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在野で活躍していた思想家を教えてください。
江戸時代などの封建的な身分制度の下で多かったのでしょうか? 在野で活躍した思想家や何か偉業を上げた人を教えてください。
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江戸時代の思想家として強い影響を及ぼした人物としては鈴木正三、石田梅岩が挙げられます。 鈴木正三は関ヶ原の戦や大阪の陣で戦功を上げた旗本でしたが、身分を捨てて出家して僧侶になりました 命がけの戦乱での経験に基づいた仁王不動禅というものを唱えました。 百姓階級の人達向けに「萬民徳用」という書籍を執筆して職業倫理を重視した職業生活の中での日々の信仰実践を説きました。 同時に「破切支丹」という書籍を執筆してキリスト教を理論的に批判しました。 江戸時代の仏教は思想的に衰退していたとされますがこの破切支丹は優れた仏教思想書として現在まで伝わっています。 鈴木正三が説いた法話を纏めたものとして驢鞍橋という書籍があります。 石田梅岩は百姓民分の出で京都の呉服商で働いていましたが出家しました。 町人階級の人々に対して封建社会の儒教倫理に沿って職能としての社会的な意義を説き商人にも流通の役割の価値を見出し、利益を追求することの正当性を強調しました。 この考え方を広めるために45歳の時、受講に際し紹介が一切不要で、かつ性別も問わない無料の講座を自宅の一室で開きました。 この講座での講義内容を纏めた「都鄙問答」「倹約斉家論」などという書籍を執筆しました。 鈴木正三が町人階級については余り言及しなかったこともあり、それを補うものとして多くの弟子が生まれ石門心学として広まりました。 四書五経は武士階級などの支配者層向けの思想ですが町人階級向けの倫理道徳の学問として幕府も奨励しました。 思想家という区分けにはやや外れますが江戸時代の政治経済に強い影響を及ぼした人物としては河村瑞賢、伊能忠敬が上げられます。 河村瑞賢は貧農の出ですが木材商として成功しました。 同時に幕府の土木工事なども請け負っていました。 その関係で東北地方からの年貢米の輸送に必要な太平洋を南下する東周り航路を開拓しました。 従来は日本海を往復する航路が主体で大阪が起点となっていました。 太平洋側は銚子で川船に積み替えて利根川を遡上して関宿から現在の江戸川を南下するという迂回航路が使われていました。 これに対して直接江戸湾には入らずに一気に伊豆半島まで南下してそこから南西の風にのって江戸湾へ入る航路を開拓しました。 外洋を航行する大型船が使えますので蝦夷地や東北地方と江戸との物流が大幅に改善されました。 伊能忠敬は百姓の出でしたが造り酒屋に養子として入りました。 隠居して稼業から外れた後で測量術や天体観測術を習得しました。 房総半島など周辺の海岸線を測量して地図を作成していました。 次第に測量範囲を広げて最終的には蝦夷地を除く日本列島全体の海岸線を精密に測量しました。 地図というのは行政に深く関与するだけではなく価値観に影響を与えることもあります。 >江戸時代などの封建的な身分制度の下で多かったのでしょうか? 江戸時代の藩幕制というのは基本的に軍事組織です。 民事は町役人や村役人と呼ばれる自治組織に委任していました。 年貢米も代官は村落単位で決めていただけでした。 誰が負担するかは自治組織内で話し合いで分配されていました。 時代劇などで有名な町奉行所も警察権を行使していた役人(武士)はごく少数でした。 実際に取り締まりに当たっていたのは町人階級の人達でした。 在野というのを現在のように官職についていない人としますと上記しましたように武士以外の人は全てが在野ということになってしまいます。 僧侶が知識階級でしたので思想などはこの僧侶出身者ということになります。 在野に僧侶を含めるか否かで変わってきます。
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- staratras
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「在野」を常識的に「官職につかないで民間にいること」という意味で考えれば、日本の思想史上で重要な思想家の多くは「在野の思想家」ではないかと考えます。 仏教の僧侶でいえば法然、親鸞、日蓮など、儒学者で言えば中江藤樹、伊藤仁斎など、国学者では本居宣長、平田篤胤、そのほかでは山片蟠桃、安藤昌益など教科書に太字で掲載されているような人たちです。 江戸時代は「在野の学者」が「私塾」を開いて弟子を育てている事例が多くあります。そうした学者の中には大名や上級の武士と交流があり、アドバイザーや家庭教師のような立場になった人物もいて、すべての学者を「在野」か「官職」かのどちらか一方の二つに明確に区別できるわけでもないでしょう。林家が代々務めた「大学頭」(だいがくのかみ)は幕府の官職ですが、「大名の家庭教師」は微妙だと思います。制度的に確立された「官職」とは言えず、さりとて純粋な「在野」とも言えない立場でしょうから。 もちろん思想の内容にもより、その時の幕府や大名の統治に都合がよい内容であれば官職につきやすく、当時の社会の在り方を根底から批判しているような思想では官職には就きにくいことは確かでしょう。ただそのようなこととは別に「官職に就くのを好まない」タイプの学者がいたことも明らかで、そのあたりは昔も今もあまり変わらないのではないかと考えます。