弟子やお寺を持たず、勧進などをして歩いた僧はたくさんいたでしょうが、「名前が知られている」ということなら浄土真宗の開祖「親鸞聖人」でしょうか。
「愚禿:ぐとく」と自称し、教えを信じる者を「同朋:どうぼう」と呼び、たしか、「愚禿親鸞、弟子一人持たずに候」だったかな、そんなことを言っていたと思います。
で、浄土真宗の寺は、最初それぞれの土地の信者の一室で親鸞聖人の教えを学ぶことから始めて、お金が貯まったから専門の家を建てよう、さらにお金が貯まったから阿弥陀様の像を置こう、という具合に、「門徒の学習道場」から始まったのだったように思います。
つまり、もともと仏様を祀るための建物(お寺)ではなかった、ようです。
そのせいでしょうか、現在の東本願寺では、正面にでかい親鸞聖人の御影堂?があって、その横に付け足しのように阿弥陀様を祀る(比較すると小さな)阿弥陀堂があります。もちろん、つながっていますが。
それはともかく、親鸞聖人時代にはお寺と言えるほどの建物はなかったと思っています。
もちろん、どこかに住んでいたわけですし、そこから各地に手紙(御文:おふみ)を書き送ったのですから、「そこがお寺だ」と言えば言えるでしょうけど。
お礼
ありがとうございました。昨日NHKで円空仏の特集をやっていたのを見て、ふと、そんなことを思い出してから気になっていたものですから助かりました。それにしても寺も弟子も持たないというのはすごいことですね。