>朝鮮半島の占領は上手くいったと思いますか?
極めて難しかったでしょう。
鎌倉幕府に先立つ平清盛は日宋貿易で財をなしました。
この日宋貿易で渡航する船の安全祈願に整備されたのが現在の厳島神社です。
厳島神社は海上に鳥居があるように船で参拝することを前提としていました。
このように当時朝鮮半島へ渡海するだけの航海術も造船技術も持っていました。
中国の沿岸や朝鮮半島沿岸を襲っていた倭寇はこの元寇に対する報復だった言われていました。
とは言え半島全域を軍事力で占領するには当時の武士の戦闘方法を根本から変える必要がありました。
当時の武士は騎馬武者が大声で名乗りを挙げ自分の相手を探しそれに答えて出てきた者との一騎打ちが基本でした。
元寇の際にも高麗兵に向かってこれをやりました。
高麗兵はそんなことはお構いなしに名乗り出て来た日本の武士を集団で射殺してしまいました。
日本の弓は長弓で飛距離はありましたが高麗兵の弓は短弓で飛距離は短いものの馬を自由に乗りこなしながら相手に接近して射殺していました。
元寇の際に馬は連れてきていませんでしたが兵装も戦法もそのままでした。
源平時代の末裔である当時の武士にとっては名乗りもせずに戦うのは卑怯者でした。
日本でも集団戦法が用いられるようになった切っ掛けがこの元寇でした。。
集団戦法が普及するには頼朝が朝廷に認めさせた守護、地頭などの地方の下級武士が台頭して主導権を持つようになった南北朝時代まで待つ必要がありました。
戦国時代の末期に秀吉が朝鮮半島に出兵して膠着状態にまで持ち込むことができたのも集団戦法が通常の戦闘方法になっていたおかげです。
ただし、秀吉軍を悩ませたのは明の正規軍よりも民衆によるゲリラ戦でした。
突然物陰から集団で襲い掛かりサッサと引き上げるゲリラ戦法でした。
つまり武器や体格の差ではなく戦闘方法に無理があったということです。
お礼
回答のお礼のコメントが遅れてすみません。 日本の武士団は合戦の歴史だらけで、異国との将兵にも勝る時もありますが、異国の領土の占領と統治の経験がないので、 最後は半島、大陸から追い出されるますね。 回答ありがとうございました。