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水道の蛇口から落ちる水滴は量子化の理解に使えますか
勢いよく出ている水も蛇口を閉めるにしたがって、出る量が減り、やがてぽたぽたと断続的な水滴になりますが、この現象は量子化の理解に使える比喩になるのでしょうか。
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水滴は固体の表面に衝突すると砕けて更に小さな水滴に砕けますから、量子化の比喩には使えないと思います。 他にも、水滴は波の性質を備えていませんし、位置等を確立的にしか求められないという訳でもありません。
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- QCD2001
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>原子の大きさになると古典力学は通用しなくなってはいないのでしょうか。 「通用しない」という表現は正確ではありません。 水素原子について、古典論的な粒子である陽子1個からなる原子核の周囲を、やはり古典論的な粒子である電子が古典力学的に回っているとして、陽子が電子を引っ張るクーロン力と電子の運動による遠心力、原子の大きさや電子の速度などを計算すると、実測値とよく合います。ですから、古典力学が全く通用しないわけではありません。 しかし、古典論的な電磁気学によると、電子は加速度運動をしていることになりますから、電磁波を放出することになります。このため電子はエネルギーを失い、原子核の周りを回転運動する速度がだんだん遅くなり、遠心力が弱くなって最後は原子核の中へ落ち込んでしまうことになります。 このような現象は実際の水素原子では生じません。ですから古典力学だけでは説明がつかないことになります。電子が原子核に落ち込まないことを説明するためには量子力学が必要になるのです。 水滴は古典力学と古典統計力学だけで、量子論を使わずに計算できますし、上記のような現象の理解に役に立ちません。要するに、水滴を比喩としても量子化の理解の役には立たないのです。 質問者さんは、量子力学を理解しないまま、小さくなったらつぶになる、というだけで水滴を持ち出して比喩として使おうとしています。しかし、量子論で考えているつぶ「量子」はつぶとしての性質と波としての性質を併せ持っているのです。そして、この性質は、日本語や英語などの「自然言語」では適切に表現できないので、物理学者は連続無限次元空間のベクトルとか群論とかいった「数理言語」を用いて表現をし議論をしているのです。これを無視して古典論的な水滴を持ち出しても、比喩になりませんし、理解の役にも立ちません。
お礼
水滴も落下する前に細かく振動していますが、電子が古典力学だけでは説明できないことと関係はないでしょうか。
補足
おっしゃっていることに反対する意思も能力も私にはありません。何とか量子というもののイメージを持ちたい一心だけです。
- QCD2001
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>連続的な水流が水滴に変わる時が、 古代ギリシャ哲学のデモクリトスらは、物質をどんどん小さく分割してゆくと、それ以上分割できない粒子アトモンにたどりつくと主張しました。これがアトモン理論(原子論)です。 アトモン理論は量子論を含まない古典論的な理論です。 連続的な水流が水滴に変わるのは、このギリシャ哲学のアトモン理論に台頭しているように思えます。量子化には対応しませんから、量子化の比喩としては不適切です。 物質を分割してゆくと、これ以上分割できないつぶになること自体は量子論ではありません。 量子化というのは、波が分割不可能なつぶの性質を持っていることです。水滴は簡単に分割できてしまいますから、量子化の比喩としては不適切です。 >比喩の助けで何かを理解するというのはそれほどとんでもない話なのでしょうか。 その理論をきちんと理解している人が、他の人に平易に説明するために比喩を使うのは全く問題ありません。 しかし、理解していない人が自分勝手に何かを持ち出して、これを比喩として使って理解しようとすると、間違ったものを比喩として用いてしまい、間違った「理解」をしてしまうかもしれません。 実際、質問者さんは水滴という、これまでどの物理学者も比喩として用いたことがないものを持ち出して、量子化の比喩として使おうとしています。物理学者がこれを量子化の比喩として用いていないのは、比喩として不適切だからです。その不適切なものを、理論を理解しないまま比喩として使って理解の手助けにしようとするということは、間違った理解=誤解に到達する最高の方法以外の何物でもありません。
