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大和撫子について
はじめまして、中国人です。 大和撫子についていろいろ分からないことがあります、誉め言葉だけ知っています。 ここの辞書では: (1)ナデシコの別名。[季]秋。 (2)日本女性の清楚な美しさをたたえていう語。 と説明しましたが、撫子は女性の名前ですよね、なら昔は大和撫子という名前の実際な人物がいるのでしょうか? 清楚な美しさをたたえていう語は一目で見ると表の美しさだけたたえていう語なのか?それとも性格、品性、淑やかさいろいろ含めて総合的な評価して与える称号なのでしょうか? ちなみに今の日本は大和撫子と言われる女性はいるんですか?私の日本の友人は「ありゃ江戸時代から絶滅したもんだよ」と教えてくれました、はあ?!って返事をしてしまいまして、多少ショックを受けました、私はどうも信じられませんでした、多分中国人の考えによって日本の女性は一番淑やかで温厚な性格をしていると思われているかもしれません。自分の日本語の先生は清楚な美しさを持ち、もちろん教師をやっているからではなく、普段もお人好しで優しいお婆さんです、私はこれが典型的な大和撫子ではないかと勝手に思っているんですが、間違っているのでしょうか??? 多分私の勝手な勘違いをしているかもしれません、でも心の底でそうじゃないと信じて祈っています。私の日本語はまだまだ未熟ですので、もしどこか間違っているのならお許しください。大和撫子についてよく知っているの方々が回答してくれると幸いです。
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- fujiironosora
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こんばんは、 まず、 (1)ナデシコの別名。[季]秋。 秋の七草のひとつで、撫子というの花の名前です。可憐できれいな花ですよ。 (2)日本女性の清楚な美しさをたたえていう語。 >この言葉は、それとも性格、品性、淑やかさいろいろ含めて総合的な評価して与える称号なのでしょうか? はい、外見だけでなく、性格や品性などを含めて言う言葉です。 使い方としては、礼儀正しく上品な女性に対して『まさしく、大和撫子の名に相応しい女性ですね』という風に使います。 ちなみに、大和撫子という言葉の由来に関してはSERAPH777 が書かれているのでそちらを参考にしてください。 ちなみに、大東亜戦争前までの日本は男尊女卑の考えが強く、 大和男子:男は凛として堂々とそして自分よりも弱い女子供を守る強さを持つべし 大和撫子:女はそんな男を陰ながら支え、ひかえめで過度に自己主張せず、決して夫を裏切ることなくそれでいて心は強くもつ ・・・一般的にそんな姿を求められたのです。これには女性の社会的な立場が弱く、女性の幸福は男子次第という面もあったので、女性はそれはそれは辛抱づよく夫を支えたのです。 戦後は女性もしっかりと社会的参加ができるようになり、そこまで控え目になる必要もなく。 むしろ、女でも自己主張することが求められ、和服から洋服になり欧米の文化が入ってきたことによって、大和撫子は激減しました。 ただし、現在もそのような言葉が似合う女性はおります。あくまで独断と偏見ではありますがいます。 まずは、『皇后 美智子様』おそれおおいのですが、 あのような慈愛に満ちた立ち振る舞いができるのが本当の大和撫子です。 http://www.youtube.com/watch?v=SQF_mXEXcgY&feature=related ※ここからはきわめて個人的な好みです(ーー; 昭和の名女優『吉永 小百合さん』、『松嶋菜々子さん』、『小雪さん』、『黒木瞳さん』、 『西山 喜久恵さん』 今、あげた皆様は外見だけでなく内面も磨かれて素敵な女性として活躍しています。このような女性が大和撫子にふさわしいと思います。
- miyachi
