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政党が理念不一致の烏合の衆と言うけど民主主義は
民主主義=多数決だから意見が違う人が混在することを受け入れるのが正しい状態ではないですか? 皆が崇高な人間で構成された理想社会でなく薄汚い現実社会を変えるのが政治の役割だからそれで正しくないですか? 意見が異なる人を同じ政党に入れると烏合の衆と中傷する人は独裁国家向けじゃないですか?
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- DCI4
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民主主義=多数決だから意見が違う人が混在することを受け入れるのが正しい状態ではないですか? 皆が崇高な人間で構成された理想社会でなく薄汚い現実社会を変えるのが政治の役割だからそれで正しくないですか? 意見が異なる人を同じ政党に入れると烏合の衆と中傷する人は独裁国家向けじゃないですか? ★回答 仕組みは ちがう くずは 自分の就職 利権のために 数合わせをして 国民をごまかす! ほぼ同じ方向の 集まりで 政党になりゃ迷惑ナシよ! どだい選挙資金ほしい 当選したいだけで集まる馬鹿は 一般国民に迷惑 ・・・・・ 投票しにくくなるだけ・・・・意味不明のまぬけの党が増えるだけ やってるのは 民主党の残党員のことよ せっかく 小池都知事が破壊してやったのに 馬鹿は 消えなきゃ なおおらない 次の選挙で消える予定 民主残党員って くずの仕組みでしかない! 維新や 共産党 をみならえばよし! どのみち民主(みんしん)の残党員は 役人転職組み 官庁既得権が多く まったく役にたたないだろ・・・・経済政策も無能すぎる 国会答弁も あげあしとりの くだらん 質問が多すぎ 、、、、現在の仕組みの解説、、、おわり、、、、、、、、、、、
- Wi-zard
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党内で意見がまとまらないのでは、ちゃんと一本化した政策が提案できないのでは? 政党については同じ意見の人間が集まるべきだと思います。多様な政党があればいいだけの話しです
- dragon-man
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政党は基本政策で一致した政治家の団体です。不一致のママ政党を作るのは法律で許されないわけではありませんが、無意味です。まともな政治活動(国会議員の役目である立法や審議)が出来ないからです。それをスムースかつ効率的に行うために(基本政策が一致した)政党があるのです。世界中の民主主義国威がそうなっています。そうでないと国会議員がそれぞれ勝手なことを言いだし、話がまとまりません。つまり政治が成り立ちません。日本の民主主義は、国民一人一人が直に行うものではなく、国民に選ばれた国会議員の代議員制による議会制民主主義により担保されます。その運営には基本政策で一致した政党が必要です。政策が異なる人を政党が排除するのは独裁国家とはまったく違います。独裁国家には民主主義も議会もありません。中国は共産党一党独裁国家で選挙も議会もありません。物事は民主主義では決まりません。共産党が決めます。人民代表大会は議会ではなく国家主席の施政方針演説の場でしかありません。
それはどこの政党のことを言われているんでしょうかね? 旧民進党のこと?希望の党のこと? 誤解を恐れずに言うと、実は自民党も(緩い)烏合の衆なんですよ。 いろんな意見があります。先日の衆院選では消費税増税は 「リーマンショック級のことがない限り実行する」と総裁が述べて いましたけど、衆院選の候補者応援の時には参議院議員の青山繁晴氏は 「消費税の増税は反対。むしろ減税すべき」と言っていましたよ。 それでも特に党から懲罰があるどころか、注意もされないそうです。 自民の結党精神は自主憲法の制定(改憲)が党是ですが、護憲の人も いるし、親中国派、親韓国派、親ロシア派もいます。 しかしそれでも自民党として最終判断は一つに絞られます。 内部の議論は旺盛に活発にされているし、色んな意見が出ることは まさに民主主義なわけです。これ、独裁ですかね? 希望の党の場合、安保法制の時に辻本清美の隣でプラカード持って 抗議していた玉木雄一郎が(踏み絵を踏んで入党したにもかかわらず) 共同代表選に出る、っていうんですからブラックジョークですよね。 希望の党なんて政党して最初から話になりません。 日本共産党なんて代表は東大卒しかなれないし、そもそも代表選挙すら されません。指名で決まるんですよ。選挙もせず代表を決める。 民主主義はありません。 真の独裁とは日本共産党のことだろうと思いますよ。
