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敗戦後の日本を占領した進駐軍。
占領軍と呼ぶのか、進駐軍と呼ぶのかどちらが正しいのか知りませんが、進駐軍について教えてください。 昭和20年8月以降、続々と日本へ上陸したと思いますが、どのくらい規模(人数)で、主にどこへ(地点)上陸して、どんな進路で進駐していったのですか。 日本の隅々まで、市町村レベルまで進駐していったのですか。 市町村レベルまで進駐していったのであれば、その目的は何ですか。 占領方針の周知徹底ですか。 よろしくお願いします。
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http://www.mclaw.jp/column/tsutsumi/column036.html このページになかなか詳しくまとまっていますよ。これ以上の詳細を調べるには、アメリカ本土に行って一次資料を調べるしかないでしょうね。それぞれの師団の公式記録に何月何日にどこに行ったというようなことは残っているはずですよ。 このページによると、全部隊のうちの1/4が横浜に集中していたということですね。軍港の横須賀、飛行場の厚木、首都東京にそれぞれ近くて大都市で便利だったからでしょう。 進駐した目的は、日本軍の武装解除です。米軍にとって最も警戒することは終戦に反対する日本軍の一部が山に立て籠ってゲリラ活動をすることでした。今のイラクやアフガニスタンみたいなことですね。 なにしろ日本軍というところは、映画「日本のいちばん長い日」で描かれたように天皇の終戦の詔勅の音声を奪おうとしたくらい狂信的に戦争継続をしようとしたところです。当然「天皇陛下がなんといおうが、俺たちは戦い続ける!」となることを最も恐れたんですね。なにしろ日本兵は降伏しないし、自爆攻撃までしてくるような連中です。 ところがぎっちょん、天皇の勅命が出た途端にあの狂信的な戦いはどこへやら、どこも従順に武装解除に応じたのです。それを知ったイギリスのチャーチル卿は「日本人はのど笛に喰らいつくか、ひれ伏すかのどちらかだ」と呆れました。 日本では山奥の村に至るまで大日本帝国(明治政府)の地方自治システムが行き渡っていました。だから日本政府に命じれば、そこから各県知事を通じて官僚システムが機能していたので間接統治でも上手くいったのです。近代国家ですから。
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- SPS700
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1。占領軍と呼ぶのか、進駐軍と呼ぶのかどちらが正しいのか知りませんが、進駐軍について教えてください。 はじめ、日本側は「進駐軍」という言葉を使っていましたが、しばらくしてアメリカ側が日本側に注意して「占領軍」という日本語に変わりました。 2。昭和20年8月以降、続々と日本へ上陸したと思いますが、どのくらい規模(人数)で、主にどこへ(地点)上陸して、どんな進路で進駐していったのですか。 全面的に来日したのではなく、旧日本軍の基地、例えばマッカーサーが来たのは日本軍が使っていた厚木基地、横須賀、佐世保がアメリカ海軍の入り口になりました。 3。日本の隅々まで、市町村レベルまで進駐していったのですか。 というよりは、日本の戦闘能力をなくして反撃の可能性がないようにするのがさしあたっての急務でしたから、各地の軍事基地が先でした。 3。市町村レベルまで進駐していったのであれば、その目的は何ですか。 まず反米蜂起の拠点を無力化するのが先だったので、モンペに竹槍程度の敵対準備しかない市町村は後回しでした。 4。占領方針の周知徹底ですか。 そういうことは二の次だったと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 要点を的確に説明してくださったのでよく分かりました。 進駐は、日本の戦闘能力をなくして反撃の可能性がないようにするのが急務でしたから、各地の軍事基地が最優先ということですね。 そして、占領方針の徹底などは、確かに二の次でいいですね。 納得しました。 「進駐軍」なら聞こえがよいが、「占領軍」という表現を日本は嫌ったのでしょうね。
- jkpawapuro
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少し付け加えさせていただきます。 そもそも太平洋戦争をアメリカが起こした目的に立ち返りましょう。 戦前日本の教科書にはアメリカは大陸における機会均等・門戸開放を求めてとなっていますが、平たく言うと日本に奪われた中国市場を取り戻せってことです。日清戦争後アメリカのドル箱だった中国綿布市場は日本に侵食され紡績不況を起こしひいては世界恐慌へとつながります。 第二次大戦を通してアメリカは重工業国に転換しますが、初志も忘れたわけではありません。 アメリカの綿糸紡績業と日本の綿糸紡績業、その決定的な差は人件費にありと分析し、アメリカは日本人に滅私奉公のメンタリティーを捨てさせ個人の権利を重視したいわゆる左派教育を推し進め、それとともに労働組合を結成させます。 すべて日本人の給与をあげさせアメリカとの国際競争力の差を埋めさせる布石です。
お礼
ご回答ありがとうございます。 綿糸紡績の闘いが根底にあったと言うことですね。 そして、「すべて日本人の給与をあげさせアメリカとの国際競争力の差を埋めさせる布石です」の箇所もよく分かりませんので後日調べてみます。 参考になりました。
- oska2
