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民間人しかいない広島市に原爆を投下した理由
近くに軍事基地がなくて軍人がいない町でした。 大和が停泊していた呉や毒ガス工場があったとこでなく、平和に暮らす民間人がいるだけの広島市にとつぜん新型の爆弾を落としてやろうとなぜそんな決定をしたのですか。
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軍人がいっぱいいるところに鈍重な爆撃機で攻め入ったらゼロ戦が来るか地上から攻撃されて荷物の原爆と一緒に自分らも落ちるでしょう。 真珠湾だってだまし討ちだから日本軍が勝ったわけで事前に攻撃されるのをアメリカが知ってれば失敗してます。
- ShirokumaX
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はじめまして。 当時のアメリカは「日本には軍事都市でない街はない」という認識でした。 日本には内職という制度があり、民間人が家庭でごく低レベルの生産を担っている。そうやって内職で作られたものが積もり積もって軍備になっているわけで、つまり民間人の住むところも軍事工場の延長である。 もちろんこれは民間人に対して無差別攻撃を仕掛けるための口実に過ぎませんが、無理矢理な正当化であっても勝てばまかり通ってしまうわけです。 2つの原爆、東京や大阪の大空襲、小さいところでは民間人を狙った機銃掃射。いまならどれも国際法違反です。 いわば日本は、戦争という行為に国際法という制限がかかる前の最後の戦争で負けたようなものです。
- oska2
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>広島市にとつぜん新型の爆弾を落としてやろうとなぜそんな決定をしたのですか。 アメリカ陸軍作戦本部の、決定ですね。 トルーマン大統領としては、民間人が犠牲になる広島への原爆投下は反対でした。 が、作戦本部の主張として・・・。 1.広島は、軍事都市で民間人は住んで居ない。 という情報を、徹底的に大統領・関係部署に宣伝しています。 日本に関して何ら情報を持っていなかった大統領は、最終的に軍の情報を信じて広島への原爆投下を承認したのです。 ※アメリカ公文書資料館資料より。 余談ですが・・・。 アメリカ側からの正しい歴史では、当時の広島には民間人は少数でした。 多くは、軍人・軍関係者となっています。 今でも、原爆資料館にアメリカから来た人は「原爆公園」を見て「民間人が住んで居ない場所を選んで原爆を投下して良かった」と述べています。 原爆投下目標には、民家が密集して多くの民間人が生活していた事実を知りません。 陸軍としては、広島・小倉・京都・東京が原爆投下目標だった様です。 「京都は、文化財が多いので攻撃しなかった」は、都市伝説に過ぎません。 長崎投下(出撃後、天候悪化で急きょ小倉から長崎に変更)後、陸軍は「次は、京都」と大統領に進言しています。 京都だと、無差別絨毯爆撃をしていないので「原爆本来の威力を実験するベストな環境」だったのです。 ※アメリカ公文書資料館資料より。 流石に、京都への原爆投下情報は「意図的に、日本軍に対してリーク」した様ですね。 大統領も、流石に「YES」とは言いませんでした。 もし、京都に原爆が落ちていたら・・・。 当時日本軍(仁科研究所)も開発していた原爆が、実験をしないままでアメリカに投下されていたかも知れません。 最期には、アメリカ合衆国日本州になっていたかも? フロリダ州に次ぐ人口・GDPを誇る、アメリカ第2の州になっています。^^;
- misa-on28
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現在では国際平和都市として有名な広島ですが、戦前、戦中においては >近くに軍事基地がなくて軍人がいない町でした。 というのは大きな間違いです。 No.3さんも書かれているように、広島は当時の日本有数の軍都です。 広島には第五師団が置かれ歩兵や野砲兵など実戦部隊を始め工兵隊、宇品港には陸軍の輸送を司る船舶部隊、また教育機関として陸軍幼年学校など様々な陸軍施設が置かれ、西日本の陸軍の中枢とも言えるものでした。 実際に爆心地にあたる島病院の所在地より北側は広島城に向かってほとんどが軍事施設で占められていたと言える状況です。 