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幕府内での役職に就いた経験を持つ悪の一味のボスの「三河以来のジキサン」とは何か?
- 「三河以来のジキサン」とは、幕府内での出世や悪事に成功し続ける自信を持つ悪のボスの自己紹介の一部です。
- このフレーズは、「桃太郎侍」などの連続ドラマでよく見られる時代劇の一場面に登場します。
- 悪のボスは、失敗を報告する準ボスや手下に対して自信を持って話し、「ワシは、三河以来のジキサンだから、お前達を捕まえないよう町奉行に圧力をかける」と言います。
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No.6です 補足を頂戴しました。 補足につきまして二三蛇足の説明をさせて下さい。 補足で「比較的、規模が小さい藩の藩主つまり、大名を兼ねてる、」とありますが兼ねている訳ではありません。 元々幕臣である大名(譜代大名)は少禄でした。藩としての規模は小さいものでした。 大規模なのは外様と呼ばれる大名でした。 外様大名は江戸城内の業務に就くことが出来ませんでした。 加賀前田や薩摩島津、長州毛利などは大藩でしたが幕政には参加できませんでした。 正月の大広間での将軍拝謁の際にも末席でした。 毛利は大広間にも入れず廊下でした。 (関ヶ原で総大将をやったツケが二百六十年続いていました) 大名、旗本、御家人は幕府直属の家臣を俸禄の石高で区分していた身分呼称です。 1万石以上・・・・大名 1万石未満~200石以上・・・・旗本 200石未満・・・・御家人 (鎌倉時代にも同じ用語が使われていますが意味合いが違います) 旗本以上は家臣を雇用することが義務付けられていました。 この雇用された家臣の俸禄は雇用者である旗本、大名の負担でした。 御家人は微禄でも幕府から直接俸給を受け取っていました。 どちらの御家中かと聞かれた場合は、御家人は直参と答え、旗本、大名の家臣は〇〇家家中と答えました。 幕府直轄の江戸では当然「直参」の方か格上です。 旗本の家臣を江戸の町人も「お屋敷さん」と呼んで区別していました。 俸給は年に三両一分だけでしたので金が無い代名詞のような使われ方でした。 サンピンという言葉はこれが元です。 武士の間では又者と呼ばれていました。 補足に「部下云々」と記されていますが、甲府城での業務上の下位者なのか、家臣であるのかで意味合いが異なってきます。 家臣であれば悪事であろうと何であろうと君命ですから最後までやり通します。 「主主たらずとも従従たるべし」という武家の世俗道徳が生きてきます。 悪命であろうとなんであろうと従わなければ不忠義者とされて武家社会では生きていけません。 廃鉱を掘るという作業は経験のない武士にできる作業ではありません。 農民なり何なり人手が必要となります。 農民は農民の自治組織である村役人の支配下にありますから簡単には集められません。 無頼の輩を集めることになりますが、これは甲府城内だけの上下関係ではやらせることが出来ません。 甲府勤番は老中支配ですので、大目付という取締り官がいました。 従ってドラマの部下は悪党旗本の家臣ということになります。 現在の役所内での上司、部下とは意味合いが根本的に違いますので御注意願います。 江戸時代の武家の世界というのはおそろしくややこしい世界です。 これをいちいち論っていたのではキリがありません。 何かあれば補足を願います。
その他の回答 (6)
「ジキサン」は直参と表記します。 直接の家臣という意味です。 ご質問の内容の場合は、幕府すなわち徳川家直属の家臣という意味です。 これに対して大名家の家臣は陪臣と呼ばれました。 ドラマでは直参とだけ言っているようですが、直参だけであれば大名も御家人も含まれますので、正確には直参旗本ということかと思います。 旗本という言葉も定義が面倒な言葉です。 知行(俸給)が200石以上で将軍に会うことができる階層を指します。 会うと言っても実際には下級の人は節句などの行事の際に列席するだけでした。 江戸城内の職務(実務)を担当していました。 江戸城内は現在のお役所と一緒ですから、職責に上下がありました。 