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>昭和20年8月以降、続々と日本へ上陸したと思います その通りですね。 連合軍最高司令官であるマッカーサー元帥の厚木基地着陸前後に、日本中に連合国の軍人が進駐しています。 幸いな事に、アメリカ一国による占領でした。 ポツダム宣言などの占領だと、四国は中国の支配下・北海道はソ連の支配下になっていました。 21世紀になっても、四国は中国共産党独裁政権支配化。北海道はロシア独裁政権支配下のままだったでしようね。 >どのくらい規模(人数)で、主にどこへ(地点)上陸して、どんな進路で進駐していったのですか。 当初は、約20万人+軍属+家族。日本の独立前後は、10万人+軍属+家族です。 >日本の隅々まで、市町村レベルまで進駐していったのですか。 都道府県の、全ての県庁所在地に進駐していましたよ。 無差別絨毯爆撃でも焼け残ったビルを接収して、GFQ事務所としていました。 >市町村レベルまで進駐していったのであれば、その目的は何ですか。 軍国主義から、民主国家への移行です。 戦前は、天皇の旗の下で多くの軍事優先の政治・教育でした。 そこで、GHQとしては「政治学者・思想家が描く非武装中立の民主国家建設」を目指したのです。 早い話が、日教組・朝日新聞(TV朝日)・毎日新聞(TBS)などの左派系国家建設です。 ※左派系でも、共産主義は弾圧しています。 曰く「日本は、悪い国だ」「愛国心は、軍国主義者だ」「日の丸は、軍国主義の象徴だ」とね。 ところが、朝鮮戦争の勃発で「アメリカ政府の方針が180度変更」になります。 「アメリカに忠実な軍隊を持つ、民主主義国家建設」 非武装政策から、警察予備隊⇒自衛隊容認政策(日米安保)に変わります。 中立政策から、対共産主義国家への防波堤として自由主意国家陣営に組み込みます。 また、将来の「日本への輸出」を考えて「文化の欧米化」を進めました。 2級品の小麦粉を無償援助する事で、米食中心からパン食中心に食生活を変更。 3級品の脱脂粉乳を無償援助する事で、乳製品の消費がダントツに増えます。 1945年時点で、アメリカは数十年先の事まで考えて政策を実行していたのですね。 結果として、原爆・非武装一般市民への無差別絨毯爆撃を行った米軍・アメリカに対する日本国民の認識も変わりましたよね。 戦後70年以上経つと、米軍・アメリカを非難する日本人は非常に少数です。 どこかの国の様に「謝罪しろ・賠償しろ」と絶叫する方は、居ません。 民主主義教育のお陰で、軍国主義思想から抜けて民度も高くなりました。 「国と国との条約・協定は、国民には関係ない」という民度が低い国民も居ませんよね。 占領軍支配は、長所も短所もあります。 日本国憲法も、アメリカの法律学者が書いたものを修正したに過ぎません。 ※非武装中立政策の結果、憲法9条が生まれました。 マッカーサー元帥から命令されて日本政府が作った憲法(松本試案)は、明治憲法と変わらないとして拒否されました。 良くも悪くも、アメリカの占領政策で唯一成功した例です。
お礼
ご回答ありがとうございます。 市町村レベルまで進駐していったのは、「軍国主義から、民主国家への移行」を隅々まで知らしめるためだったのですね。 ソ連が北海道を掠め盗ろうとしていたのは知っていましたが、四国を蒋介石が狙っていたとは、知りませんでした。
- ithi
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kouki-koureisyaさん、こんばんは。 昭和20年8月以降、続々と日本へ上陸したと思いますが、どのくらい規模(人数)で、主にどこへ(地点)上陸して、どんな進路で進駐していったのですか。 昭和20年ころ40万人だった兵力は21年には22万、22年には12万人程度だったと思います。 日本の隅々まで、市町村レベルまで進駐していったのですか。 確かに占領方針の周知徹底もありますが、軍事施設のある所は優先的に進駐していたと思います。収容能力のある所には兵力を駐屯させておくのに便利なのです。 詳細は下記のURLを参照してください。 占領下の日本 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%A3%E5%90%88%E5%9B%BD%E8%BB%8D%E5%8D%A0%E9%A0%98%E4%B8%8B%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC GHQ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%A3%E5%90%88%E5%9B%BD%E8%BB%8D%E6%9C%80%E9%AB%98%E5%8F%B8%E4%BB%A4%E5%AE%98%E7%B7%8F%E5%8F%B8%E4%BB%A4%E9%83%A8 英軍の占領軍 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9%E9%80%A3%E9%82%A6%E5%8D%A0%E9%A0%98%E8%BB%8D#%E5%85%B5%E5%8A%9B
お礼
ご回答ありがとうございます。 「英軍の占領軍」についてもよく分かりました。 最大時は4万人、呉に司令部、空軍は岩国、英国企業の支店があった神戸にも駐屯したのですね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 正にズバリです。 よく分かりました。 どんな理由があってそうしたのか、いきさつを理路整然と無駄なくまとめて、流石!法律家の文章だと感心しました。 私もこんな風に書きたいものです。 ところで、後半の想い出話がとても面白かったです。 「代用食・オンリーさん・ギブミーチョコ・石ぶつけ・タガまわし・母艦水雷」など、全て知っています。 子どもの頃、「ボッカンスイライ」という遊びをしましたが、「母艦水雷」と書くということを初めて知りました。 この人は「進駐軍」と書いていますね。 私も「シンチュグン」と言っていました。 「ギブミーキャンデー」も鮮烈に覚えています。 こんなことは、いつまでも覚えているものですね。 昨日何をしたか、は忘れても…。