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縦書きの傍線はなぜ右側になるのでしょうか

日本語を勉強中の中国人です。いろいろ調べたのですが、日本の習慣だと、縦書きの傍線は文字列の右側になるようです。その理由がぜひ知りたいのですが、教えていただけませんか。 私は左側のほうがしっくりくるような気がします。理由は、ものさしを使って引く場合、文字列の右側に傍線があると、ものさしが傍線の左側の文字列の邪魔になって、その文字列が見えなくなってしまうということです。 どなたか納得できる理由を教えていただけませんか。 また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願い致します。

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  • FEX2053
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回答No.2

日本にはもともと横書きなんてものはなかったという ことをまず了解してください。そのうえで傍点のような 強調符号が、活字のなかった江戸期以前から存在して いた(漢文の返り点を見ればわかります)という事実も あります。 縦書きの場合、右から文字を読んでいきます。なので 線を引くなどの「強調」を先に「ここにありますよ」 と了解させるために右に強調符号をつけるんです。 昔は定規などの機材はありませんでしたからね。手で 文字が隠れるなんて心配はしなかったんです。むしろ 左側に強調符号を書いちゃうと、書いた直後でまだ 濡れている文字の上に墨が垂れてにじむ・・・なんて 言う心配もあったのかもしれません。 その意味で英文の場合は上に強調符号をつける必要が あるのかもしれませんが、英文は大文字小文字の問題 があるだけでなく、ペン字を揃えるために、そもそも 初めから「横罫線」があった・・・という歴史が関係 しているのかもしれません。日本語では縦罫線なんて ものは歴史的にありませんでしたから。

awayuki_china
質問者

お礼

ご親切に回答していただきありがとうございます。おかげさまで、よく理解できました。

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  • takuranke
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回答No.6

1855年に江戸幕府が開設した洋学所で、 オランダから贈られていた、 鉄製の活版印刷機を使用し、 和刻洋書(洋学の翻訳書のこと)を出版していました、 このときに、傍線が多用されていて、 線の種類と配置は人名・地名などで使い分けされていたようです。 その後、活版で傍線を使用するのは廃れたようです。 明治に入ると、本を購入した人たちが、 鉛筆や朱色鉛筆などで、読んでいて気になった部分を傍線で示すようになり、 この時代、基本的に右利きが当然とされていたので(左利きだと矯正された)、 本を持った状態(左手で)で、引きやすい右側に記入し、 これが、手書き原稿等に使用されるようになり、 そのまま、版を作ったことで、 傍線は右側が定着したのだと思われます。 因みに私見ですのであしからず。

awayuki_china
質問者

お礼

早速のご回答ありがとうございます。おかげさまで、よくわかりました。

noname#232424
noname#232424
回答No.5

質問意図がいまいちわかりかね,Wikipedia を調べてみました。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%82%8D%E7%B7%9A すると,(引用)「日本語においては、主に文字の右側に引かれる。一方中国語では左側に引かれることが多い。」と書いてありました。なるほど,そういうことでしたか。 答え:わかりません 笑。 中国人も日本人も筆記具は同じですし,縦書きは右から左に進みますから,これらに理由を求めることはできません。「習慣」としかいいようがないんじゃないですか。日本人は右のほうが「しっくり」くるのです。 そもそも,「傍線」という表記(記号?)が,いつから存在したのか? 古い文献で注記したい場合には,パソコンでは行をうまく書けませんが,  曹操(そうそう,中国後漢)は三国時代の魏の基礎を作った。    (末期の武将,政治家) というふうに行を2分割し,小さな字で注記したはずです。中国でもおなじです。 のちに,「曹操」に傍線を引き,最後の別の行に「曹操:そうそう,中国後漢末期の武将,政治家。」と注記するようになったはず。むかし鉛活字を使っていたときには,「ーー」の板状の薄っぺらな活字(約物)があり,「曹」「操」の活字の右側または左側に挿入しました。このとき,日本の印刷所は右に挿入し,中国では左に挿入した。おたがいに統一はしなかった。そんなところじゃないですか。 ちなみに,ぼくは生来は左利きで,字は矯正して右手ですが,製図は本来の左手です。したがって,右に傍線を引くほうが都合がいいです。もしかすると,最初の日本の植字工(活字を並べて組む職人)もそうだったのかも 笑。

awayuki_china
質問者

お礼

日本語は右側で、中国語は左側って大きな発見ですね。私は右利きで、なんとなく左側のほうがしっくりくるような気がします。今度中国語の世界で気を使って見てみます。いままで一回もこのことを考えたことがありません。やはり習慣なんですね。ありがとうございました。せっかく日本語を習ったので、日本語の世界に浸る時、右側で引くように心がけます。

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.4

 墨やインキがまだ濡れている時に、右手で字を書く人が多い日本では、左に線を引くと今書いた字が汚れたり着物の袖が汚れたりしたからでしょう。  同じ理由で、物差しの裏に濡れた墨やインキがついて、字が汚れるので、物差しは使わない人が多いと思います。’

awayuki_china
質問者

お礼

早速のご回答ありがとうございます。納得できました。どうもありがとうございました。

  • msMike
  • ベストアンサー率20% (364/1804)
回答No.3

》 納得できる理由を… 真偽の程は兎も角、成程的・故事付け的な意見を・・・ その前に、中国の方は毛筆で書を認めるのは右手で?それとも左手で? 昨今では変わりましたが、日本の(私の様な)年寄りは断然右手派が多いと思います。 傍線に限らず、振り仮名・傍点・傍線は右側の方が自然だと思っているのです。 「人は右、車は左」の習慣もその辺りに由来しているのかも。 因みに、武士は左側通行だったらしいのですが、貴方「納得できる理由」を考えてください。

awayuki_china
質問者

お礼

早速のご回答ありがとうございます。大変参考になりました。

  • sukeken
  • ベストアンサー率21% (1454/6647)
回答No.1

こんにちは。 質問文、何ら問題ないと思います。意図、ちゃんと伝わっていますよ。 私も右側に線を引きますが、今まで不思議に思ったことはありませんでした。 教科書とか、普通に右側に引かれていましたし。 納得できるような説明は出来ませんが、面白い質問だったので、便乗させてください(笑。 >ものさしを使って引く場合、文字列の右側に傍線があると、ものさしが傍線の左側の文字列の邪魔になって、 私の場合、物差しは使いません。その場合、右側の方が引きやすいです。文字を指が隠さなくて済みますから。 ところで正解ってあるのでしょうか? 結局のところ、我々日本人は教科書や一般的な書籍が右側に線が引かれることに「慣れて」いる”だけ”なのかも知れません。

awayuki_china
質問者

お礼

早速のご回答ありがとうございます。いろいろ参考になりました。学生時代にとても几帳面でした(今も若干)。日本語の教科書が縦書きなので、定規を使って重要なところを線を引いたものです。全部左側でした^ ^。右側で引く中国人もいるかもしれません。でも、せっかく日本語を習ったので、今日から日本の習慣に従って右側に引くことに変えます。