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受験勉強と学問

受験勉強と学問って。。。やっぱり違うんでしょうか?僕の高校のとある数学の先生が、「君たちがやってるのは学問じゃなくてただの受験勉強だ」っていうふうに散々僕らをあおっているので。。。

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  • moritaroh
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回答No.5

私の高校生時代の教師も、おなじようなことを言っていましたね。 合格するための到達点の分かっている受験勉強と、物事を深く考察し自分なりの考えに説得力のある結論を導き出すといった、到達点の分からない学問は、全く違う… そんなようなことです。 進学校だったので、ともすれば、高校の授業も早期に大学受験を意識した対策にすべき、という考えが生徒にもあり、教師としてはその傾向に反発していたのだと思います。もちろん一部の生徒からは不評でしたが、私としては、それなりに意味のある言葉だと思っていました。 ただ、受験勉強の出来と、物事の思考力は、比例する傾向にもあります。 そもそもの思考力は、それなりの基礎体力…というか基礎学力がないとなかなか身につかず、受験勉強をできもしなかった人がしっかりと説得力のある自分の意見を持っているか…というと、厳しいものがあります。 中には天性の哲学者というか、大学受験などを基準にした勉強にはまったく力を発揮できなかったものの、物事への洞察力や独特な思考を持っている人もいるにはいます。が、それこそ天才肌であって、そもそもそういった天才肌の人は、他人から何かを教わろうというタイプではないでしょう。 ですので、学問は大切ですが、そこに行き着くまでの受験勉強も、天才ではない人にとってはとても大切なことです。しかしその受験勉強で終わってはいけない、ということです。 言い換えれば… 天才は人に教えられて育ちはしないが、人は誰もが秀才にはなれるだろう。 しかし受験勉強ができただけで自分の考えも持てない凡才にはなってはいけない。 受験勉強は秀才でも凡才でもできるが、学問は天才と秀才にしかできない。 …ということです。

noname#226634
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  • tzd78886
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回答No.8

「さかなクン」の話が出ましたが、彼は魚のことについては博学でも、それ以外の教養についてはそれほどでもなく、学力もそれなりで大学にも行っていません。日本の(特に名門)大学はすべての教養がまんべんなくある人でないと受け入れないからで、日本というのは特殊な才能がある人が育ちにくい国です。ですから日本人で才能を認められた人の大半はまず海外で評価された人たちです。

noname#226634
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noname#232424
noname#232424
回答No.7

受験勉強と学問が「似て非なるもの」である(異なるのではなく,後者は前者の延長線上にある)ことは,すでにお答えがあるとおりです。 高校生にとっての現実問題としては,まともに学問をするためにはまともな大学にいく必要があり,受験成績がよくないと入学できないのはたしか。うちの地方国立大学あたりだと,教室に忘れてあったノートに高校数学の復習みたいな内容も書いてあり,理系の先生も苦労してんなあと思わせられます。そんな手間をかけさせないように,しっかり勉強してくださいね 笑。 なお,「あおっている」背景には,以下があろうと思います。 (1)大学院で研究者を目指しながら職がなく(数学にはおおい),しかたなく高校教諭をやっている不満を,いたいけな高校生にむかって晴らしているのかもしれません。ぼくもその危険を感じて教員免許をとりましたが,もし高校で理科を教えていたら,似たようなせりふを吐いたかも。 (2)高校までと大学で断絶がおおきい筆頭は,数学じゃないでしょうか。いきおい抽象的になる・・・ぼくにはさっぱりわからなかったので愕然としました。いっぽう,自然史系(生物・地学)は延長線上にある感じですね。そしていつのまにかオリジナリティを問われる学問の領域(泥沼)に踏みこんじまっている 笑。もっとも,オリジナルであるべきなのは自分に論文が書ける狭い範囲であって,その周辺では受験勉強とあまり変わらない感じもします。じっさい,大学院入試があるもの。

noname#226634
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noname#224808
noname#224808
回答No.6

「問いと答えが用意されているのは勉強」 「問いも答えも自分で探すのが学問」 って感じでしょうか。

noname#226634
質問者

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回答No.4

そりゃ当たり前です。ちなみに受験しないで教科書で勉強しても、テクニック飲んてもんに走らなくても、知ってる知識を仕入れてそれを使うだけじゃ学問とは呼びません。 学問って、しってること、わかることをもとに、その先を積み上げて真理に近づくことを言います。 さかなクンって、中学生、高校生の時から、教科書や本を超えて、学者さんも知らなかったことを、自分で考えて、調査して、見つけ出したんですよ。どんなに小さくても身近なことでも、新しい真理を見出したり近づけることができるものなら、それは学問です。真似っ子した夏休みの自由研究は単なる工作だけど、真似っ子して自分で考えてやった夏休みの自由研究は学問です。 より高いところで学問をするためにあなたは受験勉強をしているんです。より高い学問ができる学生を集めるために大学はレペルの高い入試を課すんです。 あなたは大学で学問をするために、小学校から連綿と学び続けていました。だって、比較的新しい化学でも、200年も知識を積み立ててきたんですよ。あなたがもし化学の学問をするためには200年間の学者の知識はそのためのベースに必要です。どんなに効果的に学んでも10年じゃ全然足らないだけ学ばなきゃ届きません。 数学なんかもつともっと大変です。 さかなクンのように、誰も知らないことを知ることは誰にでもできます。きちんと勉強をし、やり方を理解すればね。大学の最初の二年間はそのやり方を学びます。そして次の一年でその練習を、最後の一年で未知に向かっての学問を行います。 大学は高等教育機関であり、研究機関だというのはこのことを指します。 ちなみに高校は中等教育期間です。

noname#226634
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  • yagiyasan
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回答No.3

受験勉強は大学受験で良い成績を得るための技術だと思います だからといって受験勉強を、ましてや高校教師が卑下するかのような発言は、いかがなものかと思います 学問は、それぞれの志望する大学に進学して修めるものですから、受験勉強のための数学を学ぶのは、高校生の本分だと思います

noname#226634
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  • t0002106
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回答No.2

残念ながら今の日本では高校時代の勉強は学問とは言い難いですね。 ですから自分が勉強したい学問を学べる大学を探して そこへ行ってください。 きっと道は開けるでしょう!

noname#226634
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  • tzd78886
  • ベストアンサー率15% (2590/17104)
回答No.1

受験勉強は一種のテクニックですから、学問とは言えません。高名な学者であっても名門大学を今受験したら落ちる人が多いでしょうね。

noname#226634
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