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神は人間の投影だと言う。では 全知全能もそうか?
神は 人間の投影だと言う。 では 全知全能もそうか?
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お久しぶりです。前に言った事の繰り返しになっちまいそうなので、発言をためらってました。 >神は 人間の投影だと言う。 では 全知全能もそうか? この意図は、神が人間自身による自身の投影によるものならば、全知全能ではない人間が何故神を全知全能だと想定できるのか?、という問いでしょうか?。 概念の消極的(否定による)定義はいつも可能だ、というのが自分の意見です。例えば、無限とは有限ではない事だ。この定義は、有限の否定によっているので消極的定義です。実際この定義は、無限について何一つ積極的特徴付けを行っていないので、定義対象を一意に定められず、どんな解釈も可能であり矛盾もいろいろ出てきます。 でもこの定義が強力なのは、観測事実の裏返しにもなっているからです。何故なら、数え上げによって全てを見渡せる対象があったら、いかにそれが無限に多くに見えようと、数え上げが終わった瞬間に定義から有限です。そのような数え上げを人間が実行可能かどうかに関わらず(^^;)。 よって無限とは、絶対に数え尽せないもの、すなわち「有限ではない事」になります。そして無限の積極的特徴付けを行うために、無限の全ての要素を吟味できたなら、それは有限になります。従って無限は、積極的な特徴付けが(対象を一意に定める事が)絶対に出来なものだという、出口のない論理になります。 神は人間のあらゆる限界を突破できるとするなら、人間には原理的には可能でも現状では不可能な全ての事も、人間の限界内の出来事になる気がします。神は原理的に不可能な事も可能とするので、その対象に積極的特徴付けは出来ず、対象を一意に決定出来ません。これは全知全能の言い換えのような気がします。 という訳で、 >雲をつかむ話であって初めて 神との関係が分かって来る。 という話はわかるような気もするのですけれど、たぶん即物的な自分には無理です(^^;)。
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- kurinal
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こんにちは。 >「《全知全能ののぞみを持つ存在》」 それでは、人間と変わりありませんから。 (ということは、「神」とは、何でしょう・・・)
お礼
何でしょうね。 それを問うています。 次のご回答でのやり取りをご覧になってみてください。 ご回答をありがとうございます。
- kurinal
- ベストアンサー率10% (128/1195)
B様、こんにちは。 「そうだったら、いいのにな」ということではないですか。 ところが、「全知全能」には、ならないようです。 なっていたら、環境問題などは無いでしょう。
お礼
こんにちは。 《願いや望み》の投影 という意味ですか? でも そうだとしたら・厳密に捉えれば その投影された神も《全知全能ののぞみを持つ存在》としてある ことになる。のではないでしょうか? ご回答をありがとうございます。
- 畑 茂夫(@Flareon)
- ベストアンサー率28% (459/1605)
> 希望としては あり得るかも知れませんが。 ノリが悪いよ。 神を定義する。 これはどうでもいいにしても、 神を証明する。 コレに関してならとっかかりになるんだ。 哲学でこねくり回す意義はあるだろうと自画自賛する話だ。
お礼
いや 神を――有るとも無いとも――証明することは出来ないはずだ。 雲をつかむ話であって初めて 神との関係が分かって来る。 そのための取っ掛かりになるかも知れないとは思うけれど。この問いが。 神は 人間にとって《想定する》というかたちでしか定義出来ない。 と考えている。 ご回答をありがとうございます。
- 畑 茂夫(@Flareon)
- ベストアンサー率28% (459/1605)
いかなる現実の現象にも、知性をもって自己の見解を持ちうるだけの知性的資質を備えていれば、そのような人間は受動的な全知全能だとは、最低限でも定義できる。 この場合注意していただきたいのは、自己の知性をもって見解を述べることだ。 習い事をして暗記したやつをそらんじるのはAI以下の出来損ないの知性の真似事だ。
お礼
