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パーソナリティ障害の定義とは
- パーソナリティ障害は、偏った考え方や行動パターンによって家庭生活や社会生活、職業生活に支障をきたす状態を指します。
- 具体的にどのような考え方や行動が偏ったものとみなされるかは人それぞれですが、一般的には普通の範囲から大きく外れたものを指します。
- パーソナリティ障害の定義は曖昧な面もありますが、特定の文化や社会の平均から大きく外れた考え方や行動が問題となる状態を指すこともあります。
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人は、社会的な存在です。 要するに、社会の一員であるわけですよね。 但し、その社会というのは、さまざまな大きさの単位がありますし、また、目的もさまざまだと思います。 たとえば、家族も1つの社会ですし、学級もそう。職場もそう。 そして、もっと大きくなると、市区町村や国であったりしてきます。 パーソナリティとは、自分の存在を他に知らしめるための、いわば目印のようなものだと言えると思います。 つまり、社会に対して自分の存在を示すものが、パーソナリティと言えます。 但し、そうそう簡単に変わるようなものでもなくて、ある種「固定されたもの」ないしは「固着したもの」ととらえると良いだろうと思います。 さて。 社会と一口にいっても、その大きさや目的がさまざまなのですから、その社会において「どういったことが望ましいとされるのか」ということは、それぞれ違いますよね。 つまり、決して1つには決められないわけで、かつ、非常に幅を持ったものでもあると思います。 言い替えると、「その社会単位ごとに「暗黙のうちに決められている」」とでも表現するしかない「ある種のものさし・基準」のようなものがある‥‥。 そういうことになると思います。 このとき、自分の存在を他に対して示したとき、つまりはパーソナリティを外に対して表現したときに、上記の「ものさし・基準」から著しくはみ出てしまい、その社会の規範を損ねてしまう・その社会に対して害を与えてしまう‥‥ということもあります。 大事なのは、本人に「規範を損ねた」「害を与えた」といった自覚が全くなくても、他からのものさし・基準(ある大きな集団[たとえば、世代とか市民とか]におけるそれらを「文化的平均」とも言います)によって「規範を損ねた」「害を与えた」とされてしまう、ということ。 実は、これがパーソナリティ障害の概念です。 パーソナリティ障害は他から作られてしまった障害、と言ってしまっても、言い過ぎではないかもしれません。 ある基準から著しく外れているか否か、ということで見る‥‥。 しかし、その基準が、時として恣意的(都合のよい解釈、という意味)になってしまいがち。 要は、非常に曖昧でもあるわけですね。 ですから、偏った考え方や行動パターンなどを本人が自覚していないことが多々ありますし、家庭生活・社会生活・職業生活に支障を来たしているとも思っていないこともしばしばです。 曖昧な定義なのですから、むしろあたりまえだと思っても良いかもしれません。 現実には、周りの人は、その生活に著しい支障を本人のせいでこうむっている、ということが少なくありません。 けれども、受忍限度にしてもそうですし、どこからを支障だの偏りだのと考えるのかは、ほんとうに人それぞれですよね。 早い話が、誰かが「あの人はパーソナリティ障害だ!」と決め付けるなら、そうなってしまうわけです。まさしく「出る杭は打たれる」とでも言ったら、わかりやすいかもしれませんね。 定義にこだわるよりは、実際問題として本人に支障が出るか出ないか、といったことでとらえるべきだと思います。 これを、本人を置き去りにしたままで「著しい支障が出る」などと周囲の側からだけ見てしまっている、というのが、パーソナリティ障害の定義の実態ではないでしょうか。 だとしたら、そんな定義は必要ないと思いますよ。
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- pipipi911
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お望みの回答にはなあないのですが、例えば、 「アルコール依存症」「ギャンブル依存症」は、 嘘をついたり、騙したりして〈お金〉をゲットして、 飲酒・ギャンブルを行い続ける人が、 「アルコール依存症」「ギャンブル依存症」と 診断されることになります。 人を巻き込んで、迷惑をかけているかどうかが 謂わば判断基準となっています。 或る学者さんは、人は誰しもが精神的な 病に罹っているという学説を展開させているのですが、 私は人は誰しも人格障害っぽい面があると感じていまして、 家庭環境・養育環境・生育環境・交人関係etc.と相俟って、 人格・性格を形成していると思っています。 誰にでもある精神的な病の雰囲気や 人格障害っぽい面は、それ自体では、個人的な ものなので、社会的な影響は殆どないのですが、 人の生活を乱すなどのような次元になりますと、 保健所や警察が出動して、措置入院等の 処理となります。なので、そうした判断基準は、 アナタ様の住所地を管轄する保健所を訪れて、 訊いて確認してみることをお勧めします。 実験してみることも、お勧めします。 朝の4時ころから2時間くらい (ガラスに罅が入るくらいの)大音量で音楽を聴き、 その後、戸外に出て、大声で歌を歌うことを 毎日、アナタ様が行っていれば、地域の人々に 何らかの動きがある筈です。 同じことを、僻地で行ってみますと、 地域の人の対応が異なることを、 体験できますので、その違いから、 社会性の意味を、身をもって知ることが 可能です。 パーソナリティ障害と云っても諸種あります。 ASD・BPD・NPDとDPDやHPDでは、かなりの 違いがある筈です。 人格障害の「お騒がせ」実験を 是非、お試し、有れ!
