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戦争終結間際の屋久島の女たちの軍事訓練
私の母方の実家は今では世界遺産にも指定されている自然豊かな島だ。サンゴ礁も豊富で、浜辺には大ぶりのサンゴが普通に落ちていた。小学生のときに1回しか行ってないが、その南国風のたたずまいは、とても日本とは思えなかった。 しこで70歳を超えているであろうババアたちの、終戦間際の女たちの軍事訓練の内容を聞いた。アメリカ軍は沖縄に上陸している。もし屋久島に攻めてきた場合、成人未成人を問わず、アメリカ軍と女たちは戦うために、竹槍で相手を突く訓練を毎日やっていたらしい。 機関銃VS女たちの竹槍、とても五分五分の戦いは見込めない。だがモンペ姿の女たちは整列して、日々竹槍を号令に合わせて突いていたらしい。気迫は感じるが、勝負にはならないその行動、少しでも役に立ったのかは私は知らない・・・ 時は流れ、私の母方の実家は、80年代のリゾートブームに乗って、持っていた広大なサトウキビ畑を売り、屋久島から出て行った。今は母方の姓の者は1件もないと、屋久島の役場に教えられた。 アメリカ軍が上陸してきたら、竹槍で迎え撃つ覚悟をしていた連中が、なぜ地元を売って引っ越してしまったのか?ココロ(守る気があるのやら無いのやら)と思う私に、誰か教えてください。 https://www.youtube.com/watch?v=mn-kM3Ps-BM
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- moritaroh
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女性の竹槍訓練なんて、日本全国、たいていどこでもやってたんじゃないんでしょうか? 特に沿岸部や離島などは。 竹槍訓練は国のため、国がなくなれば島の土地もなくなる。 けれど、リゾート開発は、島の土地がなくなっても国がなくなるわけじゃないですからね。 離島だけではなく、山奥や僻地などもそうですが、そこに古くから住んでいる人は、もちろん土地に愛着を持っていますが、それと同じくらい「こんな場所に住んでいなければもう少しマシな生活ができていたであろうに」という憎悪も持っています。その憎悪に支配されないように、『日本の田舎は美しい』というイメージにすがるのです。でも、誰も『私の住む田舎は美しい』なんて思っておらず、『私の田舎が憎い』のが本心です。 私は天邪鬼なので、そういう憎しみそのものを美しいとさえ思ってしまいますが。 愛と憎しみは表裏一体。 生まれ育った土地を守ろうとすることも売ることも、感情あるがゆえですね。
- DaoRen
- ベストアンサー率25% (2/8)
私は沖縄の離島出身です。同じように太平洋戦争中、「アメリカ軍がもしきたときは、、」という訓練を私の親戚のおばぁ世代はやっていたと聞いています。 一番の要因はやはり当時の「皇民化教育」と情報が限られていたことの影響だと思います。特に沖縄は明治以降「日本人」であることを強く求められる教育を受けてきました。(方言をしゃべることを禁止されたりと文化的な面でも日本的になることを意識し続けてきたようです) そんな中で、「日本人」としてアメリカと最後の一人まで戦うことを徹底的に求められる風潮があったようです。 そして当時はテレビなんかもないわけで、軍部や行政からの指導に疑問を持つような情報もなかったと思います。それしか情報がなければおかしいとも思わないですし。 ちなみに沖縄戦の中で、生き残った人の中には、ハワイに移民した経験があって帰沖した方々がいました。彼らはアメリカという国がどういう国かを知っていたので、捕虜となることに比較的抵抗なかったといいます。それ以外の、一般人の中には捕虜になることをよしとせず、集団自決などの悲劇が起こりました。情報が限られていたということも、大きな要因だと感じます。 戦後、それこそ自由に情報が手に入る時代になったときに、本土での豊かな生活を夢見て、土地を手放す人も居ました。 戦中の「竹槍でアメリカ軍を迎え撃つ」というのは地元を守るためというよりは、当時は社会としてそういう考え方になるしかなかったからというのが実情だと思います。 戦後、いろいろな考え方ができる自由と、さまざまな情報が手に入るようになって、「豊かな」暮らしを夢見て地元を捨てる人も居たと思いますが、どちらかというとそちらが健全な社会だと感じますね。
お礼
