嫌悪感を覚えます。脅迫電話は犯罪なので問題外として、今回の件は法律とは別に、表現の自由、言論の自由とは社会や私たちにとって何なのか考えさせる機会ではあったと思います。先進国でも社会の公序良俗と自由の線引きは難しく、継続追求すべきテーマですが、日本はまともに議論するレベルに達してもいないと言うのが残念な感想です。

  • g27anato
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回答No.2

(1) 表現の自由は有って然るべきでしょう。 (2) 興味ないので知りません。 (3) それも興味ありません。 一言だけ加えておきたいのですが、 …表現の自由を根拠に、他の自由を否定するようなことが有ってはならないとも考えております。 他の自由を阻害するなら、それは「自由」ではなく単なる「無秩序」でしょうから。