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無神論者の方に質問です
- 無神論者への質問:楽しさや儀式に対する考え方、死や生の意味について
- 佛教についての考え方と無神論者への質問
- 無神論者への質問:いのちのつながりや自己の存在について
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私の若い頃は無神論者でした。 神も仏も無用な生き方をしていたからです。 恐いものも辛いことも自力で乗り切れと思っていました。 余りはしませんが、日々生きられる銭も糧も女も友も運もありました。 でも、仕事で重責を担うようになり、付き合いで銭が足りなくなって、身体に異常が出て来た時、ふと「ああ神様」と天を仰ぐ私がいました。 1 今が楽しければ良いのでしょうか? ●そう思います。明日のことなどケセラセラです。 今日やらねばならんことを粛々と務め、後は飄々。 2 儀式的なものが面倒なのでしょうか? ●祝詞やお経の殆どは神や仏への称賛と神仏の存在への御礼です。 信者だって忙しいんだから、これは省いて私個人へのご神託があればそれで十分ではないかと思いますが… じっと座って聴いていたから得られたご利益はありませんでした。 3 死ねば唯の廃棄物であると認識しているのでしょうか? ●それが現実ではないでしょうか? 異論は神仏にもないと思料します。 4 生きている間のみが全てと認識しているのでしょうか? ●そう思います。だから此岸(しがん)で彼岸に挨拶しますが、返答はおろか山彦さえも来ません。 5 いのちの繋がり等は感じないのでしょうか? ●血の繋がりは否定しません。でも、血=命なのかは?です。 6 自己を知る必要もないのでしょうか? ●もう、浅学菲才は判っています。ヤンなるほど味わって来ました。 神仏も私に自己の開眼や悟りを要求しません。 今日は亡父の祥月命日ですので、箱根を越えて三島大社へ会いに行きます。 父が鬼籍へ入った歳と、私の歳が同じに至りました。 「お父さん、あなたが亡くなった歳に僕も至ったよ。偉かったと褒めて下さい。」と報告し、優しかったお父ちゃんを偲びます。 話しかけながら私は泣くと思います。 「おう!よく来た。でも、ここ30年余も毎月欠かさず参詣に来てくれてるじゃんか。まだ、こっちには来なくてもいいからもう少し元気でいろよ」と言ってくれるでしょうが、あの声で聞きたい。 いけねぇ、また涙が→😢が… 信心とはこれが標準で、以上お以下もないと爺は想います。
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- nagata2017
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宗教とか神様は 社会全体の価値観を統一するために必要だったのです。 人々が無知だったころは 神という絶対的存在が全てを見ているということで縛ることができたけど ガリレオの地動説 ダーウィンの進化論 など 科学の進歩と共に 宗教で教えているようなことはみんな架空の絵空事に過ぎないとわかって 宗教が力を失ってきたのです。 そこで現代は宗教にかわる価値観を統一することが必要になり 法律などが作られています。 生物の行動は全て遺伝子が命令しているのだ」という遺伝子理論も登場しています。 いのちのつながりではなく 遺伝子のつながり
- Postizos
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3にもうちょっと丁寧に答えますと、 遺体遺灰自体は物に過ぎないのですが故人を象徴する精神的な手がかりでしょう。 遺灰が物だからこそ特別な物であることができるのではないでしょうか。 もし精神や魂しか残らないのであれば遺灰を大事にすることにも意味が無くなります。 逆に戦死や事故死をして遺体が見つからない場合、故人を象徴する事物であれば特別な物として遺品などを代わりとすることもできるでしょうし、見つからなければ浮かばれないなどと考えるのは浮かばれないのではないでしょうか。
お礼