- hekiyu2
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政党って何のために存在するんでしょう。 政治家でも、一人では非力です。 だから、政治的志を同じくする同士が集まって 数の力で、志を実現しよう、とするのが政党です。 つまり、政党というのは、志を同じくする、という 大前提があるのです。 そうでなく、志がバラバラの人間が集まっても それは政党ではありません。 当選したいための利害共通集団に過ぎません。
- g27anato
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非民主的な党議拘束など、政党の体質にもよるでしょうし、 敢えて理念の違う政党に所属する理由が見つかりません。 民主主義であるからこそ、理念の一致する者同士が集まり政党を構成するもよし、無党派無所属を貫くもよし。 理念の一致しない者同士が集まっても、政党の体を為すことは難しいだろうと思います。 ただ、目的や方向性が一致した場合には一時的な連携をするという手法も有りますよ。 その時々に様々な選択肢が有り、当事者には選択権を行使する自由が有って然るべきです。 民主主義であるからには非民主的な党議拘束は、意見の違う者の行動を束縛するという大きな矛盾を生みます。 その矛盾が解消されない限り、烏合の衆と言われるのも仕方ない事です。 非難と受け止めるよりも、事実は事実として受け止める姿勢も必要でしょうね。 独裁国家じゃないのですから、意見の違う者を拘束するのは誤りです。 …質問者さんの想定する政党は、意見の違う者に党議拘束をかけていませんか? 自らの意見や理念に従うことができないらなら、その政党は真の民主主義政党ではないと言えるかと思います。
- staratras
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>意見が異なる人を同じ政党に入れると烏合の衆と中傷する人は独裁国家向けじゃないですか? 政党の種類や性格によります。共産党や公明党など「独自の強い結党理念」に基づいて「同志が集まる」タイプの政党では、その結党理念に納得できない人は入れませんし、また入ろうともしないでしょう。 問題はそれ以外の政党の場合です。もちろんどの政党にも「結党の理念」は存在するのですが、それはあくまでも一般的な「理念」であって、「具体的な個別の政策に対する意見」ではありません。政策的な意見のバリエーションは広くなりがちで、むしろそのことが、これまでその政党の「強み」になることが多くありました。 例えば一昔前の自民党には、極右に近い人から当時の社会党右派よりは左ではないかと思える人まで、実にさまざまなタイプの政治家がいました。政策論議も今より盛んで甲論乙駁実に賑やかでしたが、それで党内がバラバラかといえば必ずしもそうではなく、外に対しては結束していましたので、当時の中選挙区制度にも助けられて幅広く支持を得ることができました。 有権者の側から見れば、衆議院選挙の場合自民党の複数の候補者の中から自分の考えに近い候補を選べる可能性があったからです。またある総理大臣の支持が大きく低下したときには、党内で大きく異なる考え方の政治家が総理大臣の座につく「擬似政権交代」で乗り切ることもできました。田中内閣から三木内閣への交代はその典型です。 ところが選挙制度が変わり、小選挙区を中心にした制度となって事情が変わりました。各政党は一つの選挙区には一人の候補者しか公認候補を立てられなくなり、なるべく多くの支持を得るために、その公認候補は「その政党支持層の平均値」に合わせざるを得なくなりました。政党内の考え方の多様性は必ずしも必要とされなくなったのです。 ご質問の本質は、この「政党観の違い」です。小選挙区制の発想になじんでしまうと(というか小選挙区制しか知らなければ)「意見が異なる人を同じ政党に入れると烏合の衆」のように見えてしまうのに対し、昔を知っている人ほど「政党の中の意見の違いは懐の深さでありむしろ強み」だと考えるからです。回答者は後者ですが…。
お礼
選挙に当選して議員になりなったあとも多数派を味方にしないと意見を通せないんだからそれが正攻法では? 絶対に正しい政治を学者が考えてその論文が世界に認められてもそれは学問の世界でしか通用しません