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裁判は社会的正義で決まるのか?それとも裁判官に対し
裁判は社会的正義で決まるのか?それとも裁判官に対して上手く自分の弁を述べたもので決まるのだろうか? 社会カテゴリー皆さんの ご回答のほど、 お待ちしております。
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- okwave_pochi
- ベストアンサー率25% (1/4)
日本の裁判官は「どうかしてる」レベルの人が多いですからね。 たぶん日本でまともな裁判を行おうとしたなら、まず「裁判官の精神鑑定」を行うところから始める必要があるでしょうね。
- nannkaiporks
- ベストアンサー率26% (466/1765)
自民政権下では、政府に不利な裁判をやるときは事前に政府の意向を含んだ裁判官が赴任しています。 それは日本が、またはそういう国が三権分立を果たしておらず、独裁国家並みであるということです。 日本でも民間を巻き込んで社会正義の判決を取り入れましたが、政治家に対しては採用されていない。 ですので社会正義で裁判は行われていません。 重要な裁判は、政府・政治家・与党のさじ加減で行われています。 どんなに自分に非がなくとも、政権に対しては負けます。 それが少なくとも日本の裁判です。 原発・沖縄基地裁判を見れば一目瞭然ですよ。 事前に安倍・自民の息のかかった裁判官が赴任してますから。
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- toshi1860
- ベストアンサー率14% (14/95)
そもそも論として、この経済を別にしたら典型的な途上国に、社会正義なんてあるのかということがある。少なくとも検察や裁判官には無いことは断言できる。こうした司法が腐り食っているということを証明する事例なんて山ほどある。 テレビ局などの検証でも警察の提示した犯行時間や様々なありえない事実を提示してきたが、裁判所と警察、検察はグルなので、いったん決めたことは余程のことがない限り変えることはしない。 こうした冤罪の被害者が犯した最大の過ちは、警察の拷問に屈して犯行を自供したことだ。 1度でも犯行を自供してしまったら、非情で冷酷な裁判官はそれを理由にあくまでも被告となった人を犯罪者にしてしまう。 日本の裁判官は真実を追究するとか、間違ったことをただしてくれるなどと言うことは幻想なのだ。裁判官、検察、警察は仲良しグループを形成しているといったジャーナリストが居たが、いったん被告人の席に着いたら最後、よっぽど運が良くまともな裁判官に会わない限り考えられる限り最悪の結果が待っているに決まっている。そして、まともな裁判官に会うことなんて、殆どないに近いくらいに奇跡的なことなのだ。 従って、いつ自分が犯人に仕立て上げられても不思議ではないと言うことを考えておく必要がある。 もし、犯していない罪で逮捕されたら、警察は昼夜を問わず厳しい取り調べという恐ろしい精神的な拷問を仕掛けてきて自供を強要してくるが、いかにつらくても絶対に自供してはだめなのだ。 裁判になれば、裁判長に言えばなどと言うことは絶対に考えてはいけない。裁判長に正義や公正などと言うものがあると思っていたら大間違いなのだ。 今は殆ど消滅状態になってしまったが、ザ・スクープという番組があって、日本の裁判がいかに酷いものかを訴える番組を毎週放送していたが、おそらく権力側から強力な圧力がかかってきたのだろう。今や開店休業の状態になってしまった。あの番組では、いかに日本の裁判長というものが酷い輩の集まりかと言うことを嫌と言うほど見せつけられたものだが、あの番組を見ていた者は上記の話に完全に同意をしてくれるはず。あの番組では正義感など薬にしたくもないという輩ばかりが登場してきて、これがほんとうに日本で行われている裁判なの!こんな馬鹿がほんとうに裁判官なの!と放送の度に毎回唖然としたものだった。 裁判官というのは、この国では聖域なのだ。 どんなでたらめなことをしようが一切問題にならない。 でたらめな裁判で罪の無い人が数十年という長期間牢獄に入れられても、そうした悪質きわまりない判決を下した裁判官は何のおとがめも受けないし、マスコミも何も言わない。 このことを良いことに、裁判官は腐るだけ腐っている。それなのに、マスコミも政治家もこうしたでたらめな状態を放置したままだ。 結局、政治家もマスコミも自分たちが被害に遭わなければ良いのだ。国民がどれほど酷い目に遭おうが、そんなことはどうでも良いと思っていることは間違いが無い。 かつて、社会主義者ということで活躍していた人々は大変な弾圧をかけられて悲惨な最期を遂げている。そうしたことを乗り越えて現在があるというのに、共産党も社民党も社会党の影響下にあった人々もたくさん野党の中に入るはずなのだが、自分たちの先達が受けた苦しみを忘れたかのように人権には無関心だ。 