ご回答有難うございました。 ≫3にもうちょっと丁寧に答えますと、 遺体遺灰自体は物に過ぎないのですが故人を象徴する精神的な手がかりでしょう。 遺灰が物だからこそ特別な物であることができるのではないでしょうか。 だから、唯の遺骨であっても大切に扱う 手をあわせると 云う事かと思います。 又それを行う事によって繋がりを感じるという事かと思います。 ≫もし精神や魂しか残らないのであれば遺灰を大事にすることにも意味が無くなります。 逆に戦死や事故死をして遺体が見つからない場合、故人を象徴する事物であれば特別な物として遺品などを代わりとすることもできるでしょうし、見つからなければ浮かばれないなどと考えるのは浮かばれないのではないでしょうか。 心で思う事が大事だが、それも難しいだから大切なのではと思います。
- Postizos
- ベストアンサー率52% (1786/3423)
「無神論」の定義は難しいのですが、宗教的な世界観や宗教心の全てを否定とか反対するものではないと考えます。 「無神論」とは信仰を押し付けてくることや持つことが当然のような社会に生まれた場合の言い訳であると考えています。 西洋で信教を聞かれてめんどくさそうな場合仏教徒だと答えておきます。日本のつもりで無宗教などと言ったら特別な強固な思想信条のように受け取られるので異教徒と思われた方が安心されて楽。 私は特定の宗教は信じていませんがお寺や神社や名のある教会モスクなどをお詣りするのに抵抗はありません。と言うより奈良や京都の名刹などに行くのは好きです。 ただ自分の行動や信条を定めるのに帰属する宗教の教えには頼らない、宗教の信者のコミュニティに属さない、そういう主義を持っています。自分の考えではそれが「無神論」なのです。 1 信仰に関係なく人類の将来には思いや理想はあります。神様仏様を信じていれば自省的で自己規律があり、信仰の無い人にはそれが無いなどと考えるのは思い上がりでしょう。 2 希望して行う儀式はどの宗教でも「気持ちのいい」「すがすがしさ」を感じますがそれを義務化されたらたぶん嫌になるでしょう。 3 ただの廃棄物ではなくて遺体とか遺灰とか取り扱いに慎重さや精神的配慮を要する廃棄物になります。特定宗教を信じてなくても宗教的な精神は無いわけではない。 4 自分が死んだとしても次の世代や人類や社会が人間自身のために良い方向に行って欲しいという気持ちがあります。人類を取り巻く自然界に対しても。 5 上の4と同じ。 6 神様仏様(の言葉とは言っても人間が考えて書いた教え)や教祖様やえらい坊主の言葉に頼らずとも自分を客観的に捉え行動規範を持つことはできますしむしろ宗教習慣の縛りが無い分正しく判断できることが多くなると考えています。 宗教には高尚な思想によるものではなくて習慣に過ぎない部分が多々ありますね。 以上は特定宗教を批判するものではありません。
お礼
ご回答有難うございました。 返信遅れて申し訳ありませんでした。 ≫「無神論」の定義は難しいのですが、宗教的な世界観や宗教心の全てを否定とか反対するものではないと考えます。 「無神論」とは信仰を押し付けてくることや持つことが当然のような社会に生まれた場合の言い訳であると考えています。 西洋で信教を聞かれてめんどくさそうな場合仏教徒だと答えておきます。日本のつもりで無宗教などと言ったら特別な強固な思想信条のように受け取られるので異教徒と思われた方が安心されて楽。 私も「狂信者」ではなく、日本の旧来の神仏の関係者も その様な緩い習俗と共に発展した文化かと思います。 ≫私は特定の宗教は信じていませんがお寺や神社や名のある教会モスクなどをお詣りするのに抵抗はありません。と言うより奈良や京都の名刹などに行くのは好きです。 ただ自分の行動や信条を定めるのに帰属する宗教の教えには頼らない、宗教の信者のコミュニティに属さない、そういう主義を持っています。自分の考えではそれが「無神論」なのです。 多分日本人の多くはこうだと思います。 その緩い文化が良いと思います。 ≫1 信仰に関係なく人類の将来には思いや理想はあります。神様仏様を信じていれば自省的で自己規律があり、信仰の無い人にはそれが無いなどと考えるのは思い上がりでしょう。 確かに自己を振り返るのもそうでなくても出来ると思います。 2 希望して行う儀式はどの宗教でも「気持ちのいい」「すがすがしさ」を感じますがそれを義務化されたらたぶん嫌になるでしょう。 「清々しさ」の切欠で良いと思います。 3 ただの廃棄物ではなくて遺体とか遺灰とか取り扱いに慎重さや精神的配慮を要する廃棄物になります。特定宗教を信じてなくても宗教的な精神は無いわけではない。 これはよく理解できます。そこに悲しみや思いがあるのは 変わらないと思います。 