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大和は、狭義には奈良地方ですが、国家としての日本の原像・ふるさとで、ヤマトの国というように日本を象徴しています。 撫子はやさしい色・形をした花です。人名ではなく、花に例えて、日本の女性の楚々とした様子を表現する言葉です。 http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/HTMLs/nadesiko.html http://www5d.biglobe.ne.jp/~segakey/hana-nadesiko.html
- SERAPH777
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失礼します。お答えさせていただきます。 一般的に「日本女性を差す場合」の答えです。 大和撫子(やまとなでしこ)とは、 日本神話のお話になります。 日本では「神道(しんどう)」として伝えられています。 日本の古書、「古事記(こじき)」「日本書紀(にほんしょき)」「風土記(ふうどき)」等で、 日本の起源(日本と言う島(または日本と言う世界)がどう作られた(創られた・できた)か)を たどっていくと、 ”伊邪那岐(イザナギ)・伊邪那美(イザナミ)という二柱の神は、別天津神(ことあまつがみ)たちに 漂っていた大地を完成させることを命じられる。別天津神たちは天沼矛(あめのぬぼこ)を二神に与え た。伊邪那岐・伊邪那美は天浮橋(あめのうきはし)に立って、天沼矛で渾沌とした大地をかき混ぜる。 このとき、矛から滴り落ちたものが積もって島となった。この島を淤能碁呂島(おのごろじま)という” という内容から始めますが、 要約すると、 「イザナギとイザナミという二人の神様が日本列島を生み出した」 ということです。 ”イザナギの左の目を洗うと天照大御神(あまてらすおほみかみ)が生まれた。 右の目を洗うと月読命(つくよみのみこと)が生まれた。 鼻を洗うと建速須佐之男命(たけはやすさのをのみこと)が生まれた。” という部分に続きますが、 ここで注目するのは ”建速須佐之男命(たけはやすさのをのみこと)” で、 イザナギから生まれたスサノヲという神様になります。 次に、 ”出雲の鳥髪山(現在の船通山)へ降った建速須佐之男命は、 その地を荒らしていた八岐大蛇(八俣遠呂智)に食われることになっていた少女、 櫛名田比売(奇稲田姫・くしなだひめ)と出会う。” ここで言う”八岐大蛇(八俣遠呂智)”とは、日本の昔話の中にある「ヤマタノオロチ」伝説です。 ヤマタノオロチとは、8つの頭を持った大蛇。神話上の生物。 櫛名田比売(奇稲田姫・くしなだひめ)、クシナダヒメの部分です。 ”ヤマタノオロチ退治の説話で登場する。アシナヅチ・テナヅチの8人の娘の中で最後に残った娘。 ヤマタノオロチの生贄にされそうになっていたところを、スサノヲにより姿を変えられて櫛になる。 スサノヲはこの櫛を頭に挿してヤマタノオロチと戦い退治する。 その後、救われたクシナダヒメはスサノヲの妻となった。” とあります。 ”櫛名田比売は父母がそれぞれ手摩霊・足摩霊と「手足を撫でる」意味を持つ事から 「撫でるように大事に育てられた姫」との解釈もあり、倭撫子(やまとなでしこ)の語源とされる。” と、ここでようやく「やまとなでしこ」の言葉にたどり着きます。 神話や古書の内容なので、諸説ありますが、 私の知っているところでは、これが答えになります。 ”倭”とは日本の事で、”大和の国”とは現在の奈良県に当たりますが、 広い意味で”倭”も”大和”も「日本」という解釈になります。 よって、クシナダヒメが、父母に撫でるように大事に育てられた娘であることから、 大和撫子が「清楚な美しさを持つ日本女性」という意味になり、 大和撫子と言う(女性に伝える・表現する)ことで、日本女性を称える言葉、ということになります。 あと、余談になりますが、 古来から、日本人で言うところの女性の「美しい」という基準としては、 ・西洋は腰のくびれを美しいとされますが、日本では腰のくびれを太い帯で巻いて、寸胴(ずんどう) (くびれの無い真っ直ぐな身体)にすることが美しいとされる。 ・物静かでおっとりとして、気取らない性格 ・男性に尽くす というのが一般的です。多少の違いはあります。 