この職責を這い上がるのにワイロを使っていてそれに必要な財源を確保するために悪事を働いていたという設定かと思います。 旗本にも時代に応じて色々な種類がありました。 関ヶ原以前に徳川氏に対峙していた武田や今川などの旧家に所縁のある人も旗本として編入されていました。 大名の家臣であっても旗本とされていた人もいました。 この人達と区別する意味で「三河以来の直参」という台詞になります。 同じ石高でも家格が上とされていました。 江戸時代は、誰が誰を取り締まるのか、つまり警察権は誰にあって誰を取り締まっていたのかという点が恐ろしくややこしい仕組みになっていました。 「心配するなぁ!? 町奉行(火付盗賊改方)に対して、圧力を掛けてヤるわ」という台詞は、オレには町奉行や火盗改めの警察権が及ばないという意味です。 町奉行や火盗改めは、町人に対する警察権はありましたが、武家に対してはありませんでした。 ドラマの悪党(旗本)を取り締まる警察権は若年寄管轄下の御目付にありました。 奉行と旗本は同格ですので圧力をかける程度のことは可能でした。 この手の悪党を成敗するには将軍様直々が最も手っ取り早いということになります。 蛇足 江戸時代がややこしいのは、石高や役職だけではなく家格がものをいう時代でした。 如何に旧家で名門であるかということが重要視されていました。 直参旗本というのは、このような意味で相当に権威があったとお考え下さい。 忠臣蔵もいろいろ原因はありますが、吉良義央は足利氏の流れをくむ高家でした。 京都朝廷との折衝窓口でした。 場合によっては天皇とも言葉を交わしていました。 これに対し浅野長矩は外様の浅野家の分家でした。 高家と外様の分家とでは家格が違います。 幕命を受けた大名として振舞った長矩の日頃の態度が義央にとってはプライドを傷つけるものだったのでしょう。 饗応のアドバイザーとしてだけではなく高家としてオレの指示に従えとやられて長矩は幕府と高家の板挟みになっていたのでしょう。 武家の世界は面目第一の世界ですから、プライドとプライドがぶつかれば命懸けということになります。
補足
一口メモ的な内容込みで、詳しい回答、有難うございます。 確かに、「比較的、規模が小さい藩の藩主つまり、大名を兼ねてる、幕府での役職者又は、その経験者である家臣が、悪のボス」と、言うパターンの回。 「暴れん坊将軍」シリーズよりは、回数としては、余り無いが、 「桃太郎侍」でも、見てるには見てる、記憶あります。 それから、「大名では無い、御家人が、ワイロを使って、幕府での出世を企む、悪のボス」と、言う回。 こちらであれば、以前質問した、「山長しとは、どう言う意味か?」。 こちらであれば、その質問の中に入れた、「桃太郎侍で、善人側の部下に、「幕府で、勘定奉行への出世を企んでいて、そのワイロとして使う金として、悪の部下兼手下を使って、勤務地にある、武田信玄の隠し金山を使って、掘り出させる金を、悪用する」悪事を、気付かれた、近藤宏さん(故人)扮する、甲府勤番である悪のボスが、悪側の部下兼手下の1人を使って、問題の善人の部下が出かけた、芝居小屋で開催してたお化け屋敷で、その部下を、殺害させた。 そして、お決まりのクライマックスシーンの前。 甲府勤番として、自分の役宅に居た、近藤さん扮するボスは、酒を飲みながら、別の悪の部下兼手下2人から、金を掘り出した事の報告を、受けた時。 「武田信玄の隠し金山とも言えば、まず一万両は、下るまい。 それを使って、甲府勤番から、勘定奉行へ、鞍替えじゃ…!?」等、ワイロを使って、勘定奉行への出世を企む事を、話した…」的な内容で、登場してました。 なので、近藤さん扮する、甲府勤番である、悪のボスは、画面を見た限りは、「大名では無く、御家人として、甲府勤番として勤務してる、部下が居る直参」と、言う設定で、登場してる様に、私個人としては、思います…。
- あずき なな(@azuki-7)
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譜代…代々その主の家に仕えている家臣 直参…その当主に長い間仕えている家臣 三河以来の直参 と言う事は 徳川家康が三河の当主となり松平元康と名乗っていた時代から仕える家臣の事です (本多忠勝や鳥居元忠など)
