>評論で興味ある分野が偶然出たと思う人もいれば何書いてるのか全くわからない可能性もあるわけで
現代文も英語も古文も同じですが、書かれているテーマについての知識を問われているのではなく、「そこに書かれている情報を読み取れるか」を問われているのだと考えましょう。
例えば現代文で、シェイクスピアの戯曲に関する評論が出たとします。たとえ英文学が苦手だとかシェイクスピアの戯曲を知らないとしても、筆者がシェイクスピアの戯曲についてどう考えているか、そこに述べられていることを把握できれば良いのです。
もちろん、シェイクスピアや英文学、芸術論について知識があったほうが、そこに書かれていることをより理解しやすくはなるでしょう。文章に使われている語彙も、知っているのとそうでないのとでは理解度が違ってきます。主張が簡潔で明快な文章もあれば、抽象的でわかりにくい文章もあります。そこが難易度の違いになります。
なにも入試問題だから、文章題だから、と特別に考える必要はありません。
例えば、新聞やニュース、あるいは誰かの話を聞くときに、初めての話題は全部わからない!ということがあるでしょうか? 興味のない話題でも、「この人は、こういう話題について、こういう説明をしている、こういう主張をしている」ということが理解できれば良いのです。相手の話を理解するために必要なのは、そのテーマを知っているかどうかよりも、相手の話に出てくる語彙を知っているかどうか(なじみのある言葉で語られているかどうか)のほうが大きいですよね。
また、例えば小説で、ジャンルやテーマによる好き嫌いや登場人物への共感度の違いなどはあるでしょうが、まともな日本語で書かれているのならば、小説の内容について「誰が何をしているのかまったくわからない」ということはないはずです。独特の難解な文体で書かれている場合、あるいは世界観が掴みにくい場合は、あなただけではなく多くの読者が「難しい」と感じるはずです。
更に言えば、例えばこのQ&Aの、いろんな人からの回答。初めて見る文章ですよね? でも、書かれていること、相手が言いたいことは理解できますよね? 自分の質問以外のQ&Aであっても、専門用語が多用されているとか、文が日本語としてマズいとかでなければ、どんなやりとりが交わされているのかは把握できますよね?
もちろん、Q&Aはくだけた文章で書かれていることがほとんどですから、論説文の文体とは異なり、わかりやすいでしょう。そこは「なじみがあるかどうか」なのです。なじみのない文章を「なじみのあるもの」にするためには、いろんなタイプの文章をたくさん読んで、慣れるしかありません。これは英語も古文も同じです。
文章問題は、そこに書かれている描写から情報を性格に読み取れるかどうか、文学的な文章ならば、文字として書かれている情報からの合理的な推理や想像によって、文字として書かれていない情報まで補うことができるか等、教養や常識を含む読解力が問われているのです。
入学後にいろんな勉強をするときに、いろんな入門書や専門書、論文等を読むことになります。興味のないジャンルもあるでしょうし、たいていは初めて読む文章です。そういった文章は、入試問題で言えば論説文に相当する文章だったりします。そのとき、そこに書かれていることを理解する読解力があるかどうか、を問われているのだと思いましょう。