4 自分が死んだとしても次の世代や人類や社会が人間自身のために良い方向に行って欲しいという気持ちがあります。人類を取り巻く自然界に対しても。 5 上の4と同じ。 6 神様仏様(の言葉とは言っても人間が考えて書いた教え)や教祖様やえらい坊主の言葉に頼らずとも自分を客観的に捉え行動規範を持つことはできますしむしろ宗教習慣の縛りが無い分正しく判断できることが多くなると考えています。 宗教には高尚な思想によるものではなくて習慣に過ぎない部分が多々ありますね。 以上は特定宗教を批判するものではありません。 確かに、色々な形で故人を偲び、繋がりを感じ、 自己を振り返る事も出来ると思います。 ありがとうございました。
- k-josui
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1 「楽しければ」ではなく「充実していれば」です。 2 儀式は面倒ですね。古来からの意味づけと、その後の世俗が入り交じっています。純粋に古来からの儀式はある程度必要かも。 3 その通りです。 4 これもその通り 5 繋がりはありますね。先祖がいたからこその私です。 6 何事も自己を知る必要はあります。
お礼
ご回答有難うございました。 ≫1 「楽しければ」ではなく「充実していれば」です。 確かによりよく生きるとは「充実」だと思います。 ≫2 儀式は面倒ですね。古来からの意味づけと、その後の世俗が入り交じっています。純粋に古来からの儀式はある程度必要かも。 儀式の流儀のみに縛られ、これが何を意味するかが伝わっていないのではと思います、繋がりや思いを伝える切欠でそれを伝える現代に即した方向も必要かと思います。 ≫3 その通りです。 4 これもその通り 5 繋がりはありますね。先祖がいたからこその私です。 6 何事も自己を知る必要はあります。 これが大事でかと思います、私の自分の都合の良い様に自己を見ます、だから先祖との繋がりの中で反省したりする事もあり、これが大事かと思います。
- alterd
- ベストアンサー率23% (137/595)
人間の願望を都合よく叶えてくれる人格神は信じません。 しかし、万物を統べる力を神と呼ぶことに異存はありません。 >1 今が楽しければ良いのでしょうか? 刹那的享楽だけの人生は否定しますが、人生を最大限に充実させ、かつ、楽しもうとしています。 >2 儀式的なものが面倒なのでしょうか? 単なる形式だけの儀式は嫌悪します。 しかし、儀式による慰謝や敬虔な気持ちまでは否定しません。 > 3 死ねば唯の廃棄物であると認識しているのでしょうか? 「廃棄物」などというネガティヴな捉え方はしません。 宇宙の原初的な形態へ帰るのです。 そして、ほんの束の間だったとしても、生命として存在出来たことを言祝ぎます。 >4 生きている間のみが全てと認識しているのでしょうか? 自分の意志が及ぶ範囲を生と呼ぶなら正しくそうです。 そもそも、生きている間ですら、自分の意志で出来ることは高々知れています。 しかし、大いなる宇宙の意志から生まれ、また、その中へ帰って行く所までを「全て」と呼ぶのなら、自分が居ない世界をひっくるめて「全て」だと思います。 >5 いのちの繋がり等は感じないのでしょうか? 宇宙の意志=神、から全てのいのちが生まれたと考えるなら 全てのいのちは繋がっていると思います。 問題は、その繋がりに美しいものと醜いものがあることだと感じます。 >6 自己を知る必要もないのでしょうか? 「自己を知る」ことは「よく生きること」の必須条件であり、かつ、完全に自己を知ることは不可能であると信じます。
お礼
ご回答有難うございました。 ≫人間の願望を都合よく叶えてくれる人格神は信じません。 しかし、万物を統べる力を神と呼ぶことに異存はありません。 神はこの様な象徴であると私も解釈しております。 ただ是が権力に利用されてきた事も否めません。 >1 今が楽しければ良いのでしょうか? 刹那的享楽だけの人生は否定しますが、人生を最大限に充実させ、かつ、楽しもうとしています。 これは大事かと思います。 >2 儀式的なものが面倒なのでしょうか? 単なる形式だけの儀式は嫌悪します。 しかし、儀式による慰謝や敬虔な気持ちまでは否定しません。 それによって、感謝や思いを表す切欠が大事だと思います。 > 3 死ねば唯の廃棄物であると認識しているのでしょうか? 