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日本語動詞の過去を表す言い方には
太郎が学校に「行っ」「た」 太郎が学校に「行った」 「行った」が二語から成ると考える分析と、全体で一語とする分析について、それぞれの分析の利点と欠点は何ですか?
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- OK1723TRD
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回答No.3
利点と欠点の問題ではなく、日本語の語とは何かの事実と論理の問題です。 膠着語である日本語は単純で、裸体的な内容を持った語を結び付け文に表現します。 「行った」は動詞「行く」の連用形「行っ」+過去の助動詞「た」という句です。 「行った」は単語ではありません。■
- SPS700
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回答No.2
これは意味を単位とする次元(甲、とします)と、語を単位とする次元(乙とします)の利点と欠点のご質問としてお答えします。 1。甲 ご質問で、日本語動詞の「過去を表す」という言葉遣いで意味の目が考慮されていることは明らかです。しかし 太郎が明日学校に行った時には、もう誰もいないでしょう とも言えるのでここでは「完了」の意味に変えます。 2。乙 いった、を「行く」に相当する部分と「完了」に相当する部分を、音と直結した 語の単位で、二つに分けると、tta が tt+a、t+ta になります。 3。丙 ですから抽象的な甲だけ、あるいは具体的な乙だけの分析ではなく、 (い)歴史的事実を援用して (連用形の)行き+た>いった とするか (ろ)形而上学的時間を考慮して 行くを意味する物+完了>行った とすればいいと思います。
- Biolinguist
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回答No.1
「タ」は非拘束形態素であり、固有のアクセントも持たないため、語とは認めがたい。 「イッタ」も //ik//+/ta// と分解できるので、語を分解不可能な最小単位とするならば、それは不適切である。 したがって、「行った」は二形態素からなる一語であると考えるべきである。 という解答ではいかがですか?