逆に、「この人は気品のある美しい(優しい)日本人女性だなぁ」というときに 「この人は大和撫子そのものだなぁ」という具合に表現します。 ちなみに、日本人の女性に対して「大和撫子」と言うのに対して、 日本人の男性には「大和男児(やまとだんじ)」と言います。 ここでやっと、ご質問の内容を取り上げますが、 >撫子は女性の名前ですよね、なら昔は大和撫子という名前の実際な人物がいるのでしょうか? 大和撫子の語源から言いますと、女性の名前を差す(または名前から来た言葉)わけではありません。 実際に大和家の撫子さんという方が存在するかもしれませんが、居られても先にご説明した内容から 由来として引用して名付けられた名前、と言うことになると思います。 >清楚な美しさをたたえていう語は一目で見ると表の美しさだけたたえていう語なのか?それとも性格、品性、淑やかさいろいろ含めて総合的な評価して与える称号なのでしょうか? 両方言えると思います。どちらかと言えば総合的な評価のほうがより正しいと言えると思います。 >ちなみに今の日本は大和撫子と言われる女性はいるんですか?私の日本の友人は「ありゃ江戸時代から絶滅したもんだよ」と教えてくれました…… 面白いですね(笑) 日本は、江戸時代の終わり(幕末と言います)から明治維新を経て明治時代に変わり、 武士の時代から、欧米の文化を取り入れた(文明開化と言います)時代へ変わったので、 日本古来の「美しい女性」の基準が、欧米の女性の基準にとって変わってしまったので、 友人はそういう意味で「江戸時代で絶滅…」という説明したのだと思います。 もっとも、 今は「現代の日本女性」が「昔の日本女性」というイメージからかけ離れて行ってしまって、 昔のような古風の日本人らしい(欧米人の基準でない)女性はいなくなってしまったよ、 と言う意味で仰ったのかもしれませんね。 >多分中国人の考えによって日本の女性は一番淑やかで温厚な性格をしていると思われているかもしれません。自分の日本語の先生は清楚な美しさを持ち、もちろん教師をやっているからではなく、普段もお人好しで優しいお婆さんです、私はこれが典型的な大和撫子ではないかと勝手に思っているんですが 間違いではないと思います。 淑やかで温厚な性格、清楚な優しい。 とにかく、日本人らしい女性を称える言葉と思って良いのではないでしょうか。 あまり、現代風の西洋風な意味で美しい日本人女性のことを差す言葉、とはちょっと違いますので、 そこだけ注意してもらえれば良いと思います。 あ、あと、 >普段もお人好しで優しいお婆さん とありますが、ここの、 「お人好し」 とは、 ”何事も善意にとらえる傾向があり、他人に利用されたりだまされたりしやすいこと。また、そのさまや、そういう人物。「頼まれたら嫌と言えない―な性格」” という意味の日本語ですので、「人柄が良い」などの意味で仰ったのだと思いますが、間違った意味になってしまいますので、ご注意ください。 長くなりました。申し訳ありません。 参考になれば幸いです(^-^)ノ* *引用 Wikipedia 「日本神話」「国生み」「神生み」「スサノオ」「ヤマタノオロチ」「クシナダヒメ」 *文献 「古事記」「日本書紀」「風土記」
- whitepepper
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ちょっと堅い話になりますが、ご勘弁を。 日本が江戸時代末まで鎖国をしていたことはご存じですね。それで、1853年にアメリカからペリーが黒船で来航したことを契機に開国するわけです。 当時の世界は欧米列強による帝国主義の甚だしい時代でした。アヘン戦争により香港が植民地化されたのをはじめとして、世界中が植民地化されつつありました。 そんな中で日本は、開国と同時に欧米列強に対抗する方法を模索しました。それで、弱体化した江戸幕府を倒し、天皇に大政を奉還しました。次いで、中央集権による富国強兵政策を掲げました。 ここで必要なことは、人心を一つに集めることでした。もともと日本人は単一民族ではありません。長年にわたって南北から移住してきた数々の民族の寄せ集めです。