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ドイツ軍の攻撃とフランスの対応について
- 第一次世界大戦中、ドイツ軍は東ベルギーからメジエールを経て、そしてロレーヌからヴェルダン、ナンシー、サンディエに向けて攻撃を予想していました。
- フランスはドイツのベルギー侵攻やロレーヌを通る攻撃に備えて、エピナルとヴェルダンの間に第一、第二、第三軍を集中させ、アルザスとロレーヌに対抗します。
- イギリス遠征軍(BEF)との共同作戦の明確な規定はありませんでしたが、協定は存在し、1911年の第二次モロッコ危機では、フランス側にはマブージュ周辺での作戦が期待されていました。
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既出のご質問ですが、それなりに訳も幾分改善できていると思います。 >A German attack from south-eastern Belgium towards Mézières and a possible offensive from Lorraine towards Verdun, Nancy and St. Dié was anticipated; the plan was a development of Plan XVI and made more provision for the possibility of a German offensive through Belgium. ⇒ベルギー南東部からメジエールへ向かうドイツ軍の攻撃、ロレーヌからヴェルダン、ナンシーおよびサン・ディエへ向かう攻撃の可能性が予想された。これに対する計画は、計画XVIの発展形であったが、それに加えて、ベルギー経由で来るドイツ軍の攻撃の可能性に対する備えもなされた。 >The First, Second and Third armies were to concentrate between Épinal and Verdun opposite Alsace and Lorraine, the Fifth Army was to assemble from Montmédy to Sedan and Mézières and the Fourth Army was to be held back west of Verdun, ready to move east to attack the southern flank of a German invasion through Belgium or south against the northern flank of an attack through Lorraine. ⇒第一、第二および第三方面軍は、アルザスとロレーヌに対峙すべく、エピナルとヴェルダンの間に集結するものとした。第五方面軍は、モンメディからセダンおよびメジエールにかけて集まるものとした。そして、第四方面軍は、ベルギー経由で来るドイツ侵入軍の南側面を攻撃するため東へ移動する準備、あるいはロレーヌを通って来る攻撃の北側面に対抗する準備を整えて、ヴェルダンの西に控えているものとした。 >No formal provision was made for combined operations with the British Expeditionary Force (BEF) but joint arrangements had been made and during the Second Moroccan Crisis* in 1911, the French had been told that six divisions could be expected to operate around Maubeuge. ⇒英国遠征軍(BEF)と一緒に行う統合作戦の正式な準備はなかったけれども、合同の取り決めはなされたことがあった。それで、1911年の「第二次モロッコ事件」*の間、フランス軍は、(英国軍の)6個師団がモベージュ周辺で作戦行動することを期待してもらってもよい、と聞かされていた。 *Second Moroccan Crisis「第二次モロッコ事件」:ドイツ政府が砲艦をモロッコ南西の港湾都市アガディールに派遣したことによって生じた国際紛争で、別名Agadir Crisis「アガディール事件」ともいう。
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回答ありがとうございました。