お礼
おっしゃるとおりなのでしょうね。ただ原子の大きさになると古典力学は通用しなくなってはいないのでしょうか。
- QCD2001
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「比喩」というのは要するに「たとえ話」ですから、聞き手にわかりやすいようにするのであるなら、何を使ってもいいわけです。要は質問者さんが量子化のどんな部分を相手に伝えたいか明確にしたうえで、水滴を比喩として使って、相手にわかりやすく伝わるような「お話」をでっちあげることができるかどうかです。 昔勉強した時に使った教科書には量子化の比喩として、コップに積み木を入れる絵がかいてありました。どういう話でそれを量子化の比喩と使ったのかは忘れました。 念のために確認しますが、誰かに説明するために水道の水滴を比喩として使いたい、ということですよね。質問者さんご自身が水滴を比喩として理解したい、などというとんでもない話ではないですよね。自分でわかっていないのに比喩(たとえばなし)なんてできませんからね。 液滴模型は水滴とは何にも関係がないですし、量子化とも関係ないのはおわかりですよね。
お礼
私の理解に役立てたいのですが…連続的な水流が水滴に変わる時が、古典力学的現象が量子力学的現象に変わる時と似ていないのでしょうか。少しずれますが比喩の助けで何かを理解するというのはそれほどとんでもない話なのでしょうか。
- kagakusuki
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>原子核の水滴モデルなどという言葉も聞いたような気がするのですが 「原子核の液滴モデル」は原子核全体を「1滴の液体の滴の様に振る舞うもの」として扱う事で原子核の性質を説明する手法であり、その場合の「液滴」とは原子核全体の事であって、原子核の内部に含まれている陽子や中性子などの量子を液滴と見做している訳ではありませんから、質問者様が仰る「水滴の1滴を1個の量子と見做す」様な量子化とは共通点が御座いません。 【参考URL】 液滴模型 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B6%B2%E6%BB%B4%E6%A8%A1%E5%9E%8B >水の質量と表面張力の関係などを比喩に利用できないのでしょうか。 水滴1滴の質量は表面張力の値だけではなく、水の密度、粘度、重力加速度、等々多くのパラメーターの影響を受けます。 そのため、水滴1滴の質量は表面張力の値だけでは決める事は出来ないのですが、それは量子力学でいう「個々の量子の状態を確定する事は出来ない」という事とは全く異なります。 量子力学でいう「個々の量子の状態を確定する事は出来ない」とは、あくまで「どの様な手段を用いても複数の状態を同時に確定する事は出来ない」という事であり、例えば量子の速度と運動量を測定する場合において、速度の値の測定精度を高くすればするほど、運動量の値の精度が悪くなるという関係になっている事を述べているものなのです。 それに対して、水滴1滴の質量と表面張力の関係は、表面張力の値などのパラメータの1つの値を精度良く求めたからといって、水の密度、粘度、重力加速度、等々の他のパラメーターの値の精度が悪くなる様な事はありませんし、他のパラメーターの値の精度が変わらない場合には、表面張力の値を精度精度を高くすればするほど、水滴1滴の質量を求める精度も向上するのですから、水滴1滴の質量と表面張力の関係は量子化とは真逆の性質を持っている事になりますので、 >質量と表面張力の関係などを比喩に利用 する事は出来ないと思います。
お礼
なるほどですね。超ひも理論と聞いて日常見かける靴ひもなどを連想してしまうのと同じなのでしょうね。しかしミクロとマクロの境はどうなっているのか不思議に思います。
補足
量子化には複素数が使われるが、通常の水滴には実数だけですむということでしょうか。
補足
原子核の水滴モデルなどという言葉も聞いたような気がするのですが、水の質量と表面張力の関係などを比喩に利用できないのでしょうか。