「廃棄物」などというネガティヴな捉え方はしません。 宇宙の原初的な形態へ帰るのです。 そして、ほんの束の間だったとしても、生命として存在出来たことを言祝ぎます。 確かに廃棄物と云う表現を使ったのは私の偏見でした。 元素となり宇宙ヘ帰るという表現で良いと思います。 >4 生きている間のみが全てと認識しているのでしょうか? 自分の意志が及ぶ範囲を生と呼ぶなら正しくそうです。 そもそも、生きている間ですら、自分の意志で出来ることは高々知れています。 しかし、大いなる宇宙の意志から生まれ、また、その中へ帰って行く所までを「全て」と呼ぶのなら、自分が居ない世界をひっくるめて「全て」だと思います。 これが大切かと思います。 >5 いのちの繋がり等は感じないのでしょうか? 宇宙の意志=神、から全てのいのちが生まれたと考えるなら 全てのいのちは繋がっていると思います。 問題は、その繋がりに美しいものと醜いものがあることだと感じます。 清濁併せて繋がりはあると思います。 >6 自己を知る必要もないのでしょうか? 「自己を知る」ことは「よく生きること」の必須条件であり、かつ、完全に自己を知ることは不可能であると信じます。 確かに私も都合よく自分を解釈しますが、 5で述べた清濁併せた自己を知る、その切欠がご先祖との繋がりかなとも思えるのです。
- tzd78886
- ベストアンサー率15% (2590/17104)
1 今が楽しければとは思わないけど、健康と資産の範囲ならば問題は無い。私に家族はいないし。 2 はっきり言って面倒。そもそも葬式の時の宗教行事をすべて理解している人などほとんどいないし、略式で行われていることが大半。地域や時代によっても変化するし、簡略化される傾向にある。そんなことに時間と金を掛けるのは無駄。 3 「廃棄物」というのがそもそもおかしな考え。プラスチックごみや放射性廃棄物のようなものを除き、構成されている原子は循環していくもので、日本のように火葬にする国では一人のからだを構成していた原子は3年くらいで全世界に平均的に散っていくものだそうである。 4 死んだ人のことは生きている人の記憶に残っている間は別な意味で存在すると言える。 5 どういう意味で語っているのか分からないけど、地球に生命が誕生するかやって来たときからの科学的な考えにおけるつながりは感じる。 6 意味不明。
お礼
ご回答有難うございました。 返信遅れて申し訳ありませんでした。 ≫1 今が楽しければとは思わないけど、健康と資産の範囲ならば問題は無い。私に家族はいないし。 健康と資産(今コロナウイルスで大変ですが)これは大事かと思います。 ≫2 はっきり言って面倒。そもそも葬式の時の宗教行事をすべて理解している人などほとんどいないし、略式で行われていることが大半。地域や時代によっても変化するし、簡略化される傾向にある。そんなことに時間と金を掛けるのは無駄。 時代と共に変化していくと思います。 又現在コロナウイルスで参列できないので、リモート形式と云うのも増えているそうです。 又葬儀の移動車で車の中で葬儀が出来るようです。 ≫3 「廃棄物」というのがそもそもおかしな考え。プラスチックごみや放射性廃棄物のようなものを除き、構成されている原子は循環していくもので、日本のように火葬にする国では一人のからだを構成していた原子は3年くらいで全世界に平均的に散っていくものだそうである。 廃棄物と此方が断定していたのも偏見でした、申し訳ありません。 ≫4 死んだ人のことは生きている人の記憶に残っている間は別な意味で存在すると言える。 これが大切かと思います、そこにつながりやお育てがあると思います。 ≫ 5 どういう意味で語っているのか分からないけど、地球に生命が誕生するかやって来たときからの科学的な考えにおけるつながりは感じる。 6 意味不明。 唯、自分中心から先祖の繋がりに於いて、「独りじゃない」「生かされている」という事に改めて気付かされていくという事では無いかと云う事を墓参り等で思う事があります。
- tetsumyi
- ベストアンサー率25% (1946/7535)
無神論者じゃないけど体と別に魂が生き続けるとは思わない。 1,× 2、3、儀式は面倒だけど、故人を思い鄭重に葬る。 4、○、死後のことを考えて意味あるのかな?意味ある生き方を考えたい。 5、親を通して命を与えられたことは事実でしょうが、親の命とは別でしょう。 6、自己を知るとは何?悟りを得ると知ることができるの?
