>1.生成言語学派は、THE postulate である、意味論的に不適格だが文法的に適格な文という notion からして偽です。; - "Do 'ideas' sleep, Dad? / What kind of ideas sleep, Dad?" - "Colorless 以下略." からも、『デカルト派言語学』中のチョムスキー自身の告白からも、そういう文が偽な文であって、有意味文の一種なことは、もはや明白です。
誤解があるようです。
チョムスキーが言いたいのは、
(1)文法的で、意味論的にも語用論的にも問題なく解釈できる文
(2)非文法的な文(意味は分かる文を含む)
(3)文法的だが、意味論的・語用論的にどう解釈していいか分からない文
これらをきちんと区別しましょう、ということです。
あたりまえでしょ。
(1)大きな犬が太郎にかみついた。
(2)*大きな犬が太郎がかみついた。
(3)#豆粒ほどの巨大惑星が、まばゆい暗闇にかみついた。
(1)と(3)の区別がないと、詩的表現などあり得ない。
「面白い言い方をするね」というのは、大抵が統語的には何ら問題がないが、意味論的・語用論的に日常言語から外れているものをいう。
つまり、おかしな言い方、意味が分からない文には二通りあって、統語的におかしい非文と、意味解釈上おかしい文があって、区別しようよ、という至極まっとうなことです。
>2.三種の態を単純化・教条的図式化し過ぎておられます。:
そりゃそうですよ。
こんな狭いスペースでそんな無茶を期待されても。
それならラネカーをお読みください。
Foundations of Cognitive Grammar, Volume I, II. Stanford, California: Stanford University Press, 1987/1991
Ten Lectures on the Elaboration of Cognitive Grammar. Leiden and Boston: Brill. 2017. Distinguished Lectures in Cognitive Linguistics.
認知文法論序説 / ロナルド・W・ラネカー著 ; 碓井智子 [ほか] 訳
東京 : 研究社 , 2011.5
>受動態+by+焦点 . の場合は、動作主も顕在的で、むしろ、強調されている位ですから。
う~ん、ちょっと違う。
談話の流れと前景化・背景化、エネルギーの流れと一緒くたにしてはいけない。
でもそれを説明していると、優に一冊の本になっちゃう。
ところで、ラネカーの認知文法だけが本物ですか?
構文文法とか、メンタルスペース理論とか偽物ですか?
個人的には非人称構文に関しては、構文文法の方が有効だと思いますがね。
お礼
またまた御丁寧な御回答を、誠に有難う御座いました。
補足
厳密・厳格な意味で申し分のない文法性を備えた文や文章と、文法性の度合いの低いのと、文法性ゼロのとが峻別されるべき、というのは理解できます。それでも、文法性度の低いのも、意味構成体が入力として前提されるべきでは有りませんでしょうか。意味の入力を無視した、或いは、それの分析・究明なしの文法論は、有り得ないのでは有りませんでしょうか。但し、生成語彙意味論や、概念意味論は、TGGの枠内のもので、TGGの前提を全て活かしているようですので、頂けませんけれども。