• ベストアンサー

ルーマニア南部のワラキア国の公ヴラド2世は、ハンガ

ルーマニア南部のワラキア国の公ヴラド2世は、ハンガリーのドラゴン騎士団に入団したことで、ドラゴンの通称であるルーマニア語でDracul(ドラクル)と呼ばれるようになった。 彼の息子のヴラド3世の通称がルーマニア語でドラクルの息子という意味になるDracula(ドラキュラ)と言われた。 なぜドラゴン騎士団のヴラド3世がドラキュラと呼ばれるようになった経緯は分かったが、なぜドラキュラ=吸血鬼で血を吸うイメージが定着したのでしょう? ドラゴン騎士団、ヴラド3世に吸血鬼を連想させる血を吸うイメージが出来るエピソードがあるのでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • ithi
  • ベストアンサー率20% (1972/9601)
回答No.1

blackkigyou2017 さん、こんにちは。 15世紀という時代はキリスト教圏と、オスマントルコを中心としたイスラム圏との戦いがありました。彼はキリスト教圏の最前線で戦ってきたので、彼は異教徒(イスラム教徒)徹底的に冷徹なことをしました。ある日裏切った貴族やオスマントルコ軍兵士を生きながら、くし刺しにしたのが、彼のドラキュラ伝説の始まりとされています。 詳細は下記のURLを参照ください。 ウラド・ツェペシュ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%83%A9%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%84%E3%82%A7%E3%83%9A%E3%82%B7%E3%83%A5#.E5.90.B8.E8.A1.80.E9.AC.BC.E4.BC.9D.E8.AA.AC.E3.81.A8.E3.81.AE.E9.96.A2.E4.BF.82

blackkigyou2017
質問者

お礼

ありがとうございます