この国では起訴されたが最後99.9%以上が有罪になると言うことなのだが、これは多くの人が冤罪の被害者になっているということは十分すぎるほど予測がつくことなのに、政治家どもは知ったことかという態度だ。 裁判官に公正など望むだけ無駄だ。裁判官は人工知能の発達によって無くなるとされている。人権という観点からは、一日も早く裁判官から人工知能に置き換えるべきなのだが、ただ、この国でその様なことが世界に先駆けて起きるとは到底考えられない。皆事なかれ主義で、自主性など薬にしたくも無い国民性だから。 アメリカやヨーロッパで取り上げられればあるいはということもあるが、最後の最後になることだろう。 とりあえずは、公正を期待するのであれば、裁判員の拡充を政治家に求めていくしかないのではないか。今は、重罪犯だけが裁判員制度の対象になっているが、全ての裁判に裁判員をということだ。 世の中の多くの頭がお花畑状態の馬鹿は刑罰が確定した者は、必ずその刑罰に見合うだけの罪を犯したと思い込んでいるらしい。 しかし、この国では冤罪は日常なのだ。 勿論、マスコミに取り上げられないもの、それほど重罪で無い場合も含めたら膨大なものになるだろう。 第3者から見てたいした罪で無くても裁判で有罪となったら、殆どの場合その人にとっての人生が全くそれまでと違ったものになってしまう。その後の人生において殆ど死刑を下したも同然となるだろう。 冷酷で非情な裁判官は、他の国であれば無罪になるようなものに平然と有罪の判決を下して恬として恥じない。 こうしたことの一番の問題点でもあり、原因でもあるのが警察と検察の癒着。さらには検察と裁判所は一体化しているために公正も無ければ公平も無い。正義すら無いというのが日本という遅れた国の裁判所なのだ。だから、起訴されたが最後99.9%以上が有罪になる。この数字は裁判官が冷酷な人でなしで、人間性のかけらもないと言うことを明確に物語っている何よりの証拠だ。 少し前に、この99.9%以上が有罪になると言うことをテーマにしたテレビドラマがあったが日本以外の国で、99.9%以上が有罪などと言う国は北朝鮮くらいなものだろう。 先進国は勿論、途上国だって99.9%以上が有罪などと言う国はまずないだろう。 日本でも建前としては疑わしくは被告人の利益にと言うことになってはいるが、現実の裁判官のやっていることは、疑わしきは罰するのはもちろん、疑わしくなくたって有罪ということなのだ。逆に、裁判官がこのように思っていなかったら99.9%以上が有罪などという数字は決して出てこない数字だ。 言うまでも無いことだが、日本以外の先進国では有罪率は80%くらいが普通だからだ。これは日本以外の国では無罪判決を受けているはずの人の多くが、日本という遅れた途上国では有罪判決を受けていると言うことでもある。 裁判官がいかに人でなしかということのもう一つのわかりやすい事例が籠池夫妻だが、彼らは1年近くもの間牢獄に入ったままになっていた。籠池夫妻は有罪の判決を受けた訳でも何でも無いのに長期間に渡って牢獄に入れられたままになっているが、こんなことは日本以外の先進国ではあり得ない。 日本以外の先進国で有罪の判決を受けた訳でも無く、罪人でも何でも無い推定無罪の人を、長期間に渡って牢獄に入れておくなどと言うことは人権侵害もいいところだし、更に問題なのは、本来中立であるべきはずの裁判所が、検察や政府よりだと公言しているのと同じだ。全く酷いもので、正義とはいったい何なんだと言うことになる訳だが、裁判所というのは絶対的な権力を持った組織であるが故に、その力はあくまでも正義に則って行使されなければならないはずが、正義とはかけ離れた行為を当然のことのようにやっている。全く、とんでもないことのはずだが、日本の馬鹿マスコミは、こうしたきわめて重大なことには関心すら示そうとせずに、大相撲の関係者がちょこっと暴力をふるったとなると大変な時間を使ってと大げさに騒ぎ立てる。 いったい裁判官がやっている不正義と、力士が仲間同士での諍いで顔を腫らしたというのとどちらが大きな問題かと思うが、全くもって日本の馬鹿マスコミの対応は愚劣きわまりない。 殆どの馬鹿マスコミは腰抜けなので、警察や検察、それに裁判所を批判するのは怖くてできないのだろうが、日本以外の先進国では何度逮捕されようが毅然として警察や検察の不正を糾弾するという剛の者が少なくない。だからこそ、権力側の不正を監視する能力を持っていると言えるのだし、ペンは第4の権力だと言われるゆえんでもある。 それにしても、日本の馬鹿マスコミは腰抜けで逮捕が怖くて警察や検察の不正には手出しができないのだが、そうだとしても裁判官は逮捕権を持っていない。所が、日本の馬鹿マスコミは腰抜けなだけではなく、馬鹿でもあるので裁判官も逮捕権を持っていると思い込んでいるようなのだ。全く、こんな馬鹿で腰抜けのマスコミなんて世界でも稀だろう。 そのくせに、自分たちの腰抜けを棚に上げて言うことだけはもの凄く立派なのだ。全くもって、情けないとしか言いようがない。