お礼
ご回答有難うございました。 返信遅くなり申し訳ありません。 ≫無神論者じゃないけど体と別に魂が生き続けるとは思わない。 これは私も同感です。 霊魂の存在は私は信じておりません。 昔土葬の時代に体内の燐を人魂と見立てた様です。 1,× 2、3、儀式は面倒だけど、故人を思い鄭重に葬る。 4、○、死後のことを考えて意味あるのかな?意味ある生き方を考えたい。 5、親を通して命を与えられたことは事実でしょうが、親の命とは別でしょう。 6、自己を知るとは何?悟りを得ると知ることができるの? 私も2は面倒だがそれにより命の繋がり(勿論今が大事だが)を感じると思います。 5の親や子とも私は違うでもそこにつながりがあり、 6の自己も「自分中心」から繋がりのある命の在り様を感じる事ができるのではと云う事かと思います。
- 404113
- ベストアンサー率7% (26/334)
積極的に信仰していない人間からしてみればあなたの発言は立派な批判です。 それに祖先と信仰は関係ないでしょ。いろいろむちゃくちゃです。 ちなみに私も回答は#1さんと同じです。
お礼
ご回答有難うございました。 返信遅くなり申し訳ありません。 ≫積極的に信仰していない人間からしてみればあなたの発言は立派な批判です。 それに祖先と信仰は関係ないでしょ。いろいろむちゃくちゃです。 ちなみに私も回答は#1さんと同じです。 確かに、批判と取られる様な箇所があったと思います。 申し訳ありませんでした。
- gesui3
- ベストアンサー率50% (95/187)
2、3 ほぼイエス。 1、4、5、6 ノー。 「味噌も糞も一緒」にした質問ですね。
お礼
ご回答有難うございました。 返信遅くなって申し訳ありません。 ≫「味噌も糞も一緒」にした質問ですね 確かに「こうだから」とは断定できない気がします。 ありがとうございました。
お礼
ご回答有難うございました。 ≫宗教とか神様は 社会全体の価値観を統一するために必要だったのです。 これが、道徳的な規律を生み出した反面、戦争や権力による統制を生み出した事もあると思います。 ≫人々が無知だったころは 神という絶対的存在が全てを見ているということで縛ることができたけど ガリレオの地動説 ダーウィンの進化論 など 科学の進歩と共に 宗教で教えているようなことはみんな架空の絵空事に過ぎないとわかって 宗教が力を失ってきたのです。 そこで現代は宗教にかわる価値観を統一することが必要になり 法律などが作られています。 これで迷信などは無くなって科学的な究明良い処も有ります。唯「譲り合う精神」や「生かされているいのちのつながり」等は遺伝子だけでなく、そこに無意識に内に神仏の 教えと云うものがあるのかなとも思え、儀礼や墓参り等でその様な事を感じる事があります。(私も狂信的なものは否定します) ≫生物の行動は全て遺伝子が命令しているのだ」という遺伝子理論も登場しています。 いのちのつながりではなく 遺伝子のつながり これも頷けます、ただそこに情というものがあります。 それがやはり儀礼や墓参り等でその様な事を感じる事があります。