• 締切済み

原爆忌が近づくと私は悩むのです…

1940年代は国民全員が戦闘員として 女性も子供も軍需工場で「戦争加担行為」を毎日していましたよね。 それって戦犯と同じ平和への罪になるでしょ。 「本土決戦」といって国民全員が鬼畜米英と戦うと 国民皆兵宣言をしていましたよね。 だったらそれに対して、米軍が「戦争行為」としての 空爆をすることは「当然」の行為でしょう。 被害者面してるんぢゃねえ、ってことですよ。 面と向かって戦わなくても軍需工場で働いてたら 立派な戦争加担、それが戦後の平和ボケ日本人には理解できない。 1940年代前半はガキも女も みな軍隊の階級はなくても戦争してたんです。 戦地で敵軍から逃げ惑うのも 空爆で逃げ惑うのも 戦争行為をしているなら同じことでしょう。 どこが違うのか理論的に説明してください。 女子供も銃後の守りとして戦闘行為に加担していたのだから 爆弾で死ぬのは当たり前。 そんな基本的な戦争の認識ができてない平和ボケ日本人ばかり。 原爆もそういうキチガイじみた日本人の徹底抗戦に対して 圧倒的な軍事力で軍部の戦意を喪失させるために使われた。 当時ニ号作戦で日本も原爆作り始めていたから 戦況によっては日本のほうが原爆を先に使っていたはず。 つまり乳児もすべて国民は兵隊に準じていた日本では 無差別大量殺りく以外に戦闘員を減らす方法は無かったのです。 戦争というのはそういうものなんです。 相手を徹底的に叩きのめして再起不能にする それが世界大戦の民主主義下の連合国の正義なのです。 国家主義・国粋主義国・軍事独裁国の日独は そのため徹底的にやられたのです。 戦後日本人に対しては軍国主義下の日本の知識を知ると また軍国主義が良いと言い出しかねないので 徹底的に戦争中のことは米軍が伏せて隠していたのです。 だから無辜の被害者という意識が国民に定着したのです。 しかし現実は違います。日本全土が戦地となり女子供も竹やり持って 米兵と刺し違えると軍から強制されていたものが 原爆で全国そういうことをしなくてすんだのです。 彼らが死んで他の人を助けたのです。被害者ではなく殉教者です。 赤紙が来たら万歳して戦地へ死なせにいかせたことを知っていますか 赤紙は死神でした。来たらまず生きて帰れない… 生きたまま殺されたようなもの、ということを理解していますか? 平和ボケ日本人は戦前に狂気のように戦争万歳を叫んだ責任を取らずに のほほんと過ごしてきたのです。これは冗談ではありません。 1945年8/15まで日本人は何をしていたのか…?  あなたの知っていることを教えてください。  

みんなの回答

回答No.8

再度失礼します。#6です。 誤解があるといけないので再確認しますが、 ★基本的に【一般庶民に戦争中に行われた戦争行為の責任はない。】と考えています。(軍の支配をカサにきた下劣な行為についてはその本人にのみ責任がありますが) つまり、戦争に反対できない社会状況(“後ろ指”や“村八分”による制裁)を作り出されて巻き込まれた場合の個人の責任を問うことはできない、ということです。 机上の空論で厳密に個人の責任を追及すれば、社会的制裁や特高の拷問にも屈せず戦争反対の意思表示をすればよかった、ということは出来ます。しかし、それができるのは一種の英雄で、そんな英雄が一般庶民のなかにゴロゴロいると考えるほうが非現実的です。 で、あれば当時も現在も社会的な奔流に対して個人の責任は問えません。 ご質問の主旨は「国家総動員」で一般庶民も戦争に協力していたのであるから責任の一端を負うべきではないか? と、読み取ったので、それに対しては個別の責任はない。と、お答えしました。 とはいえ、国家による補償は税金ですから、その分の責任は負担しているといえますね。