お礼
人に迷惑をかけているかが診断基準だと回答者様は考えられるのですね。 私は実際に精神科でパーソナリティ障害と診断されていて、実は一度だけですが警察沙汰になったこともあります・・・。 そのときは私はこれだけでは警察沙汰にならないだろうと考えていました。 確かに身をもって体験しないと分からないこともありますよね。 もちろんもうやりませんけどね。 回答ありがとうございました。
- aeromakki
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パーソナリティー障害の話は具体的になると、どのパーソナリティー障害の話かで違ってくると思います。 https://www.jspn.or.jp/modules/forpublic/index.php?content_id=41 この中では、主さんは境界性パーソナリティー障害を疑われてそうだなと、勝手に思っていました(^^; 境界性パーソナリティー障害と誤診されていた私などだと、 「そこまで言わなくてもいいんでないかい?」とか、 「そこまで怒んなくてもいいんでないかい?」という、 『偏った考え方や行動パターン』があります。 例えば、「交通ルールを守らない奴は、絶対許せ~ん!」というタイプなんです。 朝は元気なので、我慢してスルーできてますが、 夕方になって疲れて来ると、場合によっては人とぶつかることがある、結構ヤバめの人です~(ーー;) でも、これは自閉症スペクトラムの「こだわり」と「コミュニケーション障害」に相当するものです。 >偏った考え方や行動とは、いったいどこからが偏っているとみなされるのでしょうか。 他人に「交通ルールを守れ!」と怒り出さなければ、問題にはならないですよね? 『キレやすさの度合い』だと思います。 いまだかつて人と揉め事を起こしてなければ、偏った考え方や行動だと言われることはないでしょう。 十年に一回ぐらいなら、他人にいきなり説教しても問題ないのかも。 でも、これが一年に一回以上になれば多分、おかしいんですよね(ーー;) だから多分、トラブルの頻度ですよ。 世間一般の人は普通、見知らぬ他人に説教など、一度もしたことがない人が普通だと思います。 認知行動療法受けて、激減はしましたが、 三ヶ月に一度ぐらいは、「交通ルールをちゃんと守れ!」と、通りすがりに毒づくくらいはまだしてしまいますぅ~(ーー;) そもそも、私のケースは境界性パーソナリティー障害ではなかったわけですが、準じて考えることはできると思います。 幅の広いグレーゾーンがあって、私のような怪しい人々が境界性パーソナリティー障害とされるのですが、似たような障害ではないことをきちんと調べないと誤診になるわけです。 発達障害を知らなかったら、私は多分、境界性パーソナリティー障害にしか見えませんよ(ーー;) 大切なのは、グレーゾーンの捉え方だと思います。 『おかしい』となると、 (1)マナーの悪いご近所とトラブルになっているか、 (2)「マナーが悪い」とご近所から苦情を言われているものですよ(ーー;)b
お礼
確かにパーソナリティ障害の中にも色々ありますよね。 私は精神科でBPD(境界性パーソナリティ障害)に一番近いだろうと言われています。バレてしまいましたか。 偏ったおかしい考え方や行動となると、社会的に問題を起こしているということですね。 参考にさせていただきます。 回答ありがとうございました。
お礼
やはり今のパーソナリティ障害の定義はかなり曖昧なものだと確信しました。 とても参考になりました。 回答ありがとうございました。