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親しさとコミュニケーションの量
コミュニケーションの量=親しさだとよく言われますが、普段ほとんど話さないのに、言いたい事をとても良く理解してくれる人がいます。 ほとんど話す機会がない相手で、会話の量自体は本当に僅かなんですが、普段、たくさん話している人たちよりも、よっぽど本当に言おうとしている事が通じると思います。 今までたくさん会話を交わせることが、一つの親しさの指標だと思っていました。 人を理解するのって、必ずしも会話の量ではないんでしょうか? 曖昧な質問で申し訳ないのですが、親しさの指標がなんだか良く解らなくなってきました。
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- mink6137
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>今までたくさん会話を交わせることが、一つの親しさの指標だと思っていました。 >を理解するのって、必ずしも会話の量ではないんでしょうか? その通りですね! 量より質の良い例ですね! 例えば和歌は31文字だけで人の心に深く沁み入りますが、 1000文字の駄文は人を疲れさせるだけで何も伝わりません。
- soramn
- ベストアンサー率6% (59/901)
相手による。 人の心を掴める人はいるからね。
- spongetak
- ベストアンサー率70% (12/17)
コミュニケーションのバロメーターについていえば、イメージとして言えば、コミュニケーションの量(回数)×質(1回のコミュニケーションで伝えられた理解の度合い・深さ)といえるかと思います。 ARCの三角形という考え方があります。 A=Affinity(親愛の情、愛情) R=Reality(現実性、同意の度合い、共感の度合い、現実性を共有すること) C=Communication(上記のバロメーター) この3つが、大体においてですが、正三角形になるように連動して大きくなったり小さくなったりするというものです。 どれかが1つが上がると、他の2つもあがり、どれかが1つ下がると、他の2つも下がります。 お話しする(Cの上昇)→共感が起こる(Rの上昇)→親しみが湧く(Aの上昇) 親しみをもって話す(Aをつくる)→話ししやすくなる(Cの上昇) といったことがおこります。 ARCが大きくなると、理解(Understanding)が形成されます。 (なお、ARCは、ばらばらな3つの要素というより、人生における経験一般の、3つの側面というふうに見た方がよいかとおもいます) 親しさということでいえば、例えば、釈迦やイエスは、まだあったことのない人々にも、大きな親しみを抱いていると思います。必ずしも、直接的なコミュニケーションは必要ないと思われます。それ相当の経営者、例えば松下幸之助などは、初対面の人でも、かなりの愛情をもって親しく接することができ、少しの会話で、相手について多くのことを知ることができ、多くのことを共感することができたと思われます。 人間一般に共通する性質について、深く理解(Understanding)している人は、ARCとも、どの人に対しても、すでに高いといえます。直接会ったことが無くても、すでに他の人間とのコミュニケーション(Communication)を通じて、その特定の個人についても多くをすでに知っているということになると思います。そして、ものすごく、他者との共感能力(Realityを共有する能力)が高く、愛情(Affinity)を感じる能力(理解しているので自然に愛情を感じ事ができるわけですが)が高いわけです。 Communicationのさらに分解要素である、会話の量・回数は、Communicationと連動関係にある親しさ(Affinity)に影響を与える要素ではありますが、直結するわけではありません。 1度だけの深く通じ合う出会いだけしかなく、その後のコミュニケーションが(ほとんど)なくても、2人がお互い深い親愛の情を抱いていた、という例は、恋愛話とか、師匠と弟子のような関係とか、君主と家臣との主従関係とか、たくさんあります。 コミュニケーションが頻繁にある仲でも、それが表面的であったり、たんなる馴れ合いの関係で、気軽には話せるが、本当に深い所の人格的な尊重(愛情、Affinity)がないのであれば、実際には本当にはコミュニケーションはあまり行われていないということになります。 おっしゃる「親しさ」についての問いには、正確な答えになっていないかもしれません。 人や物に対する関心や愛情、という概念でいえば、上記の、Affinity(親愛の情)に該当するものです。それは、コミュニケーションや、リアリティ(同意、共感、互いに共有する現実性)とは、大体において、連動関係にある要素となります。そしてそれは理解にもつながってくる要素です。