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合理的に考えると付き合いは要らない?
- 私の親戚の妻の実家は、義兄弟を冠婚葬祭に呼ばないそうです。また、義父の葬儀も香典の受け取り拒否し、自分(私の親戚夫側)の冠婚葬祭もお祝いは出さないとするスタンスです。
- 古くからの地域では付き合いや流儀が煩わしいと言う意見もあり、このような感覚の方が増えていく可能性があるのでしょうか?
- その方の家は子どもの結婚や出産祝いも「貸し借りができたようで嫌」と拒否し、葬儀法事も「夫が行くのは勝手、私には振らないで欲しい」という感覚です。彼らは「気を使うと付き合いは嫌で、好きなことに使いたい」というスタンスを貫いているようです。このような考え方が今後主流になる可能性はあるのでしょうか?
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主流化するっていうより、二極化していくような気がします。 最近、会社主催の社内運動会が復活する傾向にあるそうです。かつて昭和の頃はあちこちの会社で社内運動会が開かれましたし、例えば家族を呼んでパーティをするというようなイベントもよく行われていました。 しかし平成の世の中になって社内の人づきあいが面倒くさい、会社は仕事をするところで運動会をするところじゃないというような価値観が広まって下火になっていきました。ところが、そうなると社内のコミュニケーションが上手く回らなくなっていったので、社内の結束を強くさせるためにまた復活の兆しなのだそうです。家族を呼んでの社内パーティもまた増えてきたそうです。その効果として、離職率が減ったというのがあるそうですよ。私も経験がありますが、いい仕事をしていた職場こそアルバイトから社員まで含めた飲み会などの交流が盛んでしたね。 そのご親戚のようなミーイズムというか、損得勘定できちんと計算されたような人間づきあいをするという人もある一方の流れになって、また一方ではもっと濃厚な人間づきあいを重視するスタイルの人たちも増えていくと思います。 そのご親戚のスタンスって、今の安定した日常が死ぬまで続くという前提だからそういう生き方ができる部分もあると思うのです。例えばもし地震や災害などで自宅に住むことができなくなったら、途端に困ってしまうと思うのです。もしそうなったらご本人さんたちがどう思おうと人づきあいのスタンスを変えていかざるをえないと思います。まあもしかしたら親戚なんて最初からいないというつもりで考えもしないかもしれませんけどね。 3.11で「家族って大切」みたいなのが日本人の間に広まりましたからね。これから日本も世界も全体としては不安定な世の中になっていきますから、「こういう時代だから助け合って生きていこう」というスタンスの人と、「こういう時代だから他人なんてアテにしないでサバイバルしよう」というスタンスの人に分かれるような気はしますね。
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- lions-123
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>合理的に考えると付き合いは要らない? 別に私が正しく相手が間違っていると申しません、 この様な方が今後主流に成っていくのでしょうか? 67歳 男性 増えていくと思います。 身近な例でも、少子高齢化社会の進展からか、親族も親類付き合いも減少。 地域コミニケーションも、ご近所のお子さんの結婚や出産を知らない(祝いもなし)、葬儀は家族葬密葬で後から初めて知ることが多い。 さらには町内会自治会の活動行事ママ友や井戸端会議の人同士の交流はあるでしょうが、御裾分けや土産物交換等の慣習や防火防犯の共同参加も減りましたので、実質的に残っていた冠婚葬祭での付き合いや助け合い、一斉清掃、祭りや運動会等のご一緒する機会が少くなく関係性が疎遠になりました。 底流にあるのは良くも悪くも、自分中心に好悪も付き合い方も→個人主義・自己責任‣干渉も干渉されるのも嫌・無関心が顕著なのでは・・・ たまにあるのは、むしろマイナス&スキャンダルの近隣トラブルや夫婦親子の揉め事の噂&風評ぐらいで、それ以外の勤め先や学校や暮らし等には無関心であり、興味もなければ価値観の点でもプライバシー&個人情報の尊重と言う面から疎遠に無関心に「隣は何する人ぞ」状態のケースも多いです。 自体験でも、ここ10年くらいの変化で、上記のような傾向が強まり加速しておりますので、そのような風潮の中で生まれ成長した子供や若夫婦や世帯が増えるので、むしろ、そのような暮らし&ライフスタイル&コミニケーションが当たり前で、違和感や不思議とか戸惑う人がマイノリティに成っていくのかも・・・
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