  • issaku
  • ベストアンサー率47% (244/509)
回答No.7

戦争というのは国と国とが交戦することであって、軍隊だけのことではない、という趣旨だけで敷衍すると、確かにそのとおりだと思う。 では、国が民意によらず戦争を引き起こしたとすればどうだろうか。 民主国家であれば主権は民衆側にあるので、手続きに則りさえすれば最終判断を下した民衆はその結果も甘んじるべきであろうが、残念ながら戦前の日本の主権は民衆には無かったから、日本の民衆は天皇の責任と判断により敗戦の被害を受けたということになる。 また、天皇は責めを負わなかったが結果として主権を放棄したことをもってけじめをつけた、つまり責任を認めたともいえる。 (まあ、天皇責任論には理論的から心情的まで否定論があるのは重々承知だが、歴史を俯瞰したいのであればそういった事情は些細なことである) つまり、軍部と議会の主戦派に同調した民衆が戦争被害について無責とは断言しえないものの、戦争が主権行為であるという原則論で論じれば、戦略爆撃の被害を訴える民衆の行為を否定する根拠は極めて乏しいといえる。 とまあ、そういう考え方もあるということで。 自分としては、日清日露勝った勝ったと提灯行列に浮かれ分捕った大陸権益にしがみついて帝国主義の夢に酔った挙句に財界軍部の扇動にのって理性ある同胞を村八分にしたような世相が元凶のひとつであったと思うが、それをひとつの人格として捉えて自業自得だざまあみろ、っていうのはただの全体主義でしかないと感じるのだが。 べつに歴史の証言とか証拠とかではないが、自分が知っていることといえばひとつくらい。 自分の叔父はいわゆる戦傷除隊後に田舎でヒバクシャになって戦後50年生き延びたが、「ピカドンについてアメリカに今さら文句はなか、自分らが外地でやったごと、やられただけやけん。ばってんテンチャンにはあの世でいうてやりたかね」「戦争は馬鹿が始めることやけん、反対するならもっと馬鹿にならんといかん、ヒバクシャヒバクシャいうて物申すとはそのためぞ、被害者づらしとるっちゃあなかとぞ」ということをよく言っていたのは覚えている。 まあ、「理論的な説明」とやらをお求めのようなのでまるで参考にはならないだろうが。

aatw
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 一部でも賛同いただけることに心強く思います。 被害者の方、戦傷者被ばくとは、ご無念と察します。 この方の発言が戦争の本質をついています。 文句なか、という認識がある戦争参加者の悲痛な気持ちを 脳天気に被害者面する大多数へ伝えてやりたいです。 1944年国民総動員法閣議決定で 乳児から老人まで戦争当事者にされてしまったのに 当時の国民にそんな意識はないので いつまでも鬼畜米英と思いこんでいたから 敗戦後も進駐軍がくるから女子供疎開させたという事実からも 国民が愚かであった、ということが罪といえるのです。 私は傍観者の立場で冷酷に事実を見ています。 万歳して死地へ送りだした者には戦争責任があるということは だれが何と言おうと事実なのです。 それを被害者として靖国にホイホイ詣でる気がしれません。 まずは大本営関係者を呪うことが先なのに。 一緒に神様になっているのに平気なんですよね。 自分の大事な人を殺させた神様が一緒に祭られているのに 死んだら許す日本のあしき伝統がそうさせるのですかね…

  • Antithese
  • ベストアンサー率33% (202/606)
回答No.6

 釣り?  それにしても >1940年代は国民全員が戦闘員として  女性も子供も軍需工場で「戦争加担行為」を毎日していましたよね。  それって戦犯と同じ平和への罪になるでしょ。  これはすごい理屈ですね(笑)。そんなこと言ったらどこの国でも、国民全員が「戦争加担行為」をしていることになるでしょう。  戦争にはお金が必要で、そのお金は国民の税金で賄うわけなんだし……。 >原爆もそういうキチガイじみた日本人の徹底抗戦に対して  このキチ〇イじみた徹底抗戦をせざるを得ないほどに日本を追い込んだのは、アメリカ軍を始めとする連合軍による残虐行為にあることを忘れてはいけません。  何せ手をあげて降伏しても、捕虜が負担になるからなどの理由で、一つところに集められて機銃掃射で皆殺しにされるのですから、降伏して死ぬよりは戦って死ぬことを選ぶのも無理もない話しです。

aatw
質問者

補足

それを最初にしたのが中国での日本軍ですから 米軍を免責できません。 お互い様。 天皇陛下は終始無為な戦争を早く終わらせたかったと 侍従に語っておられたそうです。 しかし国民ともども 大戦果と浮かれているニュース映画も残っていることでも 国民が戦争に浮かれていると認識するのが妥当だと思います。 みなさん、何年生まれ? 自分の周りすべてが戦争体験者という環境だったですか? 戦後20年以上経って周りから戦争体験者がいなくなったら それこそ平和主義者の洗脳を受けてますよ。 永井荷風のように戦時中も傍観者として 戦争を見ていたと同じ、私も傍観者なのです。 だから冷淡に思われるのは仕方のないことです。