集団就職ってのも流行りましたね。うちの市内の工場では、毎年中学校を卒業した女子たちが、やってきました。20歳過ぎたぐらいで結婚。ナンパの穴場でしたね・・・ ご回答ありがとうございました。
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
アメリカ軍が上陸してきたら、竹槍で迎え撃つ覚悟をしていた連中が、 なぜ地元を売って引っ越してしまったのか? ↑ 儲かるからです。 人類の歴史を見れば判りますが、戦争の目的は 領土と資源です。 これはカトリックとプロテスタントが争った30年戦争を 境に顕著になりました。 イラク戦争は石油を巡る戦争でしたし、パレスチナは 結局は領土争いです。 EUは、石炭と鉄鋼を巡る戦争を防止するための 組織が基になっています。 このように、戦争だって 所詮は儲けの為にやっているのです。 1980年代の日米貿易摩擦でも、米国の某議員は 次のような発言をしていました。 「戦争は儲けるためにやるのだ。 しかし、儲けているのは日本だ。 我々は本当に、戦争に勝ったのだろうか」
お礼
そういえば、80年代にアメリカ(主にデトロイト)で日本車をでっかいハンマーでぶっ壊す映像がニュースで流れていました。私のイメージとしては、そのころのアメリカからの圧力によって内需拡大政策が取られ、バブルに発展したように思えます・・・ ご回答ありがとうございました。
- foo10
- ベストアンサー率5% (21/391)
敗戦で、投げ遣りになったんじゃないですかね。 (戦後の子供は、国策で集団就職じゃないでしょうか。復興事業や好景気で、人材をもつ地方と人材を求める大都市との間に、一種のトレードが成立したということなのでしょう。もちろんその結果、東京一極集中と地方の過疎化という新たな社会問題が生じたわけですが。まあしかし戦後の変節のことは、当時を知る人にきくのが定跡かもしれませんね。'戦争を知らないおっさんたち' が答えてもねぇ。) 乙女らも 金のタマゴと はやされて もういっちょ。 チョコレート 進駐軍は くれたのに
お礼
うまい。うちの近所の財閥系の工場には毎年中学校を卒業した女子が、集団就職して来ましたよ。みんな田舎娘なんで、仕事が終わると一斉に門から出て、遊びに行くんです。その時間を待って、私らは車でナンパし放題でした。門限は9時と、かなり厳しかったです・・・ ご回答ありがとうございました。
- oya_zico
- ベストアンサー率19% (397/2006)
ただで他人に奪われるのは嫌だが、お金に替えて自分で棄てるのはOKなんでしょう。 それにしても、北風と太陽の童話の実例がこんなところにあったなんて。 アメリカは、武力で日本から土地を奪わなくても、日本人に贅沢な暮らしを与える事で、日本をアメリカにしてしまったのですね(涙)
お礼
その相続をめぐって、うちの母と伯父がトラブルになり、付き合いを断つこととなります。先祖代々の先住民がリゾート開発によって消えるなど、バカ丸出しです。身内同士の金銭トラブルも見るに耐えません・・・ ご回答ありがとうございました。
- nijjin
- ベストアンサー率27% (4815/17788)
国民が戦意を失い降伏や暴動、クーデータを起こさないために アメリカ軍は鬼だとか捕まったら殺されるなど嘘を教え込み 竹槍で勝てると嘘を教え戦闘訓練をさせていたのです。 だから実際に戦闘になれば負けるのはわかっているが一般市民にはそう信じ込ませて一致団結したことで戦争に疑問を持てなかったのです。 敗戦後、色々と事実を知ってしまえば戦争など意味が無かったとわかります。 それに、80年代といえばバブル!! 戦争を忘れ日本が金の亡者と化した時代です。 いい金で売れるなら売ってしまうそんなご時勢ですからもう戦時中に・・・というのは頭にありません。
お礼
80年代には屋久島の人は高齢化が進んでいましたから、友人も次々と死んでしまい、土地に愛着がなくなったんでしょう。みんな鹿児島市内の老人ホームを選んだようです・・・ ご回答ありがとうございました。
屋久島は人2万、鹿2万、猿2万と言われましたが近年鹿が異常に増えていますので人が居なくなっても島の防衛は大丈夫です。 https://www.youtube.com/watch?v=kFz7rZY_DDI
お礼
鹿が島の防衛をするんですか?んなアホな・・・ ご回答ありがとうございました。
お礼
年寄りは老人ホームに入り、残った土地は仲良く子供らで分ける、という図式ではなく、醜い姉弟による遺産トラブルに発展したのが、げに怖ろしや、です・・・ ご回答ありがとうございました。