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他人の子供を育児する女性は一体どうしてよき育児婦になれるのか
- 本当の母親に代わって育児する女性は、悪い母親だ、一体どうしてよき育児婦でありえよう?
- いつの日かそうなる日も来るやも知れぬ、(子供を育てる)習慣が(その人の、人としての良くない)本性を超えることもあろう
- だが子供は育児をしてくれる女性が母性的な愛に目覚めるまでに百回死ぬだろう
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以下のとおりお答えします。 と言いましても、お訳以上の翻訳は、正直、私の力量の及ぶところではありません。 ただ、ルソーその人については私も大好きで、カントも耽読したという『エミール』も、赤裸々な自己開示の『告白録』も、大いに関心のあるところです。 そこで、勝手ながら、いきなりの道草、ちょっと我田引水させてください。 ルソーは生後すぐに母親と死別したそうで、この引用部分は、彼が実感したことに違いありませんね。しかも彼は、愛情に飢え、温もりを求めて16歳のときに故郷を捨てたといいます。でもそのおかげで、素晴らしい「母親」(兼恋人?)にめぐり合ったようです。詳細はこうです。 『哲人とエロス』(志村武)によれば、ルソーは貧しい時計師の息子としてジュネーヴに生まれ、生後すぐに母親と死別した。13歳で徒弟奉公に出されたが、3年後、冷遇に耐えかね、愛情に飢え、温もりを求めて故郷を捨てる。その時、教区の司祭が、《アヌシーへ行ってごらん。あそこには大変情深い婦人がおられる。国王からの援助を受けて、よこしまな道から魂を救うことに努めている方です》と言って、ヴァラン夫人という女性を紹介してくれた。 「きっと気むずかし屋の凝り固まった婆さんに違いない」と思うと気が進まなかったが、さりとて飢えは迫るし、他に行先の当てもない。彼はしぶしぶアヌシーへ向かった。ところが、夫人に出会った瞬間に彼は、《魂の共感を否定する御仁がいたら説明してもらいたい。どうして、ヴァラン夫人は最初のめぐり逢い、最初の一言、最初の一瞥で、私の心に世にも激しい愛情と、その後いつまでも失わなかった信頼感を植えつけてしまったのであろうか》と告白するほど魂を魅せられてしまったのである。愛嬌のこぼれる顔、優しさのこもる美しい瞳、まぶしいような肌の色、胸のあたりの豊かな曲線。予想は完全に外れた。彼女は天女のように美しい。《こういう伝道者の説く教えならきっと天国へ導いてくれるに違いない》と彼は確信してしまった。それもそのはず、彼女自身もかつてよからぬ道にそれて、魂を救われた経験の持ち主だったのである。 当時彼女は28歳で、ルソーにとっては12歳も年上の女性である。従って、《この魅力ある婦人に私が抱いた気持ちの中には、確かに少し普通でないものがあった》というのも無理はない。彼のこの初恋には、明らかに母親を慕うような気持ちがまじっていたのである。生後すぐに実母と死別していただけに、母性的愛情には人一倍飢えていたのだ。ヴァラン夫人は、司祭の紹介で訪れてきたこの不幸な少年を快く引き受け、やがて彼をして「私の一生のこの時期が、私の性格をはっきり決めてしまった」と言わしめるほど、愛情に満ちた世話をやいてくれた。彼は、音楽、ラテン語、哲学、歴史などの基礎知識も全て彼女から与えてもらった。だから、《ありったけの熱情で愛してはいたが、自分のためよりも彼女のために愛した。少なくとも、私は彼女のそばにいて快楽より以上に幸福を求めた。…つまり、情欲で求めたりするには、あまりにも愛していた》のである。 しかし、健康な肉体を持つ男が順調に成長していけば、想像と欲求と好奇心が一つになって、「男になりたい」という情念にあえがない者はない。それはいかに理性が言い聞かせても決して消えることのない男の業火であると言えよう。やがて、最初に会った年から数えて四年目、《初めて私は女の胸に抱かれる自分を見た。熱愛する女の胸に。私は幸福だったろうか。いや、快楽は味わった。しかしその喜びの魅力は、何か知らぬ打ち克ち難い悲しみに毒されていた。私は何か近親相姦を犯したような気持ちだった》。 彼は、自分が体験した幾度かの恋について、『告白録』の中で述べている。《私はあまりにも誠実に、あまりに完全に恋をするので、容易に幸福になれないのであった。かつて私の愛情ほど、激しくて同時に純真な愛情はなく、また私の恋ほど、優しく真実で欲得のない恋はなかっただろう。私は好きな人のためなら、自分の幸福は千度でも捨てる気だった。その人の体面を守ることが自分の命より大切だ。自分の享楽のために、たとえ一時でも相手の人の安息を乱したくない。そのため、恋の企てに気を配り、秘めやかにし、慎重にするので、いつもうまくいったことがない。女のことであまりいい目に会わなかったのは、いつも相手を愛しすぎたためである。…》この、真に迫った告白は、人を恋う切なる気持ちと、優しい気遣いと、彼の誠実な人間性を彷彿させ、250年後の今日なお我々を引きつけてやまない…。 おっと、すみません。わき道にそれて、長々失礼しました。これでは、回答ならぬ「怪答」と見られて削除されかねませんね。仕方ないです。まな板の鯉のようにあきらめて、最後に「駄訳」を― 《子にとって、乳母はしょせんは継母、生みの実母に劣るは如何ともしがたい。哺乳ビンは、いかにしたら乳房になれるか? 時の流れが、それらしく感じさせてくれることもあろう。「習い第2の天性」となることもあろう。だがしかし、乳母が誠の、天与の母性の、慈母の愛を、子に授け得るまでに、子は幾たびか、死を生き、生を死ぬることであろう。》
お礼
どうもご丁寧なご回答ありがとうございます。 お詳しいのですね、私はルソーは読み始めたばかりですよ。英訳者の問題かもしれませんが、他の古典に比べて、多少読みづらい文章な気がしますが、(フランス語原文は読みやすいのかも知れませんが?)やはりさすが「思想の巨人」と言われた人だと思います。 よくここまで考えたものだと思わざるえません。 それにしても、いやぁ、ルソーも苦労したんですねえ。そりゃ人生いろいろありますよ。 訳して頂いた、翻訳文も素晴らしい出来でございますね! >子は幾たびか、死を生き、生を死ぬることであろう。 ちょっとカッコよすぎる表現ですね! どうもありがとうございました。