回答No.5

何をしていたのか? マスコミの「大言壮語の言いまくり」に対し冷静に批判することもできず、また、それの尻馬に乗る事大主義者をたしなめることもできず、お上に引きずられて生活が苦しくなっても唯々諾々と耐え忍び、結局家を焼かれ、肉親を失った。 国内で「戦地の兵隊さんのことを考えろ」と言って戦争に対する批判を封じた人々に引きずられて何も言えなかった。 これが、日本人のしてきたことです。 さて、「国民総動員=国民全体が戦争加担者」に関する問題はかなり難しいですね。 特に近代戦(第1次大戦以後)では戦争が産業のバックアップなしにはできなくなっていました。航空機や船舶の技術の大部分は戦闘行為と無関係です。ネジひとつ作っていたことが戦闘加担行為といわれてもそれはムリでしょうし、兵隊が食べる米をつくっていたからといって百姓が侍にはなりません。 それは、なんらかの犯罪性のある行為をした会社の従業員には法的責任がないのとほぼ同じと考えられます。 したがって、末端の作業員には製作物の用途に対して自由裁量権がなかったのであるから、それにともなう用途の結果に対する責任もなかったということができます。 サボタージュや反体制運動が容易にできなかった状況は今の格差社会をどうにもできないのと同じです。ましてや批判的な言論も処罰の対象でした。法的な処罰だけでなく「後ろ指」という超法規的制裁もあり、「アカ」「非国民」という差別は禁じられていませんでした。 普通の庶民にそれと戦うすべはありません。 (ちなみにゲリラ活動は豊富な地下資金ないしは地下の資金パイプなしにはできません。大金持ちのビン・ラディンをアメリカが問題にしているのはそこです) 1960年代に戦中世代の大人に「なぜ、戦争反対しなかった?」と問いかけた若者がいました。しかし、妻子を守りながら国家と戦うことができるかどうか。ま、「やってみなさい」としかいえませんが。 原子爆弾の投下については特にコメントはありません。 以上です。

aatw
質問者

お礼

同じような認識の方もおられることが分かり 心強く思います。 少なくとも50代以下の人間には 1940年代の現実は絶対に理解できない事実なのです。 私は戦争後10年以内に生まれ 戦争の傷が癒えない時期に育ったものですから 戦時中の苦労を知る人ばかりの中で育ち それを隠して生きるのに必死だったことが 結局自分なりの戦争責任を取らないまま 年月を重ねてしまい 後世にしっかりとした事実で伝えられなくしたということなのです。 投稿ありがとうございました

noname#29999
noname#29999
回答No.4

自国の悲惨な過去をこのように一片の思いやりも無く分析する事が出来るとは、貴方はまことに冷酷無比な人間ではないかと思われます。 確かにあの時代、日本には日の丸を振って夫や子供を戦地へ送り、お国の為に死んで来いと鼓舞した人間もいたでしょう。 このように、体制に洗脳されてしまった人達を哀れとは思いますが、この民衆に、戦争を企んだ者達と同等の責任を問うのは少し問題があると思います。 洗脳されている当人は、渦中にいる時はそれに気づきません。 それがプロパガンダの恐ろしいところです。 また誰もが嵌まり込む可能性のある思想の罠です。 しかし体制に睨まれながら戦争反対を叫んで拷問された末、殺されて行った人、一介の物書きの身で「君、死にたもう事なかれ」と堂々と主張した女性、その他たくさんの無名の人達が戦争反対を唱えた事も事実です。 しかし、原爆は戦争反対も賛成も関係なく、赤子も老人も、限りない可能性を秘めた若者をも無差別に殺戮した大量虐殺で、明らかにジュネーブ条約に違反した行為です。 また貴方は、もし原爆を落として懲らしめなければ、日本人は竹槍などで歯向かい、もっと犠牲が増えていただろうと言う意見のようですが、これこそアメリカの厚顔無恥なプロパガンダの鸚鵡返しです。 実際には第二次世界大戦は、硫黄島が玉砕されガダルカナルがアメリカに占拠された時点で終わっていたのです。 これは、専門家の一致した意見です。 お疑いなら、軍事専門家の著書など探されてみて下さい。 何の事はない、原爆は当時、一方の大国旧ソ連を封じ込める為の歴史上類を見ない人体実験です。 その証拠に、無条件降伏後アメリカは期を逃さず上陸し、学者などによる綿密な結果調査を行いました。 確かに、それまで負けを知らず、アジアで侵略や悪行の限りを尽くした日本軍とそれを座視した日本人は責められるべきではありますが、だからと言ってアメリカの行った大量殺戮を正義の鉄槌として受け止める事は普通の日本人には出来ません。 >原爆忌が近づくと私は悩むのです。 何を悩むのです?アメリカの行為を正当化する人間が何を悩むのですか?

