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哲学に オッカムの剃刀は 要らないか
1. 必要だ。格調高いケチの原則でよい。 2. クリスマスツリーのカザリは要らぬが 樅の木は生きている。香りを放つ。格調高いと言うが その言い方ではあいまいだ。生きた香りが必要である。それまでを剃り落とすと言うなら 間違っている。 3. ~~~~~~~~~~~~~~~~ いやいや 何ごとも かたちから入るのだ。郷に入れば その思考形式が成り立っている。それこそ生きている。相手を思いやり相手に合わせると言うではないか。これをないがしろにして 何を伝えんとするのか。 そりゃあ かたちだけではダメだろう。中身がともなわなくっちゃ。 だけれど 近ごろでは――ひょんなことで告別式に出る機会があったのだが―― 坊主が 漢文のお経を詠んでから 日本語でも説教するではないか。中身が分かるように努力している。 そういうもんだ。飾りは 伊達にあるもんぢゃない。ぶっきらぼうで成功する確率は みみずが論文を書くようなものだ。 せいぜい これくらいの長さで 話は するもんだ。剃刀というような物騒なものは要らない。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 哲学に オッカムの剃刀は 要らないか。
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回答No.1
オッカムの剃刀とは、不要な仮定・想定はやめなさい、という事で良いですか?。これは哲学的というより、実用上の思考方針と自分は考えています。 何故なら面倒臭い事を考え出すと、人は大抵間違うから。なので論理の前提は、出来るだけ明瞭・明確・簡潔にしようという・・・。デカルト風に言えば、直観的に明らかなくらいに出来ればベター・・・(^^)。 そういう訳で哲学においてもオッカムの剃刀は、「実用的には」必要?。 なんか、マッハさんが喜びそうですけど・・・(^^;)。
お礼
やあやあやあ。ご回答をありがとうございます。 ★ オッカムの剃刀とは、不要な仮定・想定はやめなさい、という事で良いですか?。これは哲学的というより、実用上の思考方針と自分は考えています。 ☆ なるほど。(3)の問題を出したのは 現実問題がからむというところからではありました。 ★ 何故なら面倒臭い事を考え出すと、人は大抵間違うから。なので論理の前提は、出来るだけ明瞭・明確・簡潔にしようという・・・。デカルト風に言えば、直観的に明らかなくらいに出来ればベター・・・(^^)。 ☆ ん? ちょっと分かりにくいですね。 まづ 《仮定》とか: ★ 論理の前提 ☆ と言っても けっきょく一つひとつの命題をどう形作り表現するか。そして 展開。という過程の中で取り扱うことでしょうから 言ってみれば 《定義》をしっかり・きちんとおこなえという主題でもあるかと思うのですが。 もしそうだとするなら: ★ 出来るだけ明瞭・明確・簡潔にしよう ☆ ということでしょうが ふつうに《必要で十分な説明を行なえていること》とも言いかえることができるでしょうか。 となると: ★ 直観的に明らかなくらいに出来れば ☆ ということになるのでしょう。 問題は――別のところで上がったのですが―― この《必要性や十分さ》がけっきょく本人の主観によるしかない。・・・というところにある。のでしょうか。 ただし――例によって 言いたいことを言いますが―― デカルトは どうですかね。はっきりしないと思うんですがねえ。 《直観》でじゅうぶんではないでしょうか。 ★ そういう訳で哲学においてもオッカムの剃刀は、「実用的には」必要?。 ☆ 《政治家》は 能書きやら何やらが必要なのでしょうね。哲学は そうでもないと。 ★ なんか、マッハさんが喜びそうですけど・・・(^^;)。 ☆ うわぁ。相づちの打ちようがないんですけれど。無知です。