また戦争末期には日本を箱根の山で二分し、東を第一総軍、西を第二総軍のツーヘッド体制をとるようになりましたが、東は東京、西は広島に総軍司令部が設置されました。つまり広島を潰せば西日本の防衛の最高司令部が潰せるという軍事拠点でもあったのです。 原子爆弾の投下は新兵器の実験としての側面も確かにあり、それは他の回答者様も記載されております。 そのことは当然非難すべきことではありますが、非武装の平和的市民のみ存在する都市に爆撃が行われたということは事実としては誤っています。 むしろ当時はほとんどすべての生活局面が軍の指導のもとにあり、戦争遂行に向け邁進していたと言えると思います。 ただし、広島が軍都であろうとなかろうと、原子爆弾の非人道性についてはいささかも変わるものではないと考えます。たとえ対象が兵士であろうと、人間の尊厳を根こそぎ奪い、また戦争が終結したのちにも放射線による影響を長く残すあのような兵器は人として否定すべきものと考えます。
- cactus48
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これは検索すればデータは沢山出ますよ。 まず軍事基地は数える程しかありませんが、軍事関係施設となると 広島全体の40%を超える施設があったと言われてます。 だから軍人がいない町と言うのは大きな間違いです。 アメリカは早く戦争にかたを付けたかった。だから原爆を投下する 計画を急いでいたとも言われています。ただ突然と言うのは間違い で、時間を掛けて候補地を探していたので、いきなり投下したと言 うのは間違いです。 日本中に候補地は多数ありましたが、広島は直径4.8km以上の 市街地が広がり、原爆を投下した時の効果が有効に働く可能性があ ると言われ、候補地に上がっていました。 また周囲が山に囲まれているため、原爆の効果も最大限に生かせる と考えられました。アメリカにとって当日の広島は晴天だったので アメリカにしては好都合だったようです。 平和に暮らしていたのは広島だけではありません。
- szk9998
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そもそもですが、広島は軍都です。 陸軍の司令部や各種軍事工場が密集していたはずです。 軍人だらけの、十分、軍事的な要衝だったはずですが・・・ そもそも、8月時点ですでに大和はなく、まともな軍船も残っていない呉軍港にいかほどの戦略的な価値があったのかと思いますがね。 (このあたりは当然、お勉強していますよね?) だいたい呉ではマトが小さすぎます。 山と海に囲まれるような小さい都市では、そこを狙うことも難しいうえに、爆弾の効果もわかりにくいかと思います。 やはり、戦略的に考えて広い、平野部の人口の密集している都市で、できれば軍事工場が集結している・・・といったことが目標選定であがったのだと思います アメリカ側としても、ソ連の動向もあり、効果を喧伝する必要性もあったのではないですかね・・・ >平和に暮らす民間人がいるだけ そんなこと思っていたわけがないですよ。 だいたい、日本だって鬼畜米英と思っていたわけで、同じ人間だとも思っていなかったでしょう。それが時代です。 広島にいたる前に、沖縄戦でも東京・大阪・名古屋などへの焼夷弾の大空襲でも今でいえば民間人の虐殺行為です。広島よりはるかに多くの人がなくなっているわけで、広島だけをとりたてて民間人云々と考えようはずもなく・・・ それが国家対国家の全面戦争です。 たぶん、アメリカ指導部も戦後をにらんで新型爆弾の戦略的な効用まで考えていたはずです。 実際、その後は核の傘による世界支配の時代となるわけで、呉のような小さなマトだとここまで原子力爆弾が恐ろしいものだと伝えられたかと思う次第です
・街のサイズや地形が原爆の威力を測るのに丁度良かった ・その日の広島の天気が良かった ・軍事施設や軍需工場があった ・連合国軍の捕虜収容所がなかった 実験として都合がよくて、攻撃するに能う軍事的な価値もあったわけです。 大規模な空襲も受けていませんでしたしね。 もしかした元から、原爆のために残しておいたのかも知れませんけど。 でも地形的な理由からか、広島は候補の上位にずっとあったそうですね。
- rainyweather
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もっと主要都市に落とすつもりが目測を誤ったから広島と長崎に落とした説で私は学生のときに習いましたよ。