• 締切済み

他者の気持ちがわからない人が多すぎませんか?

私の周りだけなのでしょうか。他者の気持ちがわからない人(特に若者)が多すぎる気がします。 昔から「困った時はお互い様」という言葉がありますが、そういう人たちは「(自分が)困った時は助けてほしい」、でも他の人が困っていることには気づかない。そして「なんで〇〇してくれないの?」と不平・不満だけ述べる。 みんな大変なのに、自分だけが大変かのように大声をあげて、騒いで、我慢ができない。目立ちたがりで自己主張が激しくて、周りからの賞賛を欲しがるくせに、評価されるべき行いなどしていないから評価されないのは当たり前。なのに、「自分はできる人間」と勘違いしている。自分の価値観が絶対的真実かのように、頭でっかちで、白黒つけすぎる。 主観が強いから、好きな人には親切にするけれど、嫌いな人とは関わらない。 要するに、自分の都合だけでしか物事を考えられない人が多すぎる気がします。忍耐力にも乏しいです。 昔は、「あの人は〇〇で私は好きになれないけど、悪い人じゃないからせめて~してあげようか」といった人情のようなものが少なからずあったように思います。また、頑固で決めつけの激しい人に対してでも「話せばわかる」という人も多かったのではないかと思います。 しかし今では、自分の好き嫌いが絶対的な基準で、人としての最低限の人情も感じられない、「あの人は話しても無駄だから」と勝手に決めつける気がします。 正直、人として冷たい人が多くなった気がします。 みなさんの周りはどうですか?

みんなの回答

noname#231557
noname#231557
回答No.13

ナァナァで済まされる事がなくなって、それで美味しい思いをしてきた人間が減る。それのどこがいけないのでしょうか? 日本的なナァナァも善し悪しありますが、そのナァナァで負わなくてもいい義務や責任を負って苦しんでる人も沢山いますから。 情が無い訳じゃないですよ?困った人がいれば助けます。 しかし、その善意や好意を悪用したり後足で砂掛けるような事をする無礼な人が最近は本当に目立つ。 下手に他人と関わってリスクを背負ったり不快な思いをするぐらいなら、他人なんて一切関わらないと割り切って生きる人もいるでしょうね。

noname#261481
noname#261481
回答No.12

自分は50代ですが、それで良いと思いますが… 何も他人の顔色を伺う必要はないです。 特に若いときは生意気だと言われくらいの方が良いかと思います。 自分もそうでしたが物分りの良い若者ばかりなんて逆に気持ち悪いです。 時を得てそういう余計なスキルを得る物です。 何かを失うのと引き換えにねぇ。

  • zabusakura
  • ベストアンサー率14% (2383/15960)
回答No.11

確かに自己主張が強く人の意見に寛容でない人が増えたとは 思いますが個人情報の保護の兼ね合いで踏み込みたくても 踏み込めないから仕方ないという経験をされてる方は 多いんじゃないでしょうか?

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11083/34534)
回答No.10

いや、いいんじゃないですか、それで。 だって今までの日本社会ってそういう「みんなが我慢しているんだから、お前も我慢しろ」っていう同調圧力の社会だったじゃないですか。みんながサービス残業をしているんだから、お前もサービス残業しろ。みんなが有給休暇がとれないんだから、お前もとるな。まあそんな感じだったわけじゃないですか。 人情を否定するわけではないけれど、こういう国際社会になった世の中で「私は特に何もいわないけれど、顔色を見て察して欲しい」という日本人特有の甘えはもう通じなくなってきていると思いますよ。

回答No.9

両親が共働き、兄弟がいない、祖父母も離れて暮らしているという家庭が増えたからでしょうね。良いかどうかではなく、テレビやネットからサービス精神いっぱいの偏った情報が、一方的に入ってくるものに慣れてしまうと、他人への配慮は欠けていくと思います。

cheese16
質問者

お礼

ありがとうございます。 ご明察と思います。自分と違う世代、立場の人間との現実世界での交流の減少で、想像力が欠如していますよね。 また、「やってもらって当たり前」の横柄な態度。 若者全体の批判では決してないですが、そのように、断片的なものでしか物事を判断できず、自分の知らない面と向き合う機会が少なかったり、「思い通りにならないこと」と折り合いをつけていくことを学ばないままだったりでは本当によくないなと思います。 でも確かに、若い世代だけでなく、どの年代にも共通していることかもしれません。

  • dottimiti
  • ベストアンサー率12% (286/2363)
回答No.8

・世話をすれば過干渉・覗き見趣味と批判される ・知らない人に物をもらわないという教育 ・詐欺に気をつけてとの啓発活動がある というような、一見して原因になりそうなことがいろいろありますね。 とにかく空気読むタイプの人は何もできないことが多いので、取り残されないためには、そこのリーダー格の人に一目おかれるようにするとか、工夫が必要ですね。