にもかかわらず、政府は天皇を中心とした単一民族であり、それは他の民族より優れたものであると唱えました。 「大和」は今の奈良県を指す言葉ですが、飛鳥時代には朝廷が置かれていた場所です。それで、当時から日本の別称になりました。そういう歴史の長い名称なので、政府は「大和民族」「大和魂」「大和撫子」の名称を国粋主義、国威発揚の道具として用いました。 幸か不幸か、その後の日清戦争においても日露戦争においても勝利を収めることができました。それがその錯覚を助長することにつながります。 日本の国粋主義、帝国主義は1945年をもって終了しますが、「大和撫子」という言葉はそう簡単に消滅するわけではありません。ただ、そういう悪いイメージを併せ持っているので、「今は死語だ」と言われても弁明しにくいところがあるでしょう。 しかし、けっして死語ではありません。最近、サッカー日本女子代表チームの愛称は、公募により『なでしこジャパン』に決定されました。オリンピックが楽しみです。 http://www.jfa.or.jp/CGI/top/top.cgi?key=pick&0=2269&lf=lady&yymm= ですから、良いイメージ、すなわち、「辛抱強い」「清楚」「可憐」「美しい」「控えめ」は、やはり、日本女性にふさわしいと思います。 【花言葉】大胆 -Boldness- http://www.mpec.tsu.mie.jp/kyoiku/kyouzai/KUSABANA/NADESIKO/NADESI.HTML
大和撫子は日本女性を象徴する言葉として1945年以前によく使われました。今はほぼ死語でしょう。 大和は元々奈良県のある地域の呼称です。後に日本国の異称(別称)として使われるようになりました。 撫子はある種類の植物(花)の総称です。日本には60種類ぐらいあるといわれます。そのひとつが大和撫子と呼ばれます。花は楚々とした淡紅色で、派手さがなく日本人に好まれます。 今は珍しくなった(日本人から見て)大和撫子型の女性とは、常に控えめで、目立たず、自己主張をせず、しかしある程度の教養はあり、いざという時に男を助けたり家族を守ったりできるしっかりした、着物の似合う女性です。男性から見て理想の女性像だったけど、西欧化された日本ではそのような女性は生きていけません。又、男女同権の観点からそのような女性を理想とする人も少なくなりました。 しかし、外国人(中国人、韓国人などアジアの人も含め)から見れば日本女性の中には大和撫子がたくさん居ると思います。あなたの日本語の老婦人はたぶん大和撫子でしょう。しかし、昔の日本女性が全て大和撫子だったのではありません。理想の女性像だったために大和撫子という比喩が生まれたのだと思います。
- damdamdam5656
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多分撫子なんて名前の人は実在しないでしょうね。また、『私は大和撫子です。』なんて人も存在しません。 日本では今尚、一般的に女性は清楚で奥ゆかしく可憐であるものが良しとされます。その上で、いざと言うときは毅然とした、凛とした強さを秘めている人。この様な人を大和撫子と総称しているのだと思います。 変な話、『冬のソナタ』のヒロインみたいな人かな? 彼女は韓国人ですけど。
- CAW
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ナデシコは野草でありながら気品の高い美しい花を咲かせます。 それになぞらえて日本の女性はこうあってほしいというイメージが 大和撫子という表現になったものと認識しています。 したがって >清楚な美しさをたたえていう語は一目で見ると表の美しさだけたたえていう語なのか? 見た目もさることながらやはり >それとも性格、品性、淑やかさいろいろ含めて総合的な評価して与える称号なのでしょうか? であるべきものと思っています。 >ちなみに今の日本は大和撫子と言われる女性はいるんですか? >私の日本の友人は「ありゃ江戸時代から絶滅したもんだよ」と教えてくれました まあ若い女の子たちがギャルと呼ばれる時代には絶滅したように 思えたりするわけですが、そんなことはないと思いますしそう信じたいです。