目の前にいなければ無理です。
いまはそうではないけど、昔私などが中学校で英語を習い始めたときは周囲に英語圏の人間なんてひとりもいなかった。
だから無意味に教科書の会話を信じて覚えて、それで通じると思いこんだものです。
そういうレベルの同級生や先生と会話するから、一応通じます。自分らだけでは。
試験をされたらそこそこできると、あたかも出来るようになったと勘違いする。
その結果実物とあったらどういうことになるか、という体験をした人間は相当いたと思います。
これが、日本人が英語ができないと思いこむようになる原因だと私は思っています。
何よりも、実物が目の前にいないと始まりません。
この人と、話をしたい、なんとか通じて一緒に笑いたい、と思わないと先に行きません。
実物が目の前にいる前提ではやれることはたくさんある。
宗教上もまず問題ないだろうと思われるもの、飴のようなものをひとつ渡すのです。
自分でも口に入れて見るのです。
最初は不思議な顔をしてもそれを見たら自分も口に放り込みます。
そして何らかの感想がわきますから、それをしゃべるはずです。英語ならSweetとかdeliciousみたいな。
それをこちらも復唱して、どういう意味だろうと考えて、赤い靴下を指さしてSweet?と訊いたらNo,と言う。
そういうやりとりで、sweetってどういうことかがわかります。
こちらはその飴を「アメ」と何度も言います。相手は変な顔をして、五本の指をたてにおろして「アメ?」と言うかもしれない。
そのとき、したにふるのはあ↓め、という発音をし、これはあ↑め、と発音をしてみせる。
相手も日本語がひとつだけだけどわかる。
そういうことを続けていくと、会話はいつの間にかできるようになるのです。
生身の人間が目の前にいないと、絶対に会話術は備わりません。
タイミングとか呼吸法とか、相手と自分の間に発生する空気を制御する術を一緒に覚えないと、単純に単語をたくさん知っているだけということになります。
空気を制御する手法を身につければ、知らない用語が発音されても驚かないし、わからせたいとおもうなら知っている単語と表現を駆使し、それなりの発話はすらすらでてくるようになります。
必死に勉強なんかしてもつらいだけです。
ひとこと生身の人間としゃべることです。
本人がその場にいないなら、まず不可能です。
仮に話したい人がいないなら、その言葉を使う人を身近に探して、やってみるのが一番です。
あとはその国の映画を始終見るのです。
会話の空気が習得できるし、「聞こえてくる」という能力を身に付けられます。
英語だったら、映画を見るだけでも相当出来るようになります。
お礼
外国の人がいるような環境にいけるように努力します。映画も観ときます。