  • kei00332
  • ベストアンサー率11% (5/45)
回答No.7

逆に聞きますがあなたは他者の気持ちが解るんですか? 超能力者か神様にでもなったつもりですか? 僕は人間関係があまり得意ではないので相手の気持ちをわかったようなふりをしている人間がどうも信用するに値しません。 >自分の価値観が絶対的真実かのよう 自分でも仰ってるように、これが自分にも当てはまることを自覚してるならばこのような言葉が出るとは思えません。 そもそも非常識で他人の気持ちを考えないのは若者というより年寄りに多いと感じますね。 あなたが若者がーと思い僕が年寄りがーと思うのは時代の流れということではないでしょうか? 人間十人十色という言葉が有って何でも自分の感覚で相手を同じと考えてはいけませんし、それがなんであれ法律を犯してたり決まりきった明確なルールを逸脱してるわけでもないならあなたがそれを否定する権利などないのです。

  • 5ji55fun
  • ベストアンサー率9% (45/491)
回答No.6

皆の心は、散りに散って、共通項も意識しないと合わせ込めなくなってきていること、実感します。 小学生のように、心通えたらなあと、月に一度くらい思います。

noname#238475
noname#238475
回答No.5

他者の気持ちがわからない人が多すぎませんか?……私は、60代後半の男性ですが、今も昔も「そんなに変わらない」という気がします。回答者が質問してはいけませんが、「多すぎる」という根拠は何でしょうか??? 私の周りだけなのでしょうか。他者の気持ちがわからない人(特に若者)が多すぎる気がします。……cheese16さんの周りだけでもないし、若者だけでもないと思います。今も昔も変わらないと思います。むしろ、「若者」のほうが、若者同士はそれぞれにお互いの気持ちを分かり合っているのではないかという「漠然とした印象」があります。それは、古今東西を問わず同じじゃないかなぁ??? 昔から「困った時はお互い様」という言葉がありますが、……現在もその精神は生きているし、国の予算(東日本大震災の復興のための予算)や隣近所を見渡してもいろいろなボランティア活動など沢山ありますよ。 他の人が困っていることには気づかない。~~嫌いな人とは関わらない。……そんな人、昔も沢山いましたよ。 要するに、自分の都合だけでしか物事を考えられない人が多すぎる気がします。忍耐力にも乏しいです。……「多すぎる」とか、「忍耐力にも乏しい」という根拠が分かりません。「思い込み」ではないでしょうか??? 「3丁目の夕陽」の世界にも、「表」があれば、「裏」もあったと思います。 人として冷たい人が多くなった気がします。……そうではなくて、「他者と関わらなくても生きていける」と思い込んでいる人が多くなっているという気がします。 何事も思い込んでしまうと、真の姿が見えなくなるという気がします。 私も時々家内から叱られます。

  • g27anato
  • ベストアンサー率29% (1166/3945)
回答No.4

「他者の気持ち」は分かろうとして分かるほど簡単なものではありません。 そこにこだわり過ぎると他者を縛ったり自分を縛ったりすることになりかねません。 質問には「困った時はお互い様」とありますが、 私が言うなら「良くも悪くもお互い様」です。 都合がイイ時だけの「お互い様」は通用しないと考えてます。 「お互い様」の心に若者も年寄りも関係ないと思います。 「都合のイイ時だけお互い様」は昔から有りましたから。 気付いた時に気付いた人が可能なら助けてやればよい事です。 誰かが誰かに義務を負わせたり評価するものではないと思います。 助けを求める者は自分の都合で助けを求めます。 助ける者は自分の都合が悪く無ければ助ける、それだけの事です。 「話せばわかる」とか「人情」に訴えるのが、 全て正しいとか悪い事とか決めつける事に疑問を覚えます。 人は育った環境で物事の捉え方も考え方も変わります。 全ての人間を同じ考え方の型にはめようとする事には疑問を感じます。 熱い人間が様々な経験を重ねることで、冷たい人間に変わることもあります。 現代は表面だけ捉えて「情が感じられない」と、簡単に好き嫌いの評価を下す人が増えてると感じてます。 表面的な情に騙される人も増えてると感じてます。 常に情を求め続けると人生が辛くなりませんか? その人間にとって何が必要なのか、 助けない冷たさが必要な場合も有ります。 今は助けない事が、その者の将来にとって最も大切な場合もあります。 その人間の為に、そのような冷たい判断さえも下せる心の強さこそが、本当の「人情」なのだろうと思う次第です。 私の周りに冷たい人間…考える意味もありません。 私自身が冷たい人間ですから。 私が情を見せるのは、その人間が本当に追い詰められた時だけです。 それも私に可能な範囲で、その者が自力で這い上がれるところまでです。 情に訴えて助けを求めるのは自力で生きる事を放棄した者です。 そのような者を情に流されて助けるつもりは一切有りません。 自分の気持ちだけに縛られる者に、他人の気持ちなんかが分かろう筈もありません。 …困った時だけではありません。 「昔は」でもありません。 今も昔も、「良くも悪くもお互い様」なんです。

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