- tak7171
- ベストアンサー率40% (77/192)
直参というのは直接の家来ということです。江戸時代の旗本には、加賀100万石であろうが旗本100石であろうが、直参お目見得ということでは変わりあるまい、とうそぶく向きがあったようです。その直参のなかでも三河以来となると、これは他の回答者様のおっしゃるとおり、徳川家が出世前でまだ三河の松平家であったころからの家来、最古参の家来だということになります。石高や地位では引けをとれど、神君家康公からの家来であり、その覇業に一番長く関わり苦労を共にしてきたという自負を拠り所にしたプライドの発露、平たく言えば、例えばAKBがアキバの小劇場しか出れなかった頃からのファンが、一般のファンを「ニワカファンめ」と見下すようなものでしょうかね^^;
- oska2
- ベストアンサー率44% (2301/5116)
>「三河以来のジキサン」の部分だが、これはどう言う、意味なの 他にも回答がありますが・・・。 昔むかし、諸国を放浪していた乞食坊さんが三河の松平郷にやって来た。 この坊さん。この松平郷の豪族・松平家で長期逗留。 ※当時は、諸国を放浪していた坊さんを泊める事は一般的。 そこで、この豪族の後家さんと「何~。やっちまっなぁ!」となり子が誕生。 この子が、家康の御先祖さんです。 ちなみに、松平郷の隣村の酒井家の後家さんとも「何~。やっちまったなぁ!」となり子が生まれます。 この子が、譜代大名の筆頭になった酒井家の祖です。 家康は、人質時代が終わる頃に「先祖は、新田家とか源氏の流れ」とか勝手に名乗ってますよね。 この「勝手に名乗る前からの家臣」の事です。 つまり、松平郷時代から付いてきた三河領主時代の家臣の事です。 親藩・譜代・外様と、藩にランクがありますよね。 徳川家家臣にも、この様なランクが存在するのです。 今の個人会社でも、同じ様な事がありますよね。 ジャニーズ家臣間で、次期頭首の座を巡っての争いが発生。 創業以来の直参(経営者一族派)と途中から加わった非直参。 娘を次期頭首と認めないのなら「SMAPを連れて、ジャニーズから出ていけ!」 そこで、非直参である飯島派はSMAP5人を連れて田辺エージェンシー城へ。 ところが、キムタク中納言が(年収3億円維持を目指して)直参組に突如寝返り。 私メリーは、創業以来の直参。心配するな。 放送業界に手をまわして、全ては飯島・キムタク中納言を除くSMAPメンバー4人が悪役になった次第。 キムタク中納言を除くSMAPメンバーは、全国放送で「市中引き回しの刑・晒し者」となった次第です。 関ヶ原ならぬジャニーズ城の戦いの一幕。 お後が宜しいようで・・・。
- notnot
- ベストアンサー率47% (4900/10358)
直参ですね。 徳川家康が三河(愛知県東部)の領主だった頃からの直接の部下だったと言うことです。
補足
回答、有難うございます…。 確かに、「三河以来の直参」以外では、「幕府に、仕えてる悪のボスが、準ボス又は、その手下に対して、「ワシの家庭は、先祖代々、家康公の時代から、仕えてるからのう…!?」等、安心する様に的な内容で、 言ってた…」シーンも、 「桃太郎侍」に限らず、幾つかの時代劇番組 で、時々見てる番組あれば、見た記憶ある番組が、幾つかあります。
- ithi
- ベストアンサー率20% (1972/9601)
80568410 さん、こんばんは。 三河以来の直参というのは徳川家がまだ松平党といっていた時代からの松平家の当主の直の家来であるということ。つまり、旗本の代名詞ですね。家康が天下を取った段階で旗本に出世した家柄ということです。要するに名門であるということです。
お礼
詳しい回答、有難うございます。 「一口メモ的な内容込みで、補足分と合わせて、詳しく回答して頂いたので、BAにしたい」と、思います。 確かに、質問の発端になるのが多い、テレビの時代劇番組を見てたら、「部下らしき人間」が、必ず登場する番組が多いので、どうしても、「部下」として、考えてしまいます。 又、質問した時は、よろしくお願い致します…。