  • 10ken16
  • ベストアンサー率27% (475/1721)
回答No.3

日本人のしたことと言うより、 戦時下でも許されない事という観点になりますが。 違うのは、戦闘員か非戦闘員かです。 戦闘員は、必ず所属国や階級示し、一般人と区別できる 軍服等を着ることになっています。 これに反していたのが、ベトナム戦争でのゲリラ兵や中国の便衣兵ですが、 これに対するに、村や森ごと焼き払ったり、 憲兵による民間人への拷問などの蛮行が、行われたと言われ、 常に批判の対象となっています。 これは、戦禍を民間人(非戦闘員)に広げないためのぎりぎりのルールです。 その精神に沿って考えれば、戦時下においては戦術的な攻撃は容認されても、 戦略爆撃は容認されません。(それでも、戦略核を互いに突きつけているのですが) 現時点で分かっている資料だけをつなぎ合わせても、 当時の米国は、日本に降伏の意志があることを知っていました。 単に、日本との戦争の終結のみを目的とするなら、 戦略上、その時点で核を使用する必要性は有りませんでした。 しかし、その後の東西対立における有利な地歩を確保するため、 ソ連に対する示威行為として、また、核の影響を知る実験として等 政略的目的があったとする見解が、広く知られています。 従って、米国による原爆投下は、戦術上の目的を達するためではなく、 政略上の目的を達するためのものだったというのが実際でしょう。 これに匹敵するものは、ナチスドイツの行った民族浄化です。 この点は、パール判事を筆頭に、多くの人から指摘されています。 (パール判事は、日本を弁護したのではなく、裁判の公正性を批判したのみです。  親日的立場からの弁護と誤解する人は多いですが、決してそういう意図ではなく  裁判の公正性に照らして、東京裁判を批判したのみです)

  • ando57
  • ベストアンサー率19% (4/21)
回答No.2

現在の価値観で、過去を見るあなたに歴史を語ることはできません。 また、理解することもできないでしょう。 アメリカは日本より早く、国家総動員法を導入して国民を戦争参加させていますし、どこの国でも行なわれていることでした。 日本がソ連やスイスを通じて、降伏しようとしていることを、アメリカは知っていましたが、莫大な費用を費やした核兵器を使用したかった。 だから、日本の降伏を黙殺して原爆を投下しました。 原爆を使用しなくても、日本は降伏しましたよ。

  • harepanda
  • ベストアンサー率30% (760/2474)
回答No.1

第二次世界大戦で日本が敗退し始めると、日本は風船爆弾という気球のようなものを作り、上空の風にのせてアメリカまで届かせるという、しょぼい兵器を使い始めます。この風船爆弾、意外にもアメリカに到達したものが多数あり、米国は本気になってこの兵器を恐れていました。「日本は中国で生物兵器を使っている国だ。風船爆弾に生物兵器をつまれ、都市部に落下したら、大変なことになる」。これでは、相手が過剰反応気味に応戦してくるのも、当たり前ですね。 本田勝一の父は、「天皇だってウンコをするんだ」という話をしていたことが知られています。 私の高校の時の教師の体験談ですが、日本人でも、陸軍と同じで本気で本土決戦をやりたがっていた人ばかりではないという例はあります。その教師ですが、徴兵されたものの軍の上層部が大嫌い、上司の食べるものを持っていく時は、必ず頭からフケを落としフケ飯にしてから持っていったそうです。また、いよいよ神風攻撃の出番が近づいてきた時、醤油を多量に飲んで意図的に体調を狂わせ、飛行機には乗れないと軍医に診断されて生き残りました。 戦前は議会でほとんどの党が大政翼賛会に入って馴れ合い政治になってしまうのですが、この大政翼賛会に入らなかった政治家もいます。当時、右翼と言えば「日本バンザイ、鬼畜米英」という人が多かったのですが、戦前の段階で既に「共産主義との戦いを勝ち抜くには、アメリカとの同盟が欠かせない」という、親米派右翼も存在したのです。愛国党の故赤尾氏が確か、そんな経歴で国会議員だったかと記憶しています。 なお論点がずれますが、米国が原爆を使ったのは、日本人の士気を落とすことが目的ではなく、戦後処理においてソ連より有利な立場を確保することが目的だったと思います。日本が無条件降伏を受け入れたのは、日ソ中立条約を破って、ソ連が満州国になだれ込んできたからではないでしょうか。

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