★ いかなる現実の現象にも・・・自己の知性をもって見解を述べること ☆ に希望をおいている。ということですか。 希望としては あり得るかも知れませんが。 ご回答をありがとうございます。
- nihonsumire
- ベストアンサー率26% (843/3157)
哲学の板での質問ですよね。でしたら、あなたが、投影だと思う根拠はなんでしょうか。そして、神と全知全能とを区別していますよね。その根拠をあなたはどう考えますか。 「犬はあなたの投影だと言う。では、ワンワンと吠えるのもそうか?」という問いに似ていませんか。
お礼
ご回答をありがとうございます。 ううーん。どうお応えすればよいでしょうか。 ★ 「犬はあなたの投影だと言う。では、ワンワンと吠えるのもそうか?」という問いに似ていませんか。 ☆ そういう投影の命題を言う人はいませんが もし仮りにいたとしたら。 確かにその問いに似ています。 つまり 人間たるわたしは《ワンワン》という人間の声を発することが出来ますが 犬のように《ワンワンと吠えることは出来ない》のですから 《犬はわたしの投影だ》は間違いであるとなります。 そのように似ていると言えるでしょうね。 こんな感じでしょうか。
お礼
一味違ったご返答をおこないます。自信過剰? ★ この意図は、神が人間自身による自身の投影によるものならば、全知全能ではない人間が何故神を全知全能だと想定できるのか?、という問いでしょうか?。 ☆ ドンピシャリ。さすが でーでーてー氏。 お久しぶりです。こんにちは。goo のほうに行っていました。ご回答をありがとうございます。 さて: ★ 概念の消極的(否定による)定義はいつも可能だ、というのが自分の意見です。例えば、無限とは有限ではない事だ。 ☆ 微妙ですね。そういう定義の仕方があること自体は ゆるがないでしょうが ではこの《無限》についての定義としてはどうか? つまりは 消極的定義ではなく積極的な定義をおこなえという意味でではなく それ自体において わたしには微妙なように感じられます。 すなわち: ★ 〔* 引用を省略した説明内容に〕よって無限とは、絶対に数え尽せないもの、すなわち「有限ではない事」になります。 ☆ これでは 十分な定義には成っていない。と考えます。 なぜなら 無限は 《有限ではない》のですが 《有限〔なものごと〕を覆い包むことがあり得る》と推理され得るからです。 あるいは もっと詳しく定義すべきでしょう。つまり: 無限は 有限ではないものごとである。 ただし 無限は 有限を覆い包むことがあり得ると想定される。 その想定というのは 《有限を包み含むことが有るとも無いとも われわれ人間の能力では 知り得ない》という表現のもとに成し得る。 こういった感じになるでしょう。 もっと大胆に分かりやすく言うなら: ★ 無限とは、絶対に数え尽せないもの、 ☆ と言うのも 微妙に不十分であって: 無限は 人間が数えることが出来る場合があるかも知れない。 或る一人の主観の内にあっては 無限をおれは数えたぞと言い出すことが起き得る。 ただし その主観内容が ほかの誰かの主観と一致するということはあり得ない。 複数の主観が互いに《無限》を同じ内容として共有したとすれば その無限として の内容は ただの有限で相対的な概念認識に過ぎなくなる。 無限は 知り得るかも分からないが それと同時に――つねに同時に――知り得ない かも分からないという捉え方が 成り立っていなければならない。から。 次の定義は よいように思います。: ★ ~~~~~~~~ 神は人間のあらゆる限界を突破できるとするなら、人間には原理的には可能でも現状では不可能な全ての事も、人間の限界内の出来事になる気がします。 神は原理的に不可能な事も可能とするので、その対象に積極的特徴付けは出来ず、対象を一意に決定出来ません。これは全知全能の言い換えのような気がします。 ~~~~~~~~~~~ ☆ ただし――自分が主導権を握ったかのようにでかい口をたたいていますが―― まさにそのことが(このひとまとまりの説明が)―― じつに ★ ~~~~~~~~~~~ >雲をつかむ話であって初めて 神との関係が分かって来る。 という話 ~~~~~~~~~~~~ ☆ であるとわたしには 帰結されるのです。 ★ 即物的な自分 ☆ とおっしゃっていますが その《即物性》は いま上の定義説明としては まだ《論理としての即物性》に過ぎない。とわたしには思われんですがねぇ。 論理をも超えて 雲をつかむような層雲峡に入るとしたら 神との接点〔と錯覚しうる補助線〕を得たと思う・・・かもしれない。 ☆ なお。カントールの《対角線論法》は やっぱしだめでしょう。 理論の問題ですが 《直線=垂線論法》でつねに対応して反証し得ると思われますから。