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- chie65536(@chie65535)
- ベストアンサー率44% (8741/19839)
適法で、整合性と合理性が保たれ、客観的でより強い証拠を提示した方が勝ちます。 社会的正義な内容であっても、違法性があったり、整合性が無かったり、非合理的だったり、証拠が無かったりすれば、負けます。 また、裁判官に対して上手く自分の弁を述べたとしても、違法性があったり、整合性が無かったり、非合理的だったり、証拠が無かったりすれば、負けます。 そして、民事の場合で「双方とも適法で、双方とも整合性と合理性が保たれ、双方とも自己の主張を裏付ける強い証拠がある場合」には、裁判所は「どちらが正しいのか判断できず判決を出せない」ので、双方に「和解しろ」と、和解を勧告して来ます。 なお、刑事の場合「疑わしきは罰せず」「推定無罪」の原則により「確固たる有罪の証拠」が無いと、無罪になります(自白調書は「確固たる証拠」になり得ます)
お礼
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- neKo_quatre
- ベストアンサー率44% (735/1636)
> 裁判は社会的正義で決まるのか? 地裁、一審ではそういう決まり方する事もあります。 > それとも裁判官に対して上手く自分の弁を述べたもので決まるのだろうか? 高裁、最高裁だと、具体的な証拠とか、訴えの内容の合理性や整合性で判断されます。 いくら社会的に正しくても、それをしっかり主張して、根拠等を提示できなきゃ、裁判官に心情をくみ取ってくれってのは無理です。
お礼
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- dragon-man
- ベストアンサー率19% (2711/13692)
裁判が社会的正義で決まるのは法治主義のない後進国です。日本や欧米のような法治先進国ではあり得ません。隣の国では国民情緒法という社会正義の判決がたびたび出るようですが。最近でた徴用工判決がそれです。
お礼
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裁判は法律に基づいて執り行われ、裁かれるだけですが。
お礼
ご回答のほど、 ありがとうございます。
日本は、法治国家ですので、法律に基づいて決まります。 社会的正義という基準が揺らぐものを使うことはありません。 基本的に裁判官に、内容とその関連法令を提示し、裁判官がその法令に対して合致している内容であれば、それを正として判断していきます。 うまく自分の弁を述べるだけでなく、法律に照らし合わせて正当な弁であることを主張できるかどうかです。 社会正義などを基準にした場合は、どこかの隣の国のように、社会の考え方で、国際条約などを平気で破る様な事も出来てしまうことになります。
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- nekosuke16
- ベストアンサー率24% (903/3668)
厳正を旨とする秋霜烈日を象徴する検察官のバッジ、自由と正義をひまわりと天秤で表現した弁護士バッジ、共に正義と公正中立を目指すものであり、そういう意味では裁判は社会正義で決まらなければならないでしょうね。 その社会正義を実現するに必要なものこそが、真実の追究。 そのために法曹はおびただしい証拠書類をかき集め、どこに真実があるのかを徹底的に審理する。 裁判官も検事も弁護士も、所詮は人間ですから、時としておかしな輩も現れるでしょうが、基本的には社会正義を追求していると思いますよ。 ただ、その社会自体が時代と共に変化変遷しますから、そうした時代の要請を踏まえて、法律の問題ですから時間は掛かりますが、それに即した判断ということも日常的にあると思います。 最近登場し始めたあおり運転は暴行罪であるという認識や、危険運転致死罪なども時代変化に対応したものであり、世論や国民感情とのバランスも必要だということでしょうね。
お礼
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- qwe2010
- ベストアンサー率19% (2193/11072)
裁判は、社会的正義で決まるのでもなく、 裁判官に対して、上手に自分の弁を述べたもので決まるわけでもない。 裁判官は、賢い人で、そんなことに影響は受けない。 言えるのは、法律にのっとって、それに応じた証拠を提示したほうが勝てるようにできている。 大事なのは、役にたつ証拠です。 これがないと、裁判は始